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ANANDA BHAVAN 人生の芯

ヨガを通じた哲学日記

新しい救急システム

2014年11月28日 | 日記
新しい救急システム

 伯母(私の母の姉)が99才で亡くなり、お葬式に行って来ました。亡くなった伯母には長女と長男が有り、長女には3人の息子が居ます。残念な事に長女は伯母より先に数年前に亡くなりました。そして長女と長男とは大変年が離れていましたので長男と長女の3人の息子達とは見た目には4人兄弟のように映りました。

 ところで私の従姉(いとこ)にあたる長女の次男には聴覚の障害が有ります。それで彼のお嫁さんの手話のお手伝いも得て会話をしたのですが私が彼に「僕の息子は消防で救急車の運転をしているよ」と言いますと彼は興味深い事を話し始めました。彼が1度救急車のお世話になった時に彼と救急士はうまく会話が出来なかったけれども、救急士が「大丈夫、大丈夫、落ち着いて」とお世話をしてくれたので彼は安心して病院まで搬送して貰えたと言います。これは結果としての良い話では有りますが、救急患者のお世話が救急士の力量に依存していて救急システムとしては確立していない事を示しています。私はこれまで聴覚障碍者や視覚障碍者の救急搬送について考えた事も有りませんでしたが、本人達にとってこれは待った無しのとても切実な問題です。

 次男君は大手の通信会社に勤務していますが、来るべき東京オリンピックに向けて新しい救急システムの開発に取り掛かっているのだと話を続けます。現在の救急システムは電話での会話で成り立っていますが、聴覚障碍者に向けた新しいシステムとして、携帯電話のメールのやり取りで救急搬送を出来るようにするのを目指しているのだそうです。メールには急病人の写真も添付出来ますから、救急士の判断の一助にもなりますね。そしてこの救急システムは地方自治体毎のものとはせず全国共通にする必要が有ると言います。それはそうですよね、救急患者と救急車を出す県とがまたがった場合にシステムが違うでは済まず命に係わる事にもなりますでしょう。

 次男君は更に、このメールシステムでは多くの外国語も使えるようにしたいと言いました。このメールによる救急システムが東京オリンピックまでに完成していれば、来日した多くの外国人にも対応出来ますし、もしかしたら聴覚障碍者だけでは無く健常な外国人にとっても電話での会話による救急依頼よりも便利になるかも知れません。

 次男君のこの新しい救急システムの計画を聞き、時代は既に間違いなく私の子供達の世代が引っ張っているのだと私は確信しました。

 そしてお葬式も終盤、棺に蓋が被せられます時に、99才で亡くなった母親の顔をじっと見つめ続けている長男君の目が大変印象に残りました。彼等夫婦は片道2時間を掛けて毎週この高齢者施設の母親を見舞っていたそうです。時間が掛かるしお金も掛かる、なかなか出来る事では有りません。



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無線LANの復活

2014年11月21日 | 日記
無線LANの復活

 先月の上旬にうちのPCが故障し、その結果としてPCは無線LANを使えなくなってインターネットのケーブルを直接PCに接続して使うようにしましたので我が家の無線LANのルーター(親機)は用済みとなっていました。ところがここへ来て再び無線LANのルーター(親機)がPCとは別の用途で使えるようになりました。

 最近うちではスマホを買いました。電話やメールは従来のガラケーで十分ですし、何よりもスマホを見るのにいちいち老眼鏡を掛けるのが面倒、更にはスマホを買えば月々6000円以上の追加の費用が掛かるのでスマホを買う気持ちは全く無かったのですが、ちょっとした問題も発生していました。今年の6月に熊本の実家の母が高齢者施設に入居し、東京の郊外に住む3人の子供達(と言っても爺さん婆さん)が入れ替わりに帰省しては留守宅に泊まって母の居る高齢者施設へ面会に行くようになりました。そして留守宅は完璧なアナログ世界ですので、例えば自宅でインターネットを使って購入した航空券で熊本へ往復する際に突然母の様子に変化が起こりますと熊本滞在の日程が変更になりますし、そうしますと買っておいた帰りの航空券をキャンセルし、また新しい航空券を購入する事になりますので、どうしても熊本にインターネットの環境が欲しいのですが留守宅にPCを買ってインターネット環境を作るのも難儀な話ですし、ここはスマホの出番のようです。

 「スマホは高いよね」と妻と話していますと、妻の友達が最近SO-NETと言うスマホを買ったのだが月々の使用料は3000円、しかもそのうちの1300円はスマホ本体の割賦返済料金で24か月払い、そしてそれが終了するとSO-NETの使用料はわずか1700円になるのだと言います。これならうちでも買えそうですので、うちでもSO-NETのスマホを買う事にしました。電話とメールは従来通り妻も私もガラケーを使い、スマホは妻と私の2人で1個持ちにしておいて私が熊本へ帰省する時にはスマホは私が持つようにしよう。

 ネットの通販でSO-NETのスマホを注文しますとすぐに送って来ました。スマホの設定は妻がやりましたが、インターネットはWi-Fiを使わない設定にしました。試しにGoogleで航空会社を検索しますとすぐに会社のホームページが現れ、これなら何処ででも航空券のキャンセルや新規の購入も出来そうです。

 そしてそうこうしていますと、今度はテレビが壊れました。9年前に32万円で買った37型のテレビですが、これは2年前に故障し、その時はメーカーに来て貰って修理をして1万7000円支払いました。今回メーカーに部品が残っていなければテレビは治らず出張費だけ払う事になるかも知れない。ヤマダ電機に電話をして相談しますと、「最近ではテレビも随分安くなっていますし、買い替えをお勧めします」と言い、また、今は37型はどこのメーカーも作っておらず買い替えは40型になるのだと言われました。

 翌日妻とヤマダ電機へ行きテレビ売り場を見ますとテレビの安い事、ソニーの40型で6万円と表示してあります。これは9年前の5分の1の値段ですし、更にはシャープの40型なら5万円。「この1万円の差は何ですか」と聞きますと、シャープの40型はテレビ機能だけ、一方のソニーにはインターネットの機能が付いていると説明されました。「おうちに無線LANのルーターが有れば、ルーターの側面のボタンを押すだけでインターネットに繋がりますよ」、これで決まり。私達はソニーの40型を買いました。現在PCに接続しているケーブルを抜いて無線LANのルーター(親機)の一番下に接続、そして新たにケーブルを買ってそれをルーターの上部に差してPCに接続すればPCのインターネットも従来通りに使えると教えてくれますのでケーブルも買って帰りました。

 翌日テレビがうちに届き、設置や配線を終わると配送の青年達はそそくさと帰って行きました。「余程に忙しいようだね」と話しながら私は休眠させていた無線LANのルーター(親機)を再度設置し、妻はテレビよりも先にスマホの「Wi-Fiを使う設定」を開始します。苦戦の結果翌日にはうちのスマホはWi-Fi対応になり、妻が検索しますと「実感としてスピードアップしている」と言います。

 翌日に妻はテレビのインターネット化を始めましたが、わりと簡単に設定を終わりました。スマホもテレビも無線LANのルーター(親機)とペアリング(マッチング)しなければならないのですが、スマホにしてもテレビにしても勝手に電波の強いうちのルーターを探し出してくれるそうで、スマホもテレビもうちのルーターを選んだところでルーターの側面のボタンを長押ししますとルーターとペアリング(マッチング)が出来ました。

 妻の娘夫婦から「部屋の中に無線LANの環境を作っておくと何かと便利ですよ」と言われていたのですが本当にその通りで、うちではPCを除くスマホとテレビの為に無線LANがWi-Fiとして復活したのでした。



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妻の年金

2014年11月14日 | 日記
妻の年金

 妻が60才になりましたので2人で年金事務所へ手続きをしに行って来ました。正確には年金事務所の市の分室とでも言うのでしょうか、駅の近くに有り8年前に私の年金の手続きをしに行ったビルから別のビルへ引っ越してはいましたが、やはり駅から歩いて行けて便利、わざわざ隣接する市の事務所へ出向く必要も無く助かります。エレベーターで分室のフロアに上がりますと以前のビルよりも面積が広くなっており、以前はオープンなカウンターでの応対でしたが目隠しの有るブースに変わっていてブースの数もずっと増えていました。8年前にはまだ「消えた年金」問題がくすぶっていて事務所も大変な混雑でしたが今回は問題も落ち着いていて、あまり待つ事も無くブースへ呼ばれました。

 担当のおばさんは見た所間違い無く60才は過ぎていると思われる人でしたが妻の提出した書類にてきぱきとボールペンでチェックを入れながらパソコンにデータを打ち込み、おばさんが振り返りますとそこには大きなプリンターが有って妻のデータがすぐにプリントアウトされました。厚生年金基金は少額なので年に1度の支払いになる事、また厚生年金も少額ながらこちらは2ヶ月毎の支払いになり、どちらも来年の2月から支払いが開始になるとの説明のあと、本題の国民年金に話は移ります。国民年金については妻は65才からの支給が基本形で、その金額は現在私が受け取っている厚生年金のうちの国民年金に相当する部分とほぼ同額になります。私はここでほっと安心したのですが、年金制度にはずるい仕掛けが組み込まれていました。

 63才からでしたでしょうか、私の年金に配偶者向けの加給年金が月に3万円程追加されました。この年から介護保険料がそれまでより格段に増額されましたのでこの加給年金は助かります。ところが、ところがですよ、おばさんの説明では妻が65才になりますと私の3万円の加給年金は消滅し、その代わりに妻に対して月に3千円位の振替加算額が支払われると言うのです。私の年金と妻の年金を足して家計として通算しますと妻の国民年金が開始になっても家計は2万円程のプラスにしかならないのです。月に3万円程の加給年金については私も支給されるまでは知りませんでしたので、これは減らし易い所から黙って減らしてしまえと言う厚生労働省の罠のような仕掛けですよ。妻の考えは私とは違って、妻が国民年金を支給されるようになったら私への加給年金が消滅するのは当然だと言いますが、私は夫と妻の年金は足し合わせるものだと思いますし、更には所得税の対象にもならない金額の妻の年金からも介護保険料は引き落とされるそうで、もし妻が年金の支給を60才からに繰り上げますと介護保険料も60才から引き落とされるそうで、どうにも身動きの取れないがんじがらめの制度では有ります。

 夫がサラリーマンで妻は専業主婦だった家庭の方々はこのような制度に黙って納得されているのでしょうか。私自身の年金も年毎にじわじわと減らされていますのに、年金制度には伏魔殿と言う表現がなんだか良く似合うような気がします。

 ところで今回、私はどうしても教えて欲しい事が有りました。私がこの世からおさらばした後の妻の年金はどうなるのかと言う事です。

 おばさんは大変分かり易く教えてくれました。先ず、妻の国民年金と厚生年金基金と厚生年金はそのまま残ります。そしてその上で、私の厚生年金の報酬比例部分の4分の3が引き続き妻には支給されるのですが、報酬比例部分の4分の3からは妻が受け取っている厚生年金基金と厚生年金の金額が差し引かれます。妻が1人暮らしになれば食費も光熱水費もいくらかは少なくなるでしょうから、これならば妻もなんとか生きて行けるのだと少しばかり安心しました。

 定年退職します時に厚生年金だけでは暮らしがかなりきついと考えた私は、退職金の一部を企業年金に当てて貰いました。企業年金は私が生きている限り支払われますが、私が80才を過ぎて死にますと打ち切られる事になっています。結局、私が死にますとこの企業年金の消滅部分が妻には一番こたえるのだと改めて良く分かりました。

 結論、私が出来るだけ長生きする事です。



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リゾート・ウェディング

2014年11月07日 | 日記
リゾート・ウェディング

 私の下の娘は昨年の7月に入籍したのですが結婚式はまだでした。そして入籍から1年以上経った今年の10月28日に娘達夫婦は沖縄で結婚式を挙げる事になりました。新郎新婦と親子兄弟だけでのリゾート・ウェディングです。昨年の5月に新郎君の父上に、国民の2人に1人は罹ると言われている病気が発覚し、治療は順調に進んでいたようなのですが副次的な症状が現れてその施術次第では新郎君のご両親が欠席になる懸念も有りましたが、父上の施術も前倒しして経過も良好、式の数日前に新郎君のご両親の参加が決定し、新郎君のご両親と彼の弟、そして私の娘については私達夫婦と彼女の姉と兄全員の参加が確定、直前までハラハラしましたが総勢9人が沖縄へ向かう事になりました。

 娘達夫婦は相談して夫々の両親については娘達夫婦が無料で招待してくれ、兄弟達については旅費とホテル代は実費負担での参加と決まりました。出発の10日程前にツアー会社から封書が届き、中には往復の航空チケットとホテルの宿泊券、そして満タン返し不要のレンタカー券が入っていました。

 10月27日に娘達夫婦と新郎君の家族とうちの家族との3組は夫々別便で沖縄へ向かい、うちの家族はお昼過ぎに那覇空港に到着しました。私達は空港内で昼食を済ませて空港内のツアーデスクへ行き、美ら海水族館のチケットを買ったあとレンタカーにはどこで乗るのかを聞きました。私達4人が指示された場所へ行きますと小型のバスが待っていて私達をレンタカー事務所へ連れて行きます。運転担当の私の息子がカウンターの女の子の説明を聞きます。この子は何も分かっておらず「車は満タン返しです」と言いますので私が異議を唱えて事情を説明しますと彼女は「満タン返し」を撤回しましたが続けて「2万6000円いただきます」と言います。今度は私の娘が異議を唱えて事情を説明、これも撤回して貰いました。私はカウンターの女の子に沖縄の地図を見せ、自分が今何処に居るのかが分からない、ここから高速道路の那覇インターチェンジまでの道を示して欲しいと言いますと彼女は地図を覗き込み、次に「?」の表情になり、そして「カーナビを使われたらどうですか」と答えました。息子が彼女からカーナビの使い方を簡単に教わり、私達はやっとレンタカー事務所を出発しました。

 息子がカーナビを聞きながら運転し、私は助手席でロードマップの現在位置を確認しながら、私達の車は無事に沖縄自動車道の那覇インターチェンジに入りました。私は日頃カーナビを使うような運転はしていませんが、カーナビって便利ですね。

 那覇空港から美ら海のホテルまで北へ約100km、殺風景な高速道路を走り抜けると左に海を見ながら地道を走り、私達がホテルにチェックインしたのは夕方の4時でした。レンタカーの事務所で時間を取り過ぎたようです。私達は早速美ら海水族館へ向かいました。水族館は午後4時を過ぎますと入場料が1850円から1290円に割引になるそうで、私がチケットを出しますと差額のお金を返してくれました。

 水族館では世界最大級の水槽「黒潮の海」が圧巻でした。複数のマンタやジンベエザメが悠々と泳いでいる様は私達大人をも癒してくれます。私の娘も息子も飽きる事無くこれを見上げていました。そして水族館を出ますと無料のマナティー館やウミガメ館やイルカのプールが有ります。私はマナティー館のマナティーには癒されてしまいました。そしてイルカのプールではイルカと飼育員が明日の為の練習をしているところでした。

 夜になりますと明日は結婚式ですので両家は別々に前夜祭の食事会をして盛り上がりました。

 10月28日、今日は結婚式の当日です。結婚式は午後1時30分からですので午前中は余裕が有ります。ホテルの窓から外の景色を見ていますと左側の奥に小さな島が見え、島には長い橋が架かっています。私が「あの橋を渡って、向こうから橋の写真を撮ろうよ」と提案しますと皆も賛成してくれ、息子の運転で島へ向かいました。長い橋を渡ってなおも走りますと「ビーチはあちら」の標識が有りますので私達はそのままビーチへ向かいました。ビーチの手前は突き当りになっており、車を道路の左に寄せて駐車して車を降りてビーチに出ますと、まあビーチの綺麗な事。目の前には180度に海が展開しており、海の手前側はエメラルドグリーン、そしてその向こうは濃い青色にくっきりと分かれています。デジカメをどちらに向けても美しく、どこを撮って良いやら分からない程でした。ビーチには私達4人の他に誰も居らず、橋の写真を撮るどころの話では有りません。あとで調べて見ますとこの島は瀬底島と言い、ビーチは瀬底ビーチと言うのだそうです。さて、車に戻ってビーチを離れますと、ちょっと小高い所に沖縄式の墓所が有りました。墓所は1区画が広く、家族が集まって宴会でも出来そうなスペースが有ります。恐らくご先祖様の前に家族達が集まり、賑やかにご先祖様のお祀りをしているのでしょう。観光コースをちょっと外れますと、こう言ったディープな沖縄を発見出来るようで、私の娘も息子もこの墓所の前に立ち、しばらく雰囲気を味わっていました。

 さて、ホテルに戻った私達は軽い昼食を済ませて礼服に着替え、午後1時にホテルのウェディングサロンへ行きますとスタッフが私達を控室へ案内してくれました。

 控室には既に新郎君のご両親と弟君が入っています。私達夫婦は今年の1月に新郎君の母上にはご挨拶を済ませていましたが、ここで改めて両家の家族の挨拶紹介となりました。新郎君の父上は血色も良く私も安心しました。父上と野球談議等をしていますとスタッフの女性がやって来て、「ご新婦様のご両親に少し時間をいただきます」と言います。娘のウェディングドレス姿を見せてくれるのかと廊下に出ますとスタッフの女性は「ここでお父様にはバージンロードの進み方を覚えていただきます」と言い、妻を新婦に見立てて即席の練習をさせてくれました。

 やがてスタッフの女性は控室の私達を先導して屋外へ出、海に面した「白の教会」と言うチャペルへ案内してくれます。スタッフの女性が「お父様とお姉様のお二人は先にお願いします」と言いますので2人で皆より先にチャペルへ行きますとチャペルの扉の前に小さな控室が有ってそこには新郎新婦が待機しています。

 ここで新婦は意外な事を私に言いました。「このウェディングドレスね、ママが結婚式で着たドレスだよ。一切手を加えないで着られたんだよ。今日までこの事は黙っていたの、サプライズにしようと思って」。いやいや、これはサプライズです。私と亡き妻との結婚式から41年を経て新品同様、言われるまで私は気付きませんでした。新婦のウェディングドレスはトラディショナルでカトリック調、一方新郎の服はポップなのですが2人が並ぶとこれが良く調和します。これは亡きママの心からのプレゼントでした。新婦の姉は新婦の顔にヴェールを掛けると皆が待っているチャペルへ先に入って行きました。

 先ずは花婿がチャペルに入って花嫁を待つ。次に花嫁と花嫁の父がバージンロードを進んで私は娘を花婿に託す。牧師さんはアメリカ人と思われる白人のおじさんでした。総ガラス張りのチャペルでの結婚式は、私が言うのもなんですが、エメラルドグリーンの海と真っ青な空に包まれての厳かながらも穏やかで温かい、素晴らしい結婚式でした。

 式も終わりカメラマンの写真撮影も終わると私達は夫々ホテルの部屋に戻って元のラフな服装に着替えました。

 その夜は美ら海の近くのフクギ並木の中に有る沖縄民家敷地内の居酒屋で両家が揃っての夕食会、ここで皆がいっぺんに仲良くなりました。夕食会が終わりますと親達はホテルの部屋に戻りましたが、若い諸君はそれからホテルのカラオケへ行って深夜遅くまで盛り上がったそうです。

 10月29日、花嫁の娘とは昨夜でお別れ。若い諸君が昨夜遅くまで盛り上がったようなのでホテルのチェックアウトは少し遅めにしました。妻の友達が「沖縄に行くなら国際通りの公設市場に行くと良いよ」と教えてくれていましたので息子の運転で国際通りへ向かい、市場通り近くの駐車場に車を停めて私達4人は牧志公設市場に入って見ました。市場では惣菜やらお菓子やら精肉やら鮮魚やらが売られており、鮮魚売り場では押しの強いおばさんが「ここで魚を買うと2階のお店で料理して出してくれるからそうしようね、この魚とこの魚とこのエビ、刺身とアラの味噌汁、から揚げのあんかけと、エビは塩胡椒での揚げ物にしようね、ここで1人1500円、2階のお店には1人500円の手数料を払ってね」と、どんどん話を進めます。要領の分かっていない客にいちいち意向を聞いてはいられないのでしょう。お金を払いますとおばさんが私達を2階のお店へ連れて上がります。

 刺身はちょっとがっかり、あんかけは美味しい、そして車エビ(ブラックタイガー?)はプリプリしていて一等賞でした。

 昼食を終えて私達は首里城観光をしました。守礼の門、園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)、正殿と歩きましたが、正殿はガイドブックを見て想像するよりも随分小さく、また床板も薄く感じられ、いくら観光地と言っても入場料の820円は高過ぎると思いました。首里城観光が終わる頃、息子の顔色が悪くなってきました。昨夜の盛り上がりの疲れが急に出たようです。「どこかの喫茶店で少し休もう」と守礼の門近くのレストセンターで聞いて見ますと、通りを渡って狭い石畳の道を少し下ると真珠(まだま)と言うお店が有ると言います。私達は真珠(まだま)で休憩を取りました。ここのマスターは品の良い親切なおじさんでした。息子の体調も戻り、これからレンタカーを返す時間までどうしようかと思い、「ここからひめゆりの塔までどのくらい掛かりますか?」と聞きますとマスターは「自分なら40分で行きますよ」と答えてくれました。「よし、ひめゆりの塔へ行こう」。

 ひめゆりの塔の石碑の前には地下壕が有り、その痛々しさに娘と息子は深い印象を受けたようです。2人は資料館にも入って行きました。ここで、ひめゆりの塔は修学旅行生達の群ばかりで大人の訪問者が大変少ない事に私は気が付きました。大人と言えば売店のおじさんおばさんばかりで、これは淋しい、とても淋しい事です。売店のおじさんに「海を見たい」と言いますと、10km程走ると平和祈念公園が有るのでそこで見ると良いと教えてくれました。公園の平和祈念の塔から遠く海は見えました。海には今にも艦砲射撃が始まるかのような迫力が有り、同じ色なのに美ら海とは全く別の世界でした。

 さて、こうして下の娘のリゾート・ウェディングはめでたくお開きとなりましたが、私はリゾート・ウェディングの良い所を見付けました。一般の結婚式ですと両家の親族は控室で形だけの挨拶をし、披露宴ではお互い遠いテーブルに付きますので顔や名前を覚えるのも大変ですが、リゾート・ウェディングですと両家の親族はいっぺんに仲良くなります。私の時代の結婚式よりも最近の結婚式の方が良い方向に進んでいるようですし、私の時代は「結婚式は家と家、結婚生活は核家族」と言う、いわば時代の過渡期だったのでしょう。










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