ANANDA BHAVAN 人生の芯

ヨガを通じた哲学日記

3度目のインド その1

2014年03月28日 | 日記
さあ、行こう

 1981年の3月と1987年の8月の2回、私はインドへ行き、そしてインドに魅了されました。初回は1人旅で、奇跡的とも言える偶然によって日本人として初めてラヒリ・マハサヤのお寺を訪問出来、そこでラヒリ・マハサヤの孫のサットヤ・チャラン・ラヒリさんに面会しましたし、2度目は当時小学校の6年生だった息子と2人で旅行し、その時はラヒリ・マハサヤのお寺には2度目の訪問をし、更に日本人として初めてラヒリ・マハサヤのお家も訪問出来ました。その年の1月にラヒリ・マハサヤの孫であるサットヤ・チャラン・ラヒリさんは83才で亡くなられており、ラヒリ・マハサヤの曾孫にあたるシベンドゥ・ラヒリさんは公務員を辞めてお寺の御当主になられたばかりで、50才ばかりに見えるシベンドゥ・ラヒリさんにはまだ俗気が残っていました。ですから、あのシベンドゥ・ラヒリさんはうまくラヒリ・マハサヤのお寺を継承されているのだろうかと気にもなりますし、ああ、もう1度インドへ行きたい、そしてもう1度ラヒリ・マハサヤのお寺を訪問したいと言う気持は私の中にずっと有りました。

 それでも私はなかなかインドへ行こうと言う気持にはなれないでいました。今度インドへ行くとしたら妻と2人での夫婦旅行になるだろうし、妻にとっては初めてのインドですから、あのインドの匂いに妻は耐えられるだろうか、インドの食事が妻に合うだろうか。そして更にお金が有りませんから以前のような個人のオリジナル旅行は出来ず、どうしてもパッケージツアーになってしまう。そうしますと折角ヴァラナシ(ベナレス)へ行っても通常の観光コースしか回れず、ラヒリ・マハサヤのお寺をスルーしてしまうのは悔しくて耐え難く、それならインドへは行かない方がまだましだ。

 しかし妻には人生で1度はタージ・マハールを見て欲しいと言う思いも私には有りました。普通の観光地の場合は写真で見るよりも実物の方は小さく見えるのですが、タージ・マハールの場合は写真で見るよりも実物の方がはるかに大きいのです。1981年にタージ・マハールへ行った時に私はヒンドゥーイズムに夢中でイスラムには全く興味が有りませんでした。しかし2010年の11月に夫婦でトルコ旅行をした後には私達のイスラムへの偏見も消滅していました。イスラムもなかなか良いじゃないか、タージ・マハールは一見の価値有りだよ。

 トルコ旅行をした旅行社からは定期的にしつこく旅行案内誌が送られて来ていました。私はそれを無視していたのですが、去年の10月に送られて来た案内に私は魅力的なインドツアーを見付けました。満月の日とその前後の3日間は人数限定で夜のタージ・マハールへの入場が許されて月明かりに浮かぶタージ・マハールを鑑賞出来ると言うのです。ツアーは7日間で、夜のタージ・マハールへ入場出来るコースの出発日は今年の3月11日と書いて有ります。

 不思議な事に、丁度このツアーに参加出来るだけのお金が去年出来ていました。「このツアーに参加しようよ、ラヒリ・マハサヤのお寺については旅行社に相談してみて、駄目だったら諦めるから」と私は妻を説得し、妻も行きたいと言ってくれました。早速旅行社に電話をしてこのツアーを申込み、「実はお願いなのですが、ツアーの2日目にヴァラナシへ行きますよね。サルナート観光からヴァラナシへ戻って夜の観光をする間、現地ガイドのお友達にでもお願いしてラヒリ・マハサヤのお寺へ私を案内して欲しいのですがどうでしょうか、お寺の住所も手許に有りますし、現地ガイドのお友達は日本語が駄目でも英語が話せればOKですから」と言いますと受付の女性は「それはお受け出来ません、現場でのツアー離脱は認められていません」と軽く私を突き放してくれました。がっかりですが規則なら仕方が有りません。

 年が変わってビザの取得を旅行社にお願いしました。お金は掛かるけれど手続きが面倒なのです。前回も前々回もインドへの入国にビザは必要有りませんでしたが、世の中が物騒になっているのでしょうか。そして出発の4日前の3月7日に旅行社の添乗員の男性から挨拶の電話が入りました。和木さんと言う名の添乗員は日程表の読み合わせをしてくれ、アドバイスも3つ4つしてくれます。「他に何か有りますでしょうか」と和木さんが言いますので私は思い切って再度切り出して見ました。「2日目はヴァラナシに宿泊ですよね。私はこれまで2回インドを訪問し、2回ともヴァラナシでラヒリ・マハサヤのお寺を訪問しました。ガンジス河沿いに久美子の家と言うのが有りますでしょう、お寺はその裏あたりでしたし、宿泊予定のヒンドスタンホテルはガンジス河に近いようですから十分に歩いて行けます。現地ガイドのお友達にお願いして私をお寺まで案内してくれませんか?」。和木さんは「良いですよ、私と現地のガイドはツアーから離脱出来ませんがガイドにお友達をお願いしてみましょう、それなりのお礼は必要になりますが。ただ、お約束は出来ません。現地のガイドがどんな人か、また現地での事情によっても状況は変わりますから」。私の全身の血管がその時一斉にバッと開きました。インドの匂いや食事に妻は耐えられるだろうか、また私自身が他の国なら兎も角、インドでのパッケージツアーに我慢が出来るだろうかとの不安も有ったのですが、それらの不安は一気に吹き飛び、私の体にはやる気がモリモリと湧き上がって来ました。「ラヒリ・マハサヤは私を受け入れてくれたのだ」との確信を私は強く覚えました。

 「今回のツアーのメンバーは21人で、ほぼあなたと同じくらいの年齢の人達ですからご安心下さい」と和木さんは言って電話を切りました。「ツアーに若い人達が居ると活気が出るから良いのにね」と妻と私は笑いました。

 3月11日の早朝、6時10分にタクシーを呼び、6時50分発のリムジンバスに乗り、私達は9時30分には成田空港に着きました。旅行会社の集合場所では和木さんが待っており、私は重ねて「ラヒリ・マハサヤのお寺の件、お願いしますよ」と念を押しました。出国手続きを済ませて免税売店で私は煙草のフィリップモリスを1カートン買いました。普通に買えば4100円なのですがここでは2500円で買えます。4月からの消費税増税に対してこれは有効です。私はまたシングルモルト・スコッチのグレンリヴェットの1L瓶を1本買いました。インドではなかなかお酒は買えないのでここで買っておくのです。結局私はグレンリヴェットを100ml程最後のホテルの部屋に残して帰国する事になります。

 11時35分に出発した私達のボーイング777は上海のあたりから中国の上空に入り、武漢、昆明の上空を通過し、ダッカ、ヴァラナシの上空を越えて、9時間30分でデリーのインディラ・ガンジー空港に着陸し、現地ガイドのバルマさんと言う男性が用意したバスでホテルへ向かい、翌日の為に宿泊しました。ホテルの部屋では乾期のインドには珍しい雷雨を確認しながら眠りに就きました。時差は3時間30分でした。






コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 知識の価格破壊 | トップ | 3度目のインド その2 »

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事