ANANDA BHAVAN 人生の芯

ヨガを通じた哲学日記

幸せとは

2022年01月04日 | 日記
幸せとは

 「愛しているよ」、「幸せになろうね」、この美しい言葉を若者達は日々追い求めています。歌謡曲で歌われるような美しい言葉では有りますが、その実態は。

 愛とは美しい言葉ですが、その実態は執着です。執着ですからそれはすぐに束縛や付きまといや嫉妬の感情に変化します。そして愛(執着)の対象を得ると喜びの感情が生まれますし、愛(執着)の対象を失うと悲しみの感情が生まれますし、愛(執着)の対象が得られないと怒りの感情が生まれますね。感情はすぐに転変します。

 幸せとは美しい言葉ですが、その実態は欲求の充足です。安定した生活を得てSEXの喜びを知り美味しい物を食べますと幸せな気分になりますが、困った事に欲求が満たされると更なる欲求が生まれて切りが有りません。インドでモンキーマインドと言うようですが、猿は果物を手にしてひとかじりしますとそれを捨てて次の果物に手を伸ばします。更なる欲求が次から次へと生まれますから充足する事が無い。欲しい物が手に入ると喜びの感情が生まれますし、欲しい物を失うと悲しい感情が生まれますし、そして猿のように欲しい物が手に入らないと怒りの感情が生まれます。

 愛も幸せも美しい言葉ですが、これは感情の表現です。そして感情は環境世界からの刺激に対する反射覚、反応覚でして自発(自ら発する)するものでは有りません。そして感情ですから移ろい易い、転変する性質を持っています。

 感情で得られるのは転変する幸せ。

 転変する幸せで無く転変しない恒久の幸せは無いものだろうか、インド人はこれを追及しました。そして瞑想に瞑想を重ねた末にサマーディ(解脱体験)を得ます。このサマーディ(解脱体験)の様子をヨガではサット・チット・アーナンダと表現します。このサット・チット・アーナンダの意味は、サットは有る事、チットは(有る事を)知る事、そしてアーナンダは(有る事を知る事で湧き上がる)歓びです。これが恒久の幸せ。

 サマーディ(解脱体験)を得ましても、それから覚めますと元の生活に、元の性格(人格、パーソナリティ)に戻りますけれども、その体験を忘れる事は有りません。

 私の内に確かな幸せは有ったのだ。

 感情の幸せは外へ求めますけれども、本当の幸せは内に求めます。そしてそれが恒久の幸せ、揺るぎの無い幸せです。

 私達も感情で得られる幸せとはそんなものだと知ったうえでそれを楽しむのが良いです。

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