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ANANDA BHAVAN 人生の芯

ヨガを通じた哲学日記

日本ゴーシュ・ヨガ道場のこれから

2024年03月30日 | 日記
日本ゴーシュ・ヨガ道場のこれから

 日本ゴーシュ・ヨガ道場で長きに亘ってスタッフを勤めて来たラムダスさんがいよいよインドへ帰ると言うので、その送別会を兼ねて3月23日に道場のこれからの説明会が有りました。古くて熱心な生徒さん達20人ばかりが道場に集まり、道場ではゴーシュ先生の次男ブバイさんと日本人の奥様と娘のリンさん、そしてスタッフはラムダスさんと神野さんが待っておられます。

 ラムダスさんが作った大根とオクラのカレーがランチとして提供され、皆のお腹が落ち着いたところでブバイさんがお話をされます。新宿御苑前のこの道場は近々閉鎖し、1年後あたりに他の場所でブバイさん流の道場を開かれるのだそうです。ゴーシュ先生の指導は厳しく練習時間も2時間半くらい掛かっていましたがブバイさんはそれには反対で、父上のジバナンダ・ゴーシュ先生では無く母上のコルナ先生のスタイルでの指導になるようです。私の頃は始発電車に乗って道場へ行き冬でも窓を開けての練習でしたがもっと穏やかな内容になるのでしょう。

 一般的なヨガスタジオではアメリカ流のヨガのアーサナ(ポーズ)を主体とした指導になっていると思いますが、この道場の特徴は日本では江戸時代の末期から明治時代の初期のラヒリ・マハサヤの頃から綿々と続く伝統ある本格的なインドヨガで、アーサナ(ヨガのポーズ)、プラーナヤーマ(呼吸法)、そしてメディテーション(瞑想)の指導が素晴らしく、この本筋はブバイさんに継承して欲しいと思います。

 ブバイさんのお話の間、娘(ゴーシュ先生の孫娘)のリンさんが何やらスマホを触っています。ブバイさんがそれを見てそのスマホを皆に回して見て貰うように促しました。回って来たスマホには若き日のゴーシュ先生ご夫妻の写真が有りました。1枚は道場でのお二人、笑うところを見た事の無いゴーシュ先生が奥様と一緒に満面の笑顔です。そしてもう1枚はお二人の結婚式の時の写真でした。コルナ先生はすぐに分かりますがゴーシュ先生は痩せていてまるで面影が有りませんでした。

 ブバイさんはお話の最後にヨガの技術も大事だがヨガの生活、ヨガの心が大事なのでそれを持ち続け、それを伝えて下さいと私達に言われました。

 道場のこれからの説明が終わりますとインストラクターの神野さんが、この道場は閉鎖になるのでここに有る欲しい物は持って帰って良いですよと言われ、昔は瞑想の部屋だった物置の部屋へ私を案内してくれました。部屋の壁にはシヴァ神やガネーシャのタイル絵が貼ってあり、私がそれが欲しいと言いますと壁から剥がしてくれました。壁には額に入ったシヴァ神、パールヴァティー、ガネーシャのシヴァ神一家の絵が有り、その絵には数本の紙のストライプが入っていて横から見ると他の絵が見えるようになっています。またその横には女神の絵も有ってこれは誰でしょうねと聞きますと、神野さんはシヴァ神の娘じゃ無いでしょうかと言います。シヴァ神に娘は有ったかなとも思いましたが私はこの2つの額に入った絵も剥がして貰いました。(家に帰ってこの女神をGoogle 写真で調べたらドゥルガー女神でした。ゴーシュ先生はドゥルガー女神のことをマ・ドゥルガーと呼んでおられました)。

 物置の部屋を出て事務所の部屋に入りますと部屋には小さな祭壇が有り、その中にはババジとラヒリ・マハサヤの写真が入った2つ折りの写真立てが有ります。また陶製のシヴァ神とパールヴァティーの小さな置物も有りました。私がこれも欲しいと言いますと神野さんはこれはどうかなと言ってブバイさんに聞きますとそれも持って帰って良いとの事で、これはうちの祭壇に飾る事としましょう。

 神野さんはまた、ゴーシュ先生が英語で書かれていた私のチャートチェンジの際のA4版の数枚のメモも渡してくれました。

 これから1年後かに別の場所でブバイさんが新しい道場を開かれる時には今よりももっと若い生徒さん達が集まると良いですね。大切な本物のヨガがこれからも若い人達に継承される事を切に願っています。


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環境世界に浸(ひた)る

2024年03月16日 | 日記
 環境世界に浸(ひた)る

 カルカッタのカーリー寺院の暑い石畳の打ち水と原色の花々。カルカッタ郊外のドッキンネッショル寺院ではラーマクリシュナの寝室のベッドの白いシーツと室内の微風。ヴァラナシ(ベナレス)では早朝のガンジス川に漕ぎ出した小舟ですくい上げたガンジスの水の手触り。そして夕暮れ時のラヒリ・マハサヤのお寺の冷たい石の床。アラハバード(プラヤグ)では合流するガンジス川の泥色とジャムナ川の乳白色の交わる事が無くどこまでも続く2本の線。あれは34才の時でした。

 ヴァラナシ(ベナレス)のガンジス川で沐浴をした時に私の前を横切ったマッツヤ・アーサナ(魚のポーズ)で浮かんでいるおじさん。カルカッタ近郊のタラケッシャルでは昼食の食堂の土埃(つちぼこり)で汚れた重そうなテーブルと椅子。カルカッタ近郊のドッキンネッショル寺院では12個が並ぶシヴァ神の祠とその向こうを流れる悠久のフーグリ川(ガンジス川)。そして更にラーマクリシュナが瞑想をしていたと言う5本の木の場所(パンチャムンディ)。あれは40才の時か。

 夜のヴァラナシ(ベナレス)で訪問したラヒリ・マハサヤのお寺のリフォームされていてやたらに明るい部屋の茶色のフローリング。カジュラホでは寺に彫刻された数多くのミトゥナ像(男女交歓の像)とその向こうの青空。オルチャの村では点在する近代イスラム建築と川の流れと青い空。レストランを出て外で煙草を吸ったっけ。あれは2014年の3月。

 南インドではカーンチプラムのエーカンバラナータル寺院の黄土色の巨大なゴープラム(塔門)、中に入るとシヴァ神とパールヴァティーが結婚式を挙げたと言うマンゴーの樹の下に小さな祠が有りました。マドゥライではミーナクシーアンマン寺院の極彩色のゴープラム(塔門)、中に入って象にその鼻で頭を撫でてもらいました。そしてインド最南端のカンニャクマリ(コモリン岬)ではアラビア海に沈む夕日とベンガル湾に昇る朝日。あれは2019年の事。

 国内では2023年に南九州へ行き、鹿児島の霧島神宮では近くのパワースポットの山神社で湿潤なパワーを浴び、宮崎では高千穂峡の切り立った目を見張る崖と色が転変する川の流れに驚き、青島では澄み切った青空と砂と緑と海に私は天国に居るのかと思わせてくれました。

 さてこのようにありありとその情景がビジュアルに蘇って来ますけれども、不思議な事に、何かを達成した時の喜びの記憶はちっとも蘇ってはくれません。大学入試に合格した時の情景や結婚式の時の情景は強いては(自然にでは無く)蘇って来ますけれども、高校入試に合格した時や入社試験に合格した時、また大きな得意先を獲得した時の喜びの情景は全く蘇って来ませんし思い出しもしません。不思議ですね、何故でしょうか。

 何かを達成した時、その時には自我意識が強く出ていたのだと思います。自我意識が活発な時には自分が立ち過ぎていて心と環境世界の間に断絶の溝が出来、主観だけとなって環境世界が立ち上がらず(見えず)、一方で環境世界に対して自我意識の働きが微弱で受け身に転じた時には環境世界と心が響き合っていた、その印象が強烈なものだったんでしょうね。

 ラマナ・マハリシが「一人称が消えると二人称も三人称も無くなる」と言っていますように、自我意識が鎮まると世界はひとつ、心と環境世界が共に響き合うのでしょうね。

 私達は日常、環境世界に浸(ひた)る事無く目の前の問題をちまちまと片づけていますでしょう。ですから環境世界に浸(ひた)って心と環境世界が響き合うようになるには、旅行は貴重な体験なのだと思います。


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15年。500回。

2024年03月02日 | 日記
15年。500回。

 私は42才の時に先の妻(39)を亡くしました。それまでの看病でかなり疲れていましたが、悲しい、淋しいよりも、目の前に残された3人の子共達が居まして、それからは子供達の世話と会社での毎月の予算達成とでほぼ脱力の疲労困憊、航空母艦の艦長(妻)と艦載戦闘機のパイロット(夫)の両方をやるのは本当に大変でした。54才の時に再婚しましたけれども蓄積した疲労は回復せず、59才の冬に遂に会社を休職してしまいました。それから1年は傷病手当(それまでこの制度を知りませんでした)で過ごし、そのまま翌2006年に会社をリタイアしました。翌2007年は何もする気にならずに疲労回復に努め、2008年の3月にやっとPCのエクセル画面に作文したものを「週刊Ananda Bhavan 」と題して10人程の友達に私信として送信を始め、それは毎週土曜日としました。Ananda は歓び、Bhavan は家の意味ですが、ここでは解脱体験の際に湧き上がる歓びを指します。

 そして1年後の2009年の3月には友人TYが「私信にせず広くオープンにしろ」と言います。私が「ブログってお金は掛からないの?」と間抜けな事を聞きますので、友人TYは電話で手取り足取り指導してこのブログを立ち上げさせてくれました。ブログはそれから3年間は毎週土曜日に更新しましたが、以降は不定期の更新になりました。そしてこの3月でブログを開始してから丁度15年、そしてブログの記事も通算500回になります。

 私は30才の時にノルウェー出身で北インドはリシケシュのシヴァナンダ・アーシュラムで修行したペール・ウインター先生(プレム・ヨーギ)の通信教育でヨガに出会い、その世界の雄大さに驚き、そしてインド思想に夢中になりました。

 通信教育に飽き足りない私は32才の時に意を決して日本ゴーシュ・ヨガ道場に入門、ゴーシュ先生の指導でヨガのアーサナ(ヨガのポーズ)、プラーナヤーマ(呼吸法)、そしてメディテーション(瞑想)の練習をしました。ヨガの練習はゴーシュ先生の指導で、そしてヨガの哲学の勉強は独学でしました。ヨガの練習とヨガの哲学の勉強は車の両輪でして、どちらが欠けてもいけません。また34才と40才の時にインドへ行き、神秘体験もしました。

 そして39才の時に、僅か1秒か2秒の事でしたが、サマーディ(解脱)を体験し、そこでサーンキヤ哲学の構造を身をもって証明しました。

 私達は日常、自分の本質は心、更には自我意識だと思っていますが、サーンキヤ哲学では心も体も環境世界も同根でひとくくり、そしてそれらとは全く別に真我(霊性)が有ると主張します。

 私は39才の時にサマーディ(解脱)を体験しましたが、42才の時に先の妻を亡くし、それからは子供達の世話と会社の仕事で手一杯、ヨガの用語で言いますとハタ・ヨガからカルマ・ヨガへと移行していました。そしてリタイアのあと2009年にヨガのブログを開始、日本は仏教国と言われ仏教はポピュラーですが、あの素晴らしいサーンキヤ哲学はあまり知られていないでしょう。私はこのブログで少しでもサーンキヤ哲学を多くの方々に知っていただきたいと思っています。

 私が仏教が分かったのは70才前後の事です。そして仏教が分かりますと、インド思想の全体が分かるようになりました。

 ヨガがインド思想の根本です。ヨガのサマーディ(解脱)の体験が先に有り、それをどう理解しどう説明するかで二元論のサーンキヤ哲学になったり一元論のヴェーダーンタ思想になったり、そしてゼロ元論の仏教になったりしまして、どれを取るかはお好み次第でしょう。

 サーンキヤ哲学では霊性も現象世界も実在しますし、ヴェーダーンタ思想では霊性だけが実在し、現象世界はマーヤー(幻)として退けます。そして仏教ではこの世界の全ては因(直接の原因)と縁(間接的な原因)で編み上げられた仮の世界であるとして、永遠の魂など存在しないと主張します。ここで私はサーンキヤ学徒です。

 この3月でこのブログは開始から15年、そしてブログの記事は丁度通算500回になりますが、少しはサーンキヤ哲学のご紹介の役に立っていますでしょうか。知っているだけでは伝わりませんから。


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