ANANDA BHAVAN 人生の芯

ヨガを通じた哲学日記

言葉が

2023年06月17日 | 日記
言葉が

 言葉が心と身体を切り離している。

 デカルトの「我思う、ゆえに我有り」は有名ですが、まさに言葉によって心の身体に対する独立性と優位性を主張しています。

 一方でヨガではアーサナ(ヨガのポーズ)のあとに呼吸法をやります。呼吸法では呼吸を数える事で他の想念が起こるのを抑えます。抑えますけれども、呼吸を数えるのもこれもまた想念。想念をもって想念を抑える。そこで呼吸法が終わると今度は全くの受け身の態度になって、そこで想念が停止、運が良ければサマーディ(解脱)を体験します。ヨガでは想念の働きを停止させ、すると向こうからそれ(サマーディ、解脱体験)は現れます。

 ヨーガ・スートラの始めに「ヨーガとは心のはたらきを止滅することである」と有りますが、実は、心のはたらきが止滅したそのあとに、更にサマーディ(解脱体験)は現れます。そしてサマーディ(解脱体験)が人間の本質を照らしますので、デカルトは大間違い。デカルトは日本では江戸時代あたりの人でしょうが、ヨガのバックボーンであるサーンキヤ哲学の成立は西暦500年あたりなのに、デカルトを粉砕しています。これでは思想史が逆ですね。
コメント
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