ANANDA BHAVAN 人生の芯

ヨガを通じた哲学日記

自己実現

2024年01月20日 | 日記
自己実現

 欧米の社会心理学には自己実現と言う言葉が有ります。簡単に言いますと自分のパーソナリティが周りの人達のパーソナリティに影響を与える事を自己実現と表現するようです。例えば科学者がその研究を認められてノーベル賞を受賞する、これです。もっとスケールを小さくしますと、良い大学を出て良い会社に入り、認められて会社の役員になる。自分のプレゼンテーションが認められて採用される。インフルエンサーになる。まあ、気分の良い事。

 しかし自己実現は良い事ばかりでは有りません。ウクライナが戦争に負ければロシアのプーチンにとっては自己実現ですし、日本の尖閣諸島を中国領にし、更には沖縄も中国領にしてしまえば習近平にとっての自己実現。またハマスがイスラエルをせん滅してしまえばハマスの、そしてイスラエルがハマスをせん滅してしまえばイスラエルの自己実現と言う事になります。嫌ですね。

 このように自己実現は功罪相半ば、と言うより実際には悪い方に偏りがちですよね。どうしてそうなるかと言いますと自己実現とは人間の欲のひとつの結果とも言えるからです。綺麗な言葉を使っても欲は欲。

 欧米風の社会心理学の自己実現、これは底が浅くて駄目ですね。

 一方でヨガの自己実現、これはどうでしょうか。

 ヨガのアーサナ(ポーズ)をやりプラーナヤーマ(調息)をやり瞑想状態に入りますと、運が良ければ、想念が停止し、それまで隠れていた霊性が燦然と現れる、これがサマーディ(解脱)の状態ですが、これをヨガでは自己実現と言います。私は真っ白な光で有り、またその光を見る者。これをヨガではサット(有る事)、チット(有る事を知る事)、アーナンダ(有る事を知る事で湧き上がる歓び)と言います。

 そして、ひとたびサマーディ(解脱)を体験しますと、サマーディ(解脱)から覚めて元の自分に戻っても人間の真実が見えるようになります。

 同じ自己実現と言っても欧米の社会心理学の自己実現とヨガの自己実現とはまるで様相が違いますね。神を自分達の部族長と見るような中東や欧米の社会的な宗教とひたすらに自己を探求するインドの宗教との違いでしょうが、私はヨガの自己実現が好きです。

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