ANANDA BHAVAN 人生の芯

ヨガを通じた哲学日記

創立50年

2023年12月19日 | 日記
創立50年

 日本ゴーシュ・ヨガ道場から案内の電話が有りました。道場の設立は1973年なのでこの12月で創立50年になる、ついては古くて熱心な生徒さん達に声を掛けて12月16日に道場で記念の集まりをすると言うものでした。私が入門したのは1979年の4月ですから創立5年目だったようです。私は出席しますとお返事しましたが、さてお祝いはどうしたものだろうか。

 ジバナンダ・ゴーシュ先生は今年の4月9日に他界され19日にはお別れの会が有りました。それから8か月後の催しですから盛大にお祝いと言うのもよろしく無い。そこで色々と考えましたが、紅白のワインをお持ちする事にしました。赤ワインはイタリアはピエモンテのバルバレスコ2014、白ワインはフランスはブルゴーニュのプーイイフュイッセ2016、これなら創立50年について遜色ないでしょう。仏教には禁酒の戒が有りますが、ヨーガ・スートラには有りませんし。気を使いながら地味に集まって地味にお祝いをしましょう。

 当日道場に着きますと既に20人ばかりが集まっています。道場を継承されたジバナンダ・ゴーシュ先生の次男のブバイさんがご挨拶をされ、またブバイさんファミリーのご紹介も有りました。会場には軽食が用意され、そこには私が持参した2本のワインも有ります。誰かが持参したスパークリングワインでの乾杯のあと歓談に入り、ブバイさんから若き日のゴーシュ先生ご夫妻のお話や先生が亡くなられるまでのご様子などが語られます。

 お話が少し落ち着いて周りを見ますと懐かしい顔ばかり。ほんわかとした雰囲気でただヨガの練習が好きな渥海さん。武道の達人で長老(86才)の福田さん。福田さんと私は2015年と2016年に銀座の泰明小学校で行われたインド大使館主催の国際ヨガの日の催しでゴーシュ先生に随行しました。福田さんの後ろには大病を克服されたばかりの松島さん、お元気そうです。そして蓑田さんご夫妻。お2人は道場で結ばれ、お嬢さんの名前は(ヨガのアーサナから取った)朝菜さんと言います。大昔に道場でインストラクターをされていた原口さんは群馬からお越しでした。そして皆さんが夫々に道場入門の年を言い合って盛り上がりますと、だいたい皆さん私よりも古いようでした。あの時私達は若かった。

 皆さんのお話が尽きない中2時間が経ちまして会はお開きになりましたが、先生の事務所で欲しい物が有ったら持って帰るように言われ、事務所を覗いてみました。ヴィシュヌ・チャラン・ゴーシュ先生の本が有ります。ベンガル語の本なので全く読めませんが、表紙が先生の写真なのでこれはいただきます。ヴィシュヌ・チャラン・ゴーシュ先生はあの有名なパラマハンサ・ヨガナンダの弟で、ゴーシュ先生の奥様のコルナ先生のお父上です。また2016年のカレンダーの、上半分がドゥルガー女神の絵が有りました。このカレンダーは以前にゴーシュ先生からいただいていましたが日に焼けていて色が薄くなっていますがこれはくっきりとしているので貴重です。

 そしてなんと。道場がここに引っ越す前にはプラーナヤーマのあとに黙読していた8ページの、ババ・タラクナス(シヴァ神)を称える詩(ベンガル語のカタカナ表示)の冊子!これは良く残っていたものです。ああ懐かしい。これらの頂き物は道場の布製の手提げ袋に入れて持ち帰りました。

 さて、ブバイさんのお話では、日本ゴーシュ・ヨガ道場は来春にはゴーシュ・ヨガと名前が変わるそうです。世代交代です。

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不安の元

2023年12月09日 | 日記
不安の元

 心は体の付属品ですから、体が活発に活動している時に心はぴったりと体に寄り添って想念を巡らせます。あっちへ行こう、ここを曲がれ、一旦ストップ。例えば営業活動をしている時も、この時間だけは得意先Aと商談出来るし次の得意先Bは何時でも商談OKだから先に得意先Aに向かい、次に得意先Bだね、と言った具合。

 しかし体が活動を終えて静かになった時、心は体に合わせて休む事はせず、勝手に想念を巡らせ始めます。私達は体が休憩している時にそれに合わせていちいち眠ったりはしませんでしょう。しかし困った事に、浮かんで来るのは不安の想念ばかり。どうして楽しい事や嬉しい事が思い浮かばないのでしょうか。

 体の願いは只ひとつ生きる事、つまり死なない事。食べるのも寝るのもSEXをするのも生きる為、つまり死なない為ですよね。ですからこうして体は死ぬまで死を恐れ続けます。体が活発に活動している時は気にもならないのですが体が休むと次々と不安の想念が頭を持ち上げる。これが体と心の死なない為の仕組みです。そしてこの仕組みが分かりますと、不安の想念が次々と浮かび上がって来てもそれに苛(さいな)まれる度合いは減少します。今、体は死を恐れているのね、と分かればずっと気は楽になりますよ。世の中、そんなに危ない事は起こりません。

 お話は変わりまして、定年退職をした頃から母が他界するまでの10年余り、親族との間で訳の分からない諍いが続きました。社会的な通念や責任を無視しての勝手気ままな主張には辟易しましたが、その度になんとか話し合いを続けて熊本地震も母のお世話も見送りも葬儀も無事に乗り越えて来ました。そしてこれは過ぎた事です。

 最近、リタイア生活でのんびりと想念を巡らせていまして、面白い事に気付きました。こうした嫌な思い出の数々はちっとも思い出さず、思い出すのは楽しかった事、嬉しかった事ばかり。これから先の事については(マイナスの)不安の想念が起こりがちなのに過ぎた過去については(プラスの)楽しかった思い出ばかり。これはどう言う事でしょうか。

 体は知っているのです、過ぎた過去に自分が死ぬ事は無い。体は心を随分と振り回してくれますね。

 そして最後にひと言、日本人は不安が無いと不安になります。

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