ANANDA BHAVAN 人生の芯

ヨガを通じた哲学日記

ウダーナの風

2017年09月16日 | 日記
ウダーナの風

 デザインエッグ株式会社発行、幸山美和子翻訳の「イーシャなどの九つのウパニシャッド」を読みました。4000円もして411頁も有る分厚い本です。翻訳が直訳過ぎるのか、また解説も入っていないので大変難渋しましたが何とか読み終えました。ところが40年前に読んだ中央公論社発行の「バラモン教典 原始仏典」の中のウパニシャッドに登場する人物のヤージニャヴァルキヤやウッダーラカ・アールニ、そしてアールニの息子のシヴェータケートゥが出て来ません。不思議に思って「バラモン教典 原始仏典」で調べて見ますと、ウパニシャッドとはこの名を伴う多数の作品の総称で、通常14種(または17種)が古代ウパニシャッドと称されるとして、そこではブリハッド・アーラヌヤカ・ウパニシャッド、チャーンドーギヤ・ウパニシャッド、カウターシキ・ウパニシャッド、カタ・ウパニシャッドの4篇のウパニシャッドの抄訳が紹介されていました。今回読みました「九つのウパニシャッド」で「バラモン教典 原始仏典」と重複しましたのはナチケータスが死後の世界へ行き死後の世界の王様のヤマ(日本で言えば閻魔大王)と対話するカタ・ウパニシャッドだけでした。そうしますと「バラモン教典 原始仏典」と「九つのウパニシャッド」を合わせますと14種のウパニシャッドのうち12種をこれまでに読んだ事になります。

 今回「九つのウパニシャッド」を読んで感じましたのは、ウパニシャッドはインド哲学としてはまだまだ発展途上に有るものの、既にヨガやサーンキヤ哲学の概要が現れていると言う事でした。「九つのウパニシャッド」にはしばしば仏教やサーンキヤについての表現が出て来ますので、ウパニシャッドも仏教もサーンキヤもほぼ同じ時代に有って互いに切磋琢磨していたようです。

 「九つのウパニシャッド」には度々ウパニシャッドが優れている事の論証や仏教やサーンキヤへの論難が出て来ましたが、これが読んでいて面倒くさい。一元論のウパニシャッド(ヴェーダーンタ)が二元論のサーンキヤや零(ゼロ)元論の仏教より優れていると論難するのですが、元々解脱体験が理屈の世界では無いので論証や論難は不毛な事に思えます。インド人は解脱体験に併せて論理学も好きなのでしょうね。

 「九つのウパニシャッド」には面白い所も見つけました。以前に「サーンキヤ哲学研究 上」で紹介しました5つの風についての表現が何度も何度も登場するのです。この5つの風は最初にウパニシャッドに登場し、それがサーンキヤ・カーリカーに継承されているのだと「バラモン教典 原始仏典」の中のサーンキヤ・カーリカーの解説に有ったのを思い出しました。ここでその5つの風を再び紹介しておきましょう。

 五風とは、呼気(プラーナ)、吸気(アパーナ)、上気(ウダーナ)、等気(サマーナ)、遍気(ヴャーナ)である。

プラーナ:口・鼻の中に往来す。前進するもの。
アパーナ:排泄器等の位に住す。後退するもの。
ウダーナ:喉頭(ヘソの位置から頭の中)に住す。上進するもの。
サマーナ:身体の中央(心臓)に存す。食物等を同化する作用をなす。
ヴャーナ:身体に遍満。身体内部の区分を為す。この風が離れると死ぬ。

 お話変わりまして

 今年の2月の始め頃でしょうか、私の右腕の筋肉が突然痛み始めました。そして痛みは続きます。ヨガの練習で痛めたのだろうかと練習の時に注意してチェックして見ますとアサナ(ヨガのポーズ)で右腕の筋肉に負荷は掛かっていません。原因は他に有るようです。

 たまたま2月の末に日本ゴーシュ・ヨガ道場でゴーシュ先生のレクチャーが有りました。そしてレクチャーの最後に質問の時間が有りましたので思い切って右腕の筋肉の痛みについて質問して見ました。その時にお返事は無かったのですが、2、3日してゴーシュ先生から連絡が有って練習のチャートが変わりました。ゴーシュ先生は「体の上の方のパワーが落ちている」と言われます。そして新しく加わったのが(アサナの前の)ヨガ体操で2つ、そしてアサナ(ヨガのポーズ)で1つでした。

 ヨガ体操:①腕立て伏せを10回 ②手首のローラー(10回を2セット)

①腕立て伏せを10回:当初は3回しか出来ませんでしたが7回は出来るようになりました。
②手首のローラー:幅45㎝の棒の真ん中にタコ糸を結び付けて顎(あご)の位置から床まで垂らして重りを付け、タコ糸を棒に巻き上げておく。
脚を肩幅に開いて立ち、両掌(りょうてのひら)を上に向け、顎(あご)の位置で(タコ糸を巻き付けた)棒を持つ。大きく口で息を吐いてタコ糸を巻き降ろし、重りが床に着いたら今度は両掌(りょうてのひら)を下に向けて巻き上げる。これを10セット。

 アサナ:アルダ・パルバタアーサナ(半分の山のポーズ)

パドマ・アーサナ(結跏趺坐)を組み両手は膝(ひざ)の上。大きく口から息を吐いて両手を徐々に上へ上げ、腕が伸びたら頭上で合掌して掌(てのひら)を両親指でロック。5カウント数えたら両手を降ろし、脚を組み替えてもう1度両手を上へ、そして合掌。5カウント数えたら両手を降ろしてこれで1セット。これを4セット行う。

 この練習を始めて4回か5回で右腕の筋肉の痛みは消えました。今にして思えば、ゴーシュ先生が「体の上の方のパワー」と言われたのは、ウパニシャッドに登場してサーンキヤ・カーリカーに継承された5つの風のうちの「ウダーナの風」の事だったのでしょう。その後、娘が出産しました7月10日に今度は左手の親指が突然ビリビリと痺れるようになりましたが、ヨガの練習を4回程しますと症状は随分と改善しまして、今ではタオルを絞れる程です。

 ウパニシャッドは古典中の古典では有りますが現代のヨガの練習にも通じるところが有り、どうやら今回これが私の役に立ったようです。





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アスリートの精神

2017年09月08日 | 日記
アスリートの精神

 テレビで女子マラソン選手の話をやっていました。彼女はオリンピックで金メダルを取って国民から高い評価を得、次のオリンピックでも金メダルを取ろうと決意しました。そして前回のオリンピックの時よりも更に強い体を作ろうと激しい練習を続けた挙句、次のオリンピックの直前に脚を痛めてしまい、突然オリンピックへの参加を辞退します。そして国民から大きな落胆の意と非難の攻撃を受けて耐えられず、彼女はしばらく北海道に身を隠したのだそうです。

 この女子マラソン選手の番組を観ていて、私はアスリートにとっての肉体と精神との関係はどう言うものだろうかと考えました。なにしろアスリートですから肉体が主役です。肉体が並外れた働きをします。ですから「肉体」が芸能人だとするならば「精神」はそのマネージャーですよね。肉体に最大のパフォーマンスが出来るように精神は調整の働きをします。一般に「強いメンタル」と言いますがメンタルが強いだけでは金メダルは取れないでしょう。やはり主役は肉体です。強いメンタルの状態にしておいて肉体に最大限の働きが出来るよう準備して肉体の応援をするのが精神ですね。アスリートの場合、野球にしてもサッカーにしてもテニスにしても主役はやはり肉体で、精神はそのマネージャーに過ぎないようです。

 しかし、肉体と精神とのこの関係はアスリートだけのものでも無いように思えます。恋愛をするのも肉体です。そして肉体に恋愛の衝動が起こった時に精神はその恋愛の衝動を感情や言葉に変換してその衝動を正当化し応援するのです。

 そしてまたこの関係は恋愛だけに限ったものでは無く、仕事の場面でも通用しますね。実際に仕事をするのは肉体です。そして精神が仕事の優先順位やスケジュールの調整をして肉体の応援をする、つまりマネージャーの働きをしています。

 肉体と精神との関係において、私たちは何時(いつ)から精神を肉体の上に置いたのでしょうか。精神が肉体よりも上位に有ると言うのは共同幻想ですよ。



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