ヨーガ根本教典
平河出版社発行、佐保田鶴治著の「ヨーガ根本教典」を私は31才の時に読みました。この本は「ヨーガ・スートラ」と「ハタ・ヨーガ・プラディーピカー」を解説しているのですが「ヨーガ・スートラ」は古典ヨガの金字塔、そして「ハタ・ヨーガ・プラディーピカー」はハタ・ヨガの経典です。佐保田鶴治さんには平河出版社発行の「解説 ヨーガ・スートラ」が有りますのでヨガの8段階に夢中だった私はこれを何度か読み返しましたが、その為に「ヨーガ根本教典」は読み返していませんでした。
今回「ヨーガ根本教典」を読み返して見ましたらびっくり。この本の本編は「ヨーガ・スートラ」の解説と「ハタ・ヨーガ・プラディーピカー」の解説なのですが、本編の前の「はしがき」と「ヨーガ思想入門」にそのびっくりの記述が有ったのです。少し抜粋してみましょう。
ここに解説をつけて訳出した二つの教典はそれぞれ古典ヨーガとハタ・ヨーガの根本教典であります。この二つのヨーガは互いに相補う性格のものであると同時に、各自独立のものでもあります。相補うという面からいえば、ハタ・ヨーガの方は、古典ヨーガの予備門であります。体操や呼吸の練習はめい想のための好い条件を作るのであります。しかし、ハタ・ヨーガは独立の面をもっております。この面でのハタ・ヨーガは、古典ヨーガのさらに発達した形態であります。ハタ・ヨーガはヨーガの密教であります。仏教でも、インドで発達した最後の段階は真言密教でありました。ヨーガもハタ・ヨーガに至って密教化したのです。仏教の分類になぞらえていえば、ヨーガ・スートラの説く古典ヨーガは顕教ヨーガ、ハタ・ヨーガ・プラディーピカーの説くハタ・ヨーガは密教ヨーガであります。(はしがき)
私も長年の間、ハタ・ヨガは「ヨーガ・スートラ」のヨガの8段階のうちアーサナとプラーナヤーマを強調したものだと思っていました。古典ヨガの予備門と言う訳ですね。そして39才の時にアーサナ~プラーナヤーマ~メディテーションに於いて1秒か2秒の僅かな時間では有りましたがサマーディ(解脱)を体験しました。そしてこの時、私は明らかに「ヨーガ・スートラ」のヨガの8段階に沿っていました。
40才の時に私はインドへ行きラヒリ・マハサヤの曾孫のB・ラヒリさんと対話をしましたが、B・ラヒリさんは「ハタ・ヨガでは(サマーディ=解脱体験)は無理だろう」と言い、私は「プラーナヤーマで可能だと思います」と答えました。B・ラヒリさんはクリヤ・ヨガ、そして私はハタ・ヨガ。しかしハタ・ヨガにイマジネーションの羽の有る事に私はまだ気づいていませんでした。ハタ・ヨガは「ヨーガ・スートラ」のヨガの8段階の予備門で有ると同時に発展形でも有ったのです。ハタ・ヨガに有って「ヨーガ・スートラ」に無いもの、それは身体を重視する事とイマジネーションを重視する事です。
ハタ・ヨガが「ヨーガ・スートラ」の発展形で有る事を私が分かったのは後(のち)にタントラの勉強をしてからでしたが、佐保田鶴治さんは「ヨーガ根本教典」の「はしがき」で事も無げに語っていました。
歴史的にハタ・ヨガが「ヨーガ・スートラ」の発展形で有る事を、佐保田鶴治さんは「ヨーガ根本教典」の「ヨーガ思想入門」に書いています。これも、少し抜粋してみましょう。
ヨーガ・スートラという経典は、長い間にわたってサーンキヤ・ヨーガの思想発展の歴史のなかで現れた多くのテキストのなかの若干を紀元五世紀頃にある人が選び出して編集したものだと思われます。(ヨーガ思想入門)
ハタ・ヨーガ 、このヨーガの祖はゴーラクナートという名の聖者であるといわれる。この人は十三世紀の初めの頃にインドの北部で活躍し、シヴァ派に属するゴーラクナーティーという一派を開いた。~その後十六、七世紀になってスヴァートマーラーマは、「ハタ・ヨーガ・プラディーピカー」を書いてこの流派のヨーガを明快に紹介した。~ゴーラクナートの一派はシヴァ派の一派であるが、シヴァ神の妃シャクティを崇祀するシャークタ派と密接な関係にあって、インド教のなかの密教(タントラ)に属している。(ヨーガ思想入門)
ヨーガはいろいろな哲学理論と結びつくのですが、とりわけ、哲学思想の本流であるヴェーダーンタと結びつき、古典ヨーガの理論背景であったサーンキヤ哲学からは離れていきます。ハタ・ヨーガは明らかにヴェーダーンタを思想背景としております。(ヨーガ思想入門)
ヨガの中でのハタ・ヨガの位置づけがこのところの私のテーマでしたが佐保田鶴治さんはこの本で明快に交通整理していました。そしてシヴァ・サンヒターがハタ・ヨガ(タントラ)の経典なのに、タントラの土台となっているサーンキヤでは無くヴェーダーンタ思想で語られている理由にも納得させられてしまいました。佐保田鶴治さん、恐るべし。
平河出版社発行、佐保田鶴治著の「ヨーガ根本教典」を私は31才の時に読みました。この本は「ヨーガ・スートラ」と「ハタ・ヨーガ・プラディーピカー」を解説しているのですが「ヨーガ・スートラ」は古典ヨガの金字塔、そして「ハタ・ヨーガ・プラディーピカー」はハタ・ヨガの経典です。佐保田鶴治さんには平河出版社発行の「解説 ヨーガ・スートラ」が有りますのでヨガの8段階に夢中だった私はこれを何度か読み返しましたが、その為に「ヨーガ根本教典」は読み返していませんでした。
今回「ヨーガ根本教典」を読み返して見ましたらびっくり。この本の本編は「ヨーガ・スートラ」の解説と「ハタ・ヨーガ・プラディーピカー」の解説なのですが、本編の前の「はしがき」と「ヨーガ思想入門」にそのびっくりの記述が有ったのです。少し抜粋してみましょう。
ここに解説をつけて訳出した二つの教典はそれぞれ古典ヨーガとハタ・ヨーガの根本教典であります。この二つのヨーガは互いに相補う性格のものであると同時に、各自独立のものでもあります。相補うという面からいえば、ハタ・ヨーガの方は、古典ヨーガの予備門であります。体操や呼吸の練習はめい想のための好い条件を作るのであります。しかし、ハタ・ヨーガは独立の面をもっております。この面でのハタ・ヨーガは、古典ヨーガのさらに発達した形態であります。ハタ・ヨーガはヨーガの密教であります。仏教でも、インドで発達した最後の段階は真言密教でありました。ヨーガもハタ・ヨーガに至って密教化したのです。仏教の分類になぞらえていえば、ヨーガ・スートラの説く古典ヨーガは顕教ヨーガ、ハタ・ヨーガ・プラディーピカーの説くハタ・ヨーガは密教ヨーガであります。(はしがき)
私も長年の間、ハタ・ヨガは「ヨーガ・スートラ」のヨガの8段階のうちアーサナとプラーナヤーマを強調したものだと思っていました。古典ヨガの予備門と言う訳ですね。そして39才の時にアーサナ~プラーナヤーマ~メディテーションに於いて1秒か2秒の僅かな時間では有りましたがサマーディ(解脱)を体験しました。そしてこの時、私は明らかに「ヨーガ・スートラ」のヨガの8段階に沿っていました。
40才の時に私はインドへ行きラヒリ・マハサヤの曾孫のB・ラヒリさんと対話をしましたが、B・ラヒリさんは「ハタ・ヨガでは(サマーディ=解脱体験)は無理だろう」と言い、私は「プラーナヤーマで可能だと思います」と答えました。B・ラヒリさんはクリヤ・ヨガ、そして私はハタ・ヨガ。しかしハタ・ヨガにイマジネーションの羽の有る事に私はまだ気づいていませんでした。ハタ・ヨガは「ヨーガ・スートラ」のヨガの8段階の予備門で有ると同時に発展形でも有ったのです。ハタ・ヨガに有って「ヨーガ・スートラ」に無いもの、それは身体を重視する事とイマジネーションを重視する事です。
ハタ・ヨガが「ヨーガ・スートラ」の発展形で有る事を私が分かったのは後(のち)にタントラの勉強をしてからでしたが、佐保田鶴治さんは「ヨーガ根本教典」の「はしがき」で事も無げに語っていました。
歴史的にハタ・ヨガが「ヨーガ・スートラ」の発展形で有る事を、佐保田鶴治さんは「ヨーガ根本教典」の「ヨーガ思想入門」に書いています。これも、少し抜粋してみましょう。
ヨーガ・スートラという経典は、長い間にわたってサーンキヤ・ヨーガの思想発展の歴史のなかで現れた多くのテキストのなかの若干を紀元五世紀頃にある人が選び出して編集したものだと思われます。(ヨーガ思想入門)
ハタ・ヨーガ 、このヨーガの祖はゴーラクナートという名の聖者であるといわれる。この人は十三世紀の初めの頃にインドの北部で活躍し、シヴァ派に属するゴーラクナーティーという一派を開いた。~その後十六、七世紀になってスヴァートマーラーマは、「ハタ・ヨーガ・プラディーピカー」を書いてこの流派のヨーガを明快に紹介した。~ゴーラクナートの一派はシヴァ派の一派であるが、シヴァ神の妃シャクティを崇祀するシャークタ派と密接な関係にあって、インド教のなかの密教(タントラ)に属している。(ヨーガ思想入門)
ヨーガはいろいろな哲学理論と結びつくのですが、とりわけ、哲学思想の本流であるヴェーダーンタと結びつき、古典ヨーガの理論背景であったサーンキヤ哲学からは離れていきます。ハタ・ヨーガは明らかにヴェーダーンタを思想背景としております。(ヨーガ思想入門)
ヨガの中でのハタ・ヨガの位置づけがこのところの私のテーマでしたが佐保田鶴治さんはこの本で明快に交通整理していました。そしてシヴァ・サンヒターがハタ・ヨガ(タントラ)の経典なのに、タントラの土台となっているサーンキヤでは無くヴェーダーンタ思想で語られている理由にも納得させられてしまいました。佐保田鶴治さん、恐るべし。