ANANDA BHAVAN 人生の芯

ヨガを通じた哲学日記

3度目のインド その2

2014年04月04日 | 日記
ヴァラナシ

 3月12日、私にとっては勝負の日です。出発の準備をしてホテルのロビーへ行きますと和木さんが私を誘い、2人でバルマさんに会いました。私は27年前にラヒリ・マハサヤのお寺でシベンドゥ・ラヒリさんが名前と住所を英語で書いてくれたホテル・クラークスのカードをバルマさんに渡します。「この人は誰?」とバルマさんが聞きますので私は「ヨガの聖者、リシです」と答えました。和木さんが「バルマさんのお友達にお願いして・・・」と言いかけますとバルマさんはそれを遮って「それも考えてみる」と言います。バルマさんは相当せっかちな人のようです。

 私達ツアーの一行は再びインディラ・ガンジー空港へ戻り、今度は国内線でヴァラナシへ向かいます。私達のボーイング737は1時間20分でヴァラナシに到着しました。そしてヴァラナシのレストランで昼食を取ったのですが、そのレストランの社長さんはラヒリ・マハサヤの事を知っているそうで、ここでバルマさんのやる気に火が付きました。

 昼食を終えた私達はバスでサルナートへ向かいました。サルナートはブッダが悟りを開いたあと初めて仏法を説いた(初転法輪の)場所で、その記念にダメクのストゥーパ(塔)が建っています。塔と言ってもレンガを積み上げた小山のような建造物です。ダメクのストゥーパの次にはムルガンディー寺院(根本香積寺)を見学しました。ここにはブッダの生涯を日本人の画家が描いた壁画が有ります。ダメクのストゥーパもムルガンディー寺院(根本香積寺)も私には3度目です。ムルガンディー寺院の近くにはチベット仏教の寺院が出来ていました。寺院の周りにはテレビでよく見る、経典の書かれたグルグル回る円筒がぐるりと設置してあり、この円筒を手で回せば経典を1回読んだ事になります。私達夫婦はこの円筒を回しながら寺院を一周してみましたが、本来は時計回りに進むべき所を逆に回って左手で円筒を回してしまいました。まあこれは、ご愛嬌と言うものでしょう。寺院の中では30人程の人達がチベット仏教のマントラを唱えながらお祈りをしていました。

 私達の一行は再びバスでヴァラナシへ戻り、今度はガンジス河へ向かいます。ガンジス河のガート(岸辺の石段)でのアルティ(夕方の祈り)を見学するのです。バルマさんは私に、「ガンジス河で30分の自由時間を作るので、その時にお寺へ連れて行くよ」と言います。どうやらバルマさん自身が案内してくれるようですが、30分は短すぎるようにも思えます。しかし妻はそれまで夜のガンジス河を見ようか、それとも私と一緒にラヒリ・マハサヤのお寺へ行こうかと迷っていましたので、結局は両方行ける事になりました。

 ガンジス河へ向かうメインの通りは大変混雑していました。私達のバスは途中で止まって私達は下車し、ここからは2人1組でサイクルリクシャ(自転車で引っ張る人力車)でガンジス河へ向かいます。ガンジス河への通りはサイクルリクシャやオートリクシャ(オート三輪)、そして2人乗りや3人乗りのオートバイがひしめき合っており、オートバイはあちこちで警笛を鳴らし続けています。27年前に私はヴァラナシでオートバイを見ませんでした。そして当時の自動車はアンバサダーと言うインドの国産車だけで、アンバサダーの警笛が鳴り響いていたのを思い出します。サイクルリクシャ、オートリクシャ、そしてオートバイがひしめき合っているのですが彼等の運転技術は大したもので、決して接触や衝突をしませんし、怒鳴り合って喧嘩する事も有りません。喧噪の中で只々オートバイの警笛がうるさいだけです。

 サイクルリクシャは20分も漕いだでしょうか、私達はサイクルリクシャを降りて皆が一旦集合し、ここからは徒歩でガンジス河へ向かいます。そして既に日は落ちてあたりはすっかり暗くなっていました。

 ガンジス河のメインのガートであるダサーシュワメドガートには電飾のお祭りの柱が何本も建っていて電飾のアーチで繋がっています。そしてそこに集まっている人々の多い事。こんな混雑は日本では初詣位のものでしょう、こんな事が毎晩繰り返されているそうですからこれは驚きです。電飾の下には7人の男たちが立っていて片手には沢山の蝋燭を載せた棒を持ち、マントラを唱えながらもう一方の手で電飾のアーチに付けられている大きな鈴に繋がっている紐を引っ張って鈴を鳴らしていました。

 バルマさんはここでツアーの一行に「これから30分は自由行動です、30分後には必ずここに集まって下さい」と叫んだあと私に合図をし、バルマさんと私達夫婦はラヒリ・マハサヤのお寺へ向かいました。私がバルマさんに渡しておいたカードにはお寺の住所が書いて有り、そこにはチョウサッティガートの文字が有りました。ガンジス河を左に見ながら歩き進み、次のガートでバルマさんがその辺に腰掛けている青年に「チョウサッティガート?」と聞きますと青年は「あっち」と指差します。更に歩き進んで2度程同じ事を繰り返したあと、バルマさんが男に「チョウサッティガート?」と聞きますと男が「そうだ」と答えました。バルマさんはガートの石段をずんずん登って行きますが石段の勾配はきつく、またひとつひとつの石段が高いので妻はふうふうと遅れがちになります。私はバルマさんと妻の間に位置を取り、妻に「大丈夫?」と声を掛けながら進みました。石段を登って更にアーチ状のトンネルを潜り抜けますとやっと平地になり、そこを左に曲がりますと突き当りにあの懐かしいラヒリ・マハサヤのお寺は有りました。

 ここで27年前のラヒリ・マハサヤのお寺の様子を書いておきましょう。お寺の外は高い外壁になっており、ドアを開けて中に入りますとお寺は正方形の石造りでした。正面は石段で数段高くなっていてそこには六角形の大きな祭壇が有りました。祭壇の奥中央には黒いシヴァリンガム、そしてその手前左側には白いラヒリ・マハサヤ(本名シャーマ・チャラン・ラヒリ)の像が、そして右側にはラヒリ・マハサヤの息子のティン・カリ・ラヒリの像が有りました。お寺の1階はパブリックスペースになっていて床は石畳でした。2階は1階の半分程の正方形の吹き抜けになっていて、吹き抜けの周囲の四辺が居住スペースでした。照明はささやかなもので、日が暮れますとお寺も暗くなったものです。33年前に初めてここを訪問しました時にラヒリ・マハサヤの孫のサットヤ・チャラン・ラヒリさんに日本人としては初めて面会したのですが、このお寺は1943年に作られたのだと聞きました。

 さて、バルマさんがドアを開けて3人がお寺に入りますと、左側には衝立状の間仕切りが立っており、また正面にも衝立状の間仕切りが立っています。バルマさんは入り口で靴を脱いで昔は無かった2枚の間仕切りの間を中に入り、中の誰かと話をしたあと私達に、「靴を脱いで入って下さい」と言い、私達夫婦はそうしました。中には白い服で白髪の痩せた老人が居ましたが、その人はシベンドゥ・ラヒリさんでは無く、お寺の留守を預かっている人でした。お寺の北側にはあの懐かしい祭壇が有って祭壇の中央奥には黒いシヴァリンガムが、そしてその手前左側にはラヒリ・マハサヤの像が、右側にはティン・カリ・ラヒリの像が有りましたが、この2体の像の間、祭壇の中央には新しい像が有って、これがサットヤ・チャラン・ラヒリの像だとはすぐに分かります。くつろぎスペースに居る白髪の老人に私が「これがラヒリ・マハサヤ、これはティン・カリ・ラヒリ、そしてこれはサットヤ・チャラン・ラヒリです」と言いますと老人は「そうだ」と答えます。

 お寺の壁は白く塗られており、床は石畳では無く濃い茶色の床に変わっていました。祭壇の正面、つまりお寺の南側の壁沿いは10cm程床より高いくつろぎスペースになっていて、そこには老人の側に25才くらいの2人の西洋人の女性がくつろいでいます。1人は金髪でもう1人はブルネットの美人でしたが2人共セクシー系では無くスピリチュアル系の雰囲気を出していました。そしてくつろぎスペースの右には新しくババジの小部屋が出来ていて、そこには結跏趺坐を組んだババジの白い坐像が有ります。お寺は随分とリフォームされていましたが、私が一番驚いたのは明るすぎる程の照明でした。昔のいかにもヒンドゥーらしいお寺は、なんだかマンションの1室のように変貌していました。それでも私達がお寺に入った時にはサリー姿のインドのご婦人の夫婦がババジの坐像に御挨拶していて私達と入れ替わりにお寺を出て行きましたので、今でもインド人の皆さんがこのお寺を大切にしているのだと安心しました。夕方のもっと早い時間にはもっと沢山の人達がお参りに来ているのでしょう。

 ツアーの一行の集合場所からこのお寺まで10分程掛かりましたので、帰りの時間を考えますとここには10分しか滞在出来ません。私が白い服を着た白髪の老人に「写真を撮っても良いですか?」と聞きますと老人は「よろしい」と答えます。私は先ず結跏趺坐を組んだ白いババジの坐像を撮影し、次には大きな祭壇の写真を数枚撮りました。そして壁の上の方に掛けてあるラヒリ・マハサヤやババジの肖像画、それからシベンドゥ・ラヒリさんの肖像画を撮影しました。写真を撮り終えますと老人はそのままくつろぎスペースに坐っています。

 私は過去2回のインド旅行の際に手の平サイズの手帳を携行して印象的な事や記憶しておきたい事を夫々2冊の手帳に書いていましたが、今回はこの日の為にこの2冊の手帳を持って来ました。私は老人の前に膝をつき、ボディバッグからこの2冊の手帳を取り出して老人に示し、「この手帳の時にはサットヤ・チャラン・ラヒリさんに面会しました、そしてこちらの手帳の時にはシベンドゥ・ラヒリさんに御挨拶しましたが、この年はサットヤ・チャラン・ラヒリさんが83才で亡くなられた年でした」と説明しますと白髪の老人はひとつひとつ頷いてくれます。私がゆっくりした英語で話しますので老人の横に居る女性達も理解出来るようで、金髪の女性は驚きと感動の表情を見せてくれました。私が更に「シベンドゥ・ラヒリさんは如何ですか?」と質問しますと、「シベンドゥ・ラヒリはUK(イギリス)を中心に活動しているが今年の6月にはここへ戻って来る」と老人は言います。私はシベンドゥ・ラヒリさんに息子が有るかどうかは知りませんでしたが敢えて聞いて見ました、「息子さんは如何ですか?」。老人は「息子はロンドンに滞在している」と答えます。良かった、シベンドゥ・ラヒリさんはしっかり活動しておられるようだし息子さんも健在のようで、しばらくはラヒリ・マハサヤの血筋も絶える事は無いのだと、私は安堵しました。

 私が白髪の老人に「ドネイション(寄付)をしたい」と言いますと老人は「ドネイション(寄付)の為の箱は無いが、先ずババジの両方の足に手を触れて御挨拶してからババジの前の蝋燭立てのお皿の下にお金を置きなさい」と言い、私と妻はババジの両方の足に手を触れて御挨拶をしてから直径25cm程の蝋燭立てのお皿の下に100ドル紙幣を1枚差し込みました。

 私達がお寺に居る皆さんに「有難うございました」と言ってお寺を出ようとしますとバルマさんがスマホでババジの坐像の写真を撮ります。お寺を出ますとバルマさんは「自分の先生はババジだと言う友達が居るのでこの写真を送るよ、友達はびっくりするよ」と言いました。こうして私達3人がツアーの一行の集合場所に戻りますと、アルティ(夕方のお祈り)は終盤に入っているようでした。私達の一行は今度もサイクルリクシャで戻りましたが、ヒンドスタンホテルまでの復路は往路の2倍以上の距離が有りました。私達のバスは既にホテルに到着していて私達のスーツケースはホテルのロビーに集められていました。3月12日の観光は終わり、夕食のあと私達はホテルの夫々の部屋に入りました。

 ここからは不思議なお話です。ここまで私はラヒリ・マハサヤのお寺で会話をした相手を「白い服を着た白髪の老人」と一貫して書きましたが私の記憶は違っていたのです。お寺に入って祭壇の3体の像の名前を確認してくれたのは間違い無くあの白髪の老人だったのですが、そのあとお寺で写真を撮り終えてくつろぎスペースに膝をつき、私の過去2回の訪問の事やシベンドゥ・ラヒリさんや息子さんについてのお話をしてドネイション(寄付)をし、お寺を出るまで私がお話をした相手は、お寺に入って最初に会話をした白髪の老人では無く、25才くらいの西洋人の男性で、黒い髪と眼をした痩せ形の、草食系で少し頼りない感じの青年に変わっていたのです。

 ホテルの部屋で私達夫婦は早速今夜の出来事について話し合ったのですが、「西洋人の青年なんか居なかったわ、あなたはずっとあの白髪の老人と話をしていたもの」と妻は言います。私は「そんな筈は無いよ」と主張したのですが、2人の話は平行線です。ついさっきの出来事なのに、どうした事でしょうか。

 翌日になっても私達夫婦の主張は平行線でした。こう言うのは嫌だからバルマさんに聞いて見ようよと言う事になり、3月14日にジャンシーからアグラへ向かう特急列車の中で私は妻を促し、妻はバルマさんの席へ行って話を聞いて私達の席へ戻って来たのですが、バルマさんの記憶は妻の記憶とぴったり一致していました。あれは私の幻覚だったと言う事になります。

 一体あの青年は誰だったのだろうか。シベンドゥ・ラヒリさんは推定年齢が75才位ですし息子さんは45才から50才位の筈ですからこの2人では有りません。私はパラマハンサ・ヨガナンダの「ヨガ行者の一生(あるヨギの自叙伝)」を思い出しました。ラヒリ・マハサヤがヒマラヤの山中でババジに出会った時、ババジは25才位の青年のように見えたと書いて有ります。「年恰好からすると、あれはババジだったのかも知れない」と私が言いますと妻は「ババジだったら頼りない感じはしないでしょう」と否定します。

 これはきっとババジかラヒリ・マハサヤの悪戯で、「今度はもっとゆっくりいらっしゃい」と言うメッセージだったのでしょう。これを神秘体験と言えば神秘体験ですよね。












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2 コメント

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神秘体験 (しんちゃん)
2014-04-07 20:25:23
前田さんにだけ、白髪の老人が25歳くらいの青年に見えたというのが、おもしろいですね。波長同通の法則からすれば、意識が同じぐらいのレベルにいないと通じないはずなので、ガイドさんと奥さんには白髪の老人にしか見えなかったということは、ありえると思います。4回目は、是非もっとゆっくりと訪問してください。
現在も (Ananda Bhavan)
2014-04-08 09:10:03
しんちゃん様

久々のコメントを有難うございます。パッケージツアーなのに無理無理ラヒリ・マハサヤのお寺へ行けたのも白髪の老人が25才くらいの青年に見えたのも、自分の力では無くラヒリ・マハサヤの磁力なのだと思っています。

そして帰国した現在も不思議な事が起こっています。これはもう少し確認をしてからお話ししましょう。

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