ANANDA BHAVAN 人生の芯

ヨガを通じた哲学日記

愛と想像力

2012年11月30日 | 日記
愛と想像力

 「愛」という言葉が有りますが、どう言う気持を「愛情」と言うのでしょうか。「大好き」、「可愛い」、「いつも気に掛かる」、「心配で仕方が無い」、「有るがままを認め、それを受け入れる」、こう言った気持ちは確かに「愛情」と言えるでしょう。また「愛」を「慈悲」とも言いますが、「慈」とは子を育み育てる、親の子に対する気持ちでしょうし、「悲」とは自分より早く衰え、また先に死んで行く親を思う子の気持ちと言えるでしょう。「愛」とは重たく深い気持ちですので、「これが愛だ!」と1度に表現出来るものでは無いようですが、これ等のような男女の愛や親子の愛の他にも「愛」と呼べるものが有るようにも思います。

 何年か前にNHKの「ニュースウオッチ9」と言うニュース番組で大江健三郎へのインタビューをしていました。その時に、正確には覚えていませんが、大江健三郎は「近頃は政治家も、市民も、経営者も、労働組合も、ジャーナリストも、作家も、皆、想像力が乏しくなっている」と言った内容の話をしていました。そして「想像力とは相手の立場に立ってみる事、相手の身になってみる事だ」と続けていました。

 この時に大江健三郎の言った「想像力」、これも「愛」と言えるのではないでしょうか。「私は妻を愛している」は「私は妻の立場が良く分かるし、何をどう思っているかが痛い程分かる」となりますし、「私は子供達を愛している」は「私は子供達の立場が良く分かるし、何をどう思っているかが痛い程分かる」となりますから、「想像力」も「愛」だと言えそうですね。このように考えますと「愛」は社会的にも広げられそうです。

 「愛」が「想像力」によって社会的にも広げられるとしたら、それでは、もっと広げて「人類愛」はどう扱いましょうか。家族の間での愛なら相手が数人ですからなんとかなりそうですが、相手が人類ともなれば、とてもとても・・・。

 でも、がっかりする事は有りません。自分という「個」を精密に観察して見れば「個」の中には人類の持つ普遍性がぎっしりと詰まっている筈です。ゴータマ・ブッダは自分という「個」を深く観察して、全ての人間が直面しているのは「苦」であると思い知りました。そして更に「苦」の原因は「執着」であると発見し、「執着」を断つ事で「苦」を「滅」する方法、技術までを獲得しました。これを「苦集滅道」と言います。ゴータマ・ブッダは「想像力」を「個」から人間の持つ普遍性にまで及ばせて、そして「人類愛」に到ったのでしょう。

 おそらくゴータマ・ブッダが人類で初めて「人類愛」を獲得した人、人間の持つ普遍性を把握した人であろうと私は思っています。そして、「人類愛」と言いますと言葉が大きすぎて超人ででもないと持つのは不可能な気がしますが、人間の持つ普遍性なら私達のような一般人にでも把握出来ると思います。自分という「個」を精密に深く観察すれば、そこに人間の持つ普遍性は色々と思い当りますよね。

 そしてまた、苦労の少ない人生を送った人達はどうしても想像力の引出しが少なく、なかなか相手の立場に立ってみたり相手の身になってみたり出来ず、つまり親身になる事が出来ず、冷淡でドライな「評論家」になりがちなようにも思います。気を付けましょう。「オール ユー ニード イズ ラブ」で有ります。

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OB会

2012年11月16日 | 日記
OB会

 私は大学時代に広告研究会と言うサークルに入っていましたが、この間、このサークルの昭和44年卒のOB会をやりました。このOB会は2006年から毎年秋にやっていますので、今回は7回目と言う事になり、私とSIさんが幹事を引受けました。7回目ともなればその間に色々な事が起こりますし、初回以降に、既に3人が癌で他界されています。ですからどうしても一期一会と言う気分にもなりますし、皆さんの印象に残るOB会にしたいと考え、場所は赤坂のイスタンブールと言うトルコ料理のお店にしました。昨年の参加者は10人でしたが今年は8人と、少し淋しい人数です。夕方の6時にOB会は始まりました。

 このお店は4角形のフロアの真ん中をベリーダンスのフロアショウの為に開けてあり、その周りを囲むようにテーブルがセットしてあります。私達8人は壁側の席を指定され、他にはおじさん1人と若い女性5人、つまり6人の客が窓側の席に、そしてその近くの席には一見の若いカップル、合計で16人しか客は入っておらず、お店の広さからして少し淋しい感じでした。

 私達は飲み放題でのコース料理を注文していました。コース料理は夫々にユニークで美味しいものでしたが、皆さんの関心は、先ずはフリードリンクのメニューに集まります。最初の乾杯はトルコのエフェスと言うビールです。トルコの乾燥した空気に良く合う、軽いタイプのピルスナービールで、皆にも好評でした。飲み放題メニューですとエフェスは1人1本限りなので希少性が感じられ、SIさんは女性店員さんに「1人だけアルコールを飲んでいないからエフェスはその分、もう1本良いんだよね」と追加の注文をします。

 テーブルには飲み放題用のドリンクメニューが置いてあり、皆は次には何を飲もうかと覗き込みます。私はトルコに独特の、ラクと言う蒸留酒の水割りを注文しました。ラクはアニスの香りを付けた蒸留酒で透明なのですが、水を加えると白濁します。私がそれをやって見せますと皆も関心を持ってラクを注文しました。店長さんはラクの中瓶と水割りセットを持って来て「皆さんでどうぞ」と言います。フェイスブックをやっているIHさんは透明な状態のラクと、水を加えて白濁したラクをカメラで撮っています。

 トルコについては校長先生をやっていたKKさんや、リタイア後に長野で農業を始めたKMさんが詳しく、明治時代に和歌山沖でトルコの軍艦が沈没した際に日本の村民達が心からのお世話をした事や日本が日露戦争でロシアをギャフンと言わせた事でトルコの人達は日本の事が大好きなのだと説明します。SIさんが「トルコに行ったの?」と聞きますと「いや」とKMさんは答えます。皆さん、勉強していますね。

 大きな体を持て余すように腰かけているOTさんはいつもは微笑みを浮かべて寡黙にしているのですが、今日は盛んにおしゃべりを楽しんでいるようです。OTさんの隣のKMさんはアルコールを飲まないので、ドリンクメニューから塩味のヨーグルトと言うのを見つけて注文しました。これがなかなかイケると言うので4人くらいがこれを注文します。KMさんの向かいの席のMTさんは塩味のヨーグルトにラクを加えてオリジナルのカクテルを作リ、ご満悦です。前もって写真担当をお願いしておいたMKさんはこれ等の様子を撮影してくれています。

 やがて盛り上げ担当幹事のSIさんが立ち上がり、何やら面白おかしく話し始めます。SIさんの話が長いので、私の隣のKKさんが「トイレに行きたいんだけど、SIさんの話が切れないから困るなあ」と言い、私は「気にせずにトイレに行ってくれば。トイレから戻って来てもSIさんはまだ話し続けている筈だよ」と答えます。それでもKKさんはトイレを我慢しました。こういう間合いは良いですね。

 皆が各種ケバブの盛り合わせを食べ終わった7時半頃、突然お店の照明が暗くなりました。ベリーダンスのフロアショウの始まりです。いつもは8時半頃に始まるのですが今日は1時間程早いようです。KKさんは電車の都合で9時にはお店を出なければならないので、これはラッキーでした。

 照明が明るくなると、音楽と共にダンサーが登場しました。ダンサーは日本人で、ロングヘアーの小柄で魅力的な人です。どこかで見たような顔だと思っていますと、モデルの押切もえに似ているようで、押切もえを少しふっくらさせたような美人でした。彼女の衣装はと言いますと銀色のラメがキラキラ光るブラジャーに、おへその下は足首迄ある深紅のスカート、これは左脚を大胆に露出させたものです。

 最初の曲を踊り始めますと、彼女の技術はなかなかのもので、お腹を細かく振動させるシミー、そしてステップを踏みながらお腹を細かく振動させるチューチュー・シミー、そして腰を前後左右に振ってはアクセントを付けるロックス、見事なものです。2曲目が始まって、私は千円札を用意し、彼女にチップをあげるよと言う仕草をしました。チップを彼女の腰に挟もうと思っていましたら、彼女は私に背を向けて、ブラジャーの左の紐に挟めと要求します。ところがブラジャーの紐はピチピチで、なかなかお札を挟めません。なんとかチップを挟んであげますと彼女は私から離れ、こちらに向きを変えて踊りを続けました。写真担当のMKさんが私に声を掛けますので「僕の頭でダンサーが見えないの?」と聞きますとMKさんは「違うよ」と言って私を撮ってくれました。ダンサーは普通、客とは目を合わせませんが、彼女は一瞬だけ私に目を合わせてくれました。妖艶な眼差しです。

 曲が終わって一旦退場したダンサーは3曲目の為にサーベルを持って現れました。サーベルダンスです。サーベルを横向きに頭に載せて手を放し、バランスを取りながらダンサーは腰を振ります。そして彼女はバランスを取りながら両脚を前後に伸ばし、ついには両脚をフロアに水平に着地、つまり前後への完全開脚着地を披露してくれました。私達からは「ブラボー!ブラボー!」の喝采の嵐が鳴り止まず。姿勢を元に戻した彼女はMTさんと私を呼びます。お決まりのダンス教室で、彼女の真似をして腰をグラインドさせてみたりしますと皆はますます盛り上がります。こう言う時は羞恥心を失った爺さん達の方がノリが良く、ダンサーも気持ちが良いようです。続いてダンサーは窓側の席の若い女性を呼んで一緒に踊るのですが、あちらの席の皆さんは日本人特有のシャイさを見せて静かに盛り下がって行きます。女性を窓側の席に戻したダンサーは彼女の近くに立っているSIさんを捕まえました。そしてSIさんの頭にサーベルを載せようとしますが、なかなかうまくいきません。SIさんの頭は山のようにとんがっているのでしょうか。それでも最後にはサーベルはSIさんの頭に乗っかってくれました。そして余興も終わり、ダンサーは華麗に退場して行きました。あれれ、これはまずい。

 事前にダンサーとの集合写真を店長さんにお願いして了解を得ていた私が慌てて店長さんの所へ行き「集合写真は?」と聞きますと今度は店長さんが慌てて更衣室へ走って行きます。ダンサーはにこやかにフロアに戻って来まして、私達は無事に集合写真を撮る事が出来ました。MKさんとIHさんが夫々にシャッターを押し、次には皆が揃って、店長さんがシャッターを押してくれました。そしてダンサーには集合写真のお礼に「ほんの気持ちです」とチップをあげました。

 そうしてコース料理最後のスイーツで余韻のひと時を楽しんだ私達のOB会は8時半頃にはお開きとなりました。

 翌朝MKさんとIHさんから参加者皆へメールで昨晩の写真を送ってくれましたが、どの写真を見ても皆はニコニコニコニコ、楽しそうです。

 さて、私はこのOB会があまりにも楽しくて忘れ難かったので、ついつい事の次第をここに書いてしまいました。おしまい。




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永遠の今

2012年11月02日 | 日記
永遠の今

 私の91才の母は熊本の実家で一人暮らしをしています。ですから子供達(とは言っても既に爺さん婆さんの域)が毎日交互に電話を掛けて母の安否を確認するようにしています。私が電話をしますと母は言います、「自分はいつ死んでも良い」、「死ぬ事自体は怖くもなんとも無い」。その一方で母は胃に不調を感じるとすぐに病院へ行って検査を受けます。この間は肋骨のあたりにしこりを感じて癌では無いかと病院へ行き、先生に軽く扱われたと怒っていました。頭で考える事と、体の変化に反応する事とが随分と違いますね。これは頭で考える「概念」を持ちながら、その一方で「永遠の今」を生きている事を示しています。頭で考えるのは「概念」で有り、一方、体の変化に反応すると言うのは「永遠の今」に居る事です。「あと何年生きられるだろうか」と言う「概念」を持ちながら、その一方では「永遠の今」に浸っていると言う訳です。

 こう言う私自身も人の事を言えたものでは有りません。「東京都心の繁華街へ出掛けて友人達と飲めるのもあと何年だろうか」等と言う「概念」を持ちながら、一方では「今日も遅刻はするまい」等と「永遠の今」に浸っているようなのです。

 私は最近、ある事に気が付きました。日常生活の中でのヴィジョンの濃い薄いを比べて見たのです。起きて生活している時のヴィジョンと明け方に見る夢のヴィジョンを比べて見ますと、起きて生活している時のヴィジョンの方が明らかに濃いですよね。それでは日中の生活の中でのヴィジョンはどうでしょうか。日中のヴィジョンには二通り有るようです。つまり、体の変化に反応している時のヴィジョンと、物事を考えている時のヴィジョンです。これは「永遠の今」のヴィジョンと「概念」のヴィジョンと言い換えても良いでしょう。そうしますと「永遠の今」のヴィジョンの方が圧倒的に濃い、強いのです。それに比べて「概念」のヴィジョンは薄い、弱い。

 私は日中の二通りのヴィジョンに「睡眠中の夢」のヴィジョンを加えてそれらの濃い薄いを比べて見ました。いちばん濃いのは「永遠の今」のヴィジョン、次に「睡眠中の夢」のヴィジョン、そして「概念」のヴィジョンが最も薄いと感じられます。「概念」、つまり「考え」とはこの程度のものだったのか。私達が考え事をしている時の考え、つまり「概念」は言葉で出来ています。「概念」はヴィジュアルでは有りません。一方睡眠中に見る夢は明らかにヴィジュアルで有り、「概念」よりも迫力が有ります。

 「永遠の今」に急な変化が起こりますと、たちまち「概念」等は吹き飛んでしまいます。体は「今」だけに反応しますのに頭は過ぎてしまった事やこれからの心配ばかりに思いを巡らせますね。愚かな事です。

 「人間はこう有るべきだ」、「社会はこう有るべきだ」、あるいは「誰それはけしからん」などと思っています時に間違って自分の指を切ってしまう、あるいは自分の親や子に突然の異変が襲ったりしますと私達は「今」に集中し、その時には「概念」等は吹き飛んでしまいますね。本当に大事なのは「今」です。「今」を生きる事です。

 子供の頃にも、学生時代にも、会社に入った頃にも結婚した頃にも、子供達を育てながら会社の販売予定を追い掛けていた頃にも、私はいつも「永遠の今」に居ました。そして「永遠の今」が変化していただけです。

 難しい事ですが、中村天風の言うように、取り越し苦労や持越し苦労に振り回されず、「永遠の今」を生きて行く所存です。

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