ANANDA BHAVAN 人生の芯

ヨガを通じた哲学日記

3度目のインド その3

2014年04月11日 | 日記
カジュラホ

 3月13日、私達は朝の5時半にホテルを出ました。早朝のガンジス河観光の為です。メインの通りは昨日の混雑が嘘のように空いていて、昨日私達がサイクルリクシャを降りたあたりにバスが到着するまではあっと言う間でした。私達がバスを降りて少し歩きますとガンジス河はすぐでした。まだ日は昇っておらず、あたりはまだ暗かったのですが、もうインドの人達は沐浴を始めています。ダサーシュワメドガートには昨夜の電飾のアーチが静かに佇んでいました。そしてあたりが少し明るくなって来ますと私達は船外機の付いた大きな白塗りのボートに乗り込みます。ここでは手漕ぎの小さな舟が一般的なのですが私達の一行はガイドも含めて23人も居ますので、こう言った大きなボートが用意されているようです。

 33年前に私は現地ガイドのシンさんと2人で小舟を貸切りにしましたし27年前には私と息子とシンさんの3人で小舟を貸切りにしました。初回に私は小舟から手を伸ばしてガンジス河の水をすくって見ましたが2回目には思い切って沐浴をしました。今回はボートが大きいので手を伸ばして水をすくう事は出来ません。

 ヴァラナシではガンジス河は南から北へ流れています。ダサーシュワメドガートはガート群の中央より少し北側に有り、ボートはそこから出発して南へ進みました。昨夜ラヒリ・マハサヤのお寺へ歩いて向かったコースをボートで進むのですが、妻と2人で「ここも有った、ああ、ここも有ったよ」と確認していますとボートはチョウサッティガートの前に来ました。バルマさんはツアーの一行に昨夜私達夫婦がここを登って懐かしいお寺へ行ったのだと紹介してくれます。その先の右側には久美子の家が有りました。

 33年前に初めてラヒリ・マハサヤのお寺へ私を案内してくれたホテル・クラークスのマズムダールさんはお寺を出ると私を久美子の家へ連れて行きました。久美子の家のご主人は久美子と言う日本人女性と結婚してここで宿泊施設をやっていましたが、ご主人の妹はサットヤ・チャラン・ラヒリさんの息子と結婚しているのだと教えてくれたものです。ですからこれからラヒリ・マハサヤのお寺を訪問したい方は、この久美子の家へ行けば案内してくれるかも知れません。

 久美子の家の前でボートはUターンして今度は北へ進みます。そしてボートの右に日が昇って来ました。ヴァラナシではガート群はガンジス川の西側だけに有り、ガンジス河の東側には何も有りません。ですから太陽は何も無い自然の平地から現れます。私達が朝日を眺めていますとボートはダサーシュワメドガートを過ぎて、ガート群の一番北に有るマニカルニカガート(火葬場のガート)の前に進みます。ガートでは4体の死体が組み上げられた薪の上で火葬されていて、2体からは大きな炎が勢いよく燃え上がっており、他の2体は焼き終わりに近づいているようで、煙だけが立ち昇っていました。ここは撮影禁止です。同じガンジス河のガートで洗濯をし沐浴をし、そして火葬をして灰を流します。こう言った光景は日本では考えられません。

 ダサーシュワメドガートに戻った私達はボートを降りました。すっかり明るくなったガートでは多くの人達が沐浴しています。私達の目の前ではスワミ・シバナンダを思わせる体格のおじさんが奥さんと一緒に沐浴するのですが、おじさんがどんどん前へ進みますので奥さんが「もうその辺にして下さい」と引き留めています。ガートには小さな桟敷がいくつか設けて有り、桟敷にはバラモンが坐っていて客に何かを教えていました。

 早朝のガンジス河観光を終えた私達は一旦ホテルへ戻って朝食を取り、それからホテルをチェックアウトしてヴァラナシの飛行場へ向かいました。33年前に買ったガイドブックには「カジュラホはデカン高原北部の片田舎にある小村で有る」、そして「カジュラホは鉄道も通わぬ山の中に有り、アグラ、ヴァラナシから飛行機か、ジャンシー、サトナからバスで入る」と書いて有って、現在もその状況は変わっていないようです。私達はこれからカジュラホへ飛行機で行くのですが、これは贅沢では無く、他に方法が無いのです。

 ヴァラナシの飛行場で搭乗を待つ間、少し時間が有りました。私は飛行場で小さな本屋を見つけ、ひやかして見る事にしました。本屋には雑誌や観光書や小説の本が並んでいますが、奥にはマハーバーラタ、バガヴァッド・ギーター、ラーマーヤナ、ヴェーダが有りました。本屋では青年が店番をしていますので、「サーンキヤ・カーリカーは有りますか?」と私が聞きますと青年は「何それ?」と言う顔をします。話題を変えて私がバガヴァッド・ギーターを指差して「僕はギーターを5、6回は読んだよ」と言いますと青年は自分のスマホを見せてくれ、「これにはギーターをチャプター毎に入れてあって暇を見てはギーターをスマホで読んでいる」と言います。私は青年に「良い物を持っているね」と言ってお店を出ました。

 私達のボーイング737は荒野の上を飛び続け、40分でカジュラホに着陸しました。カジュラホではガイド免許の関係でマニスさんと言うガイドが付いて私達を案内します。カジュラホはヒンドゥー寺院の壁に彫刻されたミトゥナ像(男女交合の像)で世界に知られています。マニスさんは面白おかしく案内してくれ、私はミトゥナ像の写真を15枚程撮りました。

 ミトゥナ像は難解な体位の連続ですので、3つ4つご紹介しておきましょう。先ず、男性と女性が向かい合って抱き合っており、女性は左脚で立って右脚を男性の太ももに組み付けています。男性も左脚1本で立っているのですが、あれっ右脚は何処?よくよく見ますと男性は女性のお尻のあたりに右脚を組み付けていました。次に女性が向こう向きに立っていますが、お尻から太ももへの曲線の見事な事。石像なのにこのリアリティは何だ。次のは何が何だか。女性が首と両肩で支える逆立ち(ヨガのサルヴァンガ・アーサナ)をして両脚を水平に広げ、男性は女性と上下対称の形で女性の上に乗って居ます。これはいくら何でも無理だろう、天井から床を見下ろしている構図なら納得出来ますが、それでも最高難度の技です。ユーモラスな像も有りました。3頭の象の頭がこっちを向いていますが、左の象の頭は左を向いていてその視線の先では女性が膝を曲げずに立ったまま上体を前屈して両手で両足首をつかみ(ヨガのパダハスタ・アーサナ)、男性が後ろから行為していて、象がそれをチラ見していました。ベルギーには小便小僧が有りますがカジュラホには放尿婦人が有りました。寺院の角に女性の立像が有り、陰部のあたりに丸い穴が開いていて、そこから水を流していたのだと言います。ここまで来ますとカジュラホの性表現の奔放な事に脱帽です。

 さて、シヴァ神の側には女性が立っており、女性の太ももにはサソリが這っています。ガイドのマニスさんが「サソリ座の女性はとても魅力的で素敵です、ですからシヴァ神にはサソリ座の女性が一番相性が良いとされています、この中にサソリ座の女性は居ますか?」と訊ねました。マニスさんが「あなたですか?あなたですか?」と聞き進めますと「私は違う、私は違う」と順番が来て妻が「はい、私サソリ座」と答えますとマニスさんは更に「サソリ座の女性には射手座の男性がぴったりです」と言い、私が「僕、射手座」と言いますとその場が大いに盛り上がり、私達夫婦を祝ってくれました。マニスさんは私に「あなたはとても幸せ者ですよ」とたたみかけました。

 それまで私達は「愛人関係?苗字が同じだから夫婦?それとも親子?」と話題になっていたようで、私にとっては大変失礼な話です。

 カジュラホへ来る前、ミトゥナ像はサーンキヤ哲学のプルシャ(精神原理)とプラクリティ(物質原理)の接触を表現しているのだろうと私は考えていたのですが、現場へ来て実物を見ますとそのような抽象世界は吹き飛んでしまい、そこにはただ肉欲がこれでもかと迫っていました。強いて言うなら「性交の気持ちよさは菩薩の位である」と言う理趣経の世界に一番近いのでしょうか。

 カジュラホの観光は少し早めに終わって夕刻に私達はカジュラホのホテル・クラークスにチェックインしました。ここではオプションでアユルヴェーダのエステが受けられるそうで、私の妻もそれに参加して6名がエステの施設へ向かい、私はホテルの冷蔵庫のビールを飲みながら妻の帰りを待ち、そして遅い夕食を取ってこの1日が終わりました。

 今日の朝はガンジス河で「死」を見、午後にはカジュラホで「性」を見ました。日本では「死」も「性」も出来るだけ見えないようにしていますが、思想としてそれは弱いと思います。しかし、どうして荒野の中の田舎村にこのようなヒンドゥー寺院群が建立され、またエロティックな装飾が施されたのでしょうか、不思議な事です。







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2 コメント

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日常の中の死 (しんちゃん)
2014-04-11 11:28:22
屋外での火葬と放尿婦人の像にはびっくりしました。文化の違いはすさまじいですね。とはいえ、人の死が日常の中で見ることができるのは、より自然だと思います。日本では、身内の死も病院で看取るのが普通になってしまったので、死生観を養うのがむずかしいですね。
永遠の命 (Ananda Bhavan)
2014-04-11 14:12:49
しんちゃん様

先週に続いてのコメントを有難うございます。

「死」と「性」を突き抜けた向こうに有ったのは「虚無」では無く「永遠の命」でした。ラヒリ・マハサヤのお寺での幻覚受信体験、言葉を変えれば「永遠の命」からの送信体験の実現(リアライゼーション)は私に「永遠の命」を確信させてくれました。

日本では「永遠の命」の体験の前に「死」と「性」に対して正面から向き合う過程がひとつハードルとして残っていると思います。

インドではいつも神様に直面させられます。

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