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ANANDA BHAVAN 人生の芯

ヨガを通じた哲学日記

立ったまま

2016年06月28日 | 日記
立ったまま

 私のヨガのグル(先生)は私に「死ぬ時は立ったまま死になさい」と言います。

 最近ヨガのプラーナヤーマ(調息)の内容が変わりましてまだ慣れずにいます。そうしますと、プラーナヤーマ(調息)の何回目の呼吸のどのあたりをやっているのか分からなくなる事が有ります。眠り込んだ訳でも無く、また意識が散漫になった訳でも無く、これをどう表現するのかと思っていましたら、どうやら失神のようです。何秒間か意識が無くなるのです。

 さて、そうしますと失神は良い兆候なのでしょうか。禅では無念無想と言いますが失神の時には確かに無念無想では有ります。しかし、これが良い兆候なのだろうか。

 鈴木大拙は他の動物と人間の違いについて「自覚」と言う言葉を使います。「自覚」は「覚醒」と呼んでも良いでしょう。ここで「覚醒」と言います時の「覚醒」は、覚せい剤の「覚醒」とは全く違います(最近の日本語は面倒臭いですね)。無念無想とは言ってもそれを観ている私が居る、それが「自覚」、「覚醒」です。そしてそれが無いと折角の解脱体験(サマディ)も宙に浮いてしまって自己と結びつかず、ただの夢想に終わってしまいます。ですから、これほどに「自覚」、「覚醒」は大切な押さえるべきポイントなのです。

 プラーナヤーマ(調息)の際の失神は進歩では無く「道外れ」、「道草」のようです。そして「失神」を経験せずに「自覚」を継続してプラーナヤーマ(調息)を終えた時には格別の爽快感が有ります。

 さて、先生が言われる「立ったまま死ぬ」とはどう言う事でしょうか。最近思いますには、死の瞬間に睡眠状態でも意識朦朧でも意識散漫でも無く、意識が「自覚」、「覚醒」に有る事なのでしょう。そうで無いと折角の「死」のスペクタクルを観る事が出来ませんからね。

 でも、かなり難しそう。
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熊本地震 その後

2016年06月06日 | 日記
熊本地震 その後

 5月の末から6月の頭に掛けて5日間、熊本へ帰省して来ました。帰省の目的は3つ。1つは、現在95才の母は高齢者施設に入居しているのですが、今回の熊本地震の際にスタッフの方々の懸命のお世話で母が命を拾いましたので直接にお礼を言いたかった事。2つ目は留守宅となっている実家の地震による被害の状況を調べる事。そして3つ目は今年の1月に、生活に最低限必要な物を除いて家財道具のほとんどを産廃業者に処分して貰ったのですが誰も立ち会わなかったので、処分後の戸締りや後始末の状況を見る事でした。

 高齢者施設で施設長さんにお礼を申し上げますと施設長さん他皆さんはいつもの穏やかな笑顔で迎えてくれました。施設には見た所何の被害も無いようでしたが、エレベーターを使わずに階段エリアを使いますと壁には多くのクラックが入っていて、あの時の恐怖がそこにだけ残っているかのようでした。

 実家留守宅に戻りますと早速地震による被害状況のチェックです。うちは通りに面した鉄筋建築の部分と奥の木造建築の部分とになっているのですが、先ずは鉄筋部分の螺旋(らせん)階段を上って屋上へ出ました。屋上から奥の木造部分の屋根を目視しますと、瓦にはズレも剥落も有りませんで、これは一安心です。入梅を前に屋上の排水口の掃除をした私は階段を下りて家の外へ出ました。うちの裏隣には敷地の広い歯科医院が有り、ここは平場の駐車場も経営しています。そして3階建ての歯科医院は倒壊していました。敷地に人はおらず、私は倒壊した歯科医院の奥の駐車場へ入り、さっき屋上からは見えなかったうちの木造部分の屋根を目視しますとこちらも無事、木造部分の屋根には全く問題は無いようです。

 歯科医院とうちとの境界にはブロック塀が有り、これは傾いていました。しかし駐車場の入り口はうちの隣の崩落した石塀の為に車は入れず、また駐車場の営業もしていません。そして傾いたブロック塀の高さは私の肩位しか無いので危険は感じませんでした。このブロック塀は近々取り壊す予定です。そして問題は1つ。傾いたブロック塀の横には人1人が通れるような隙間が出来ており、ここを通ればうちの中庭までは自由に出入り出来る状況で、これは物騒です。

 さて、家に戻りますと、2階の天井を調べて見ました。鉄筋部分も木造部分も天井に雨漏りの跡は有りません。木造部分の柱には縦にひび割れが見えますが、建物の倒壊には結びつかないようです。電気、水道、ガスが使えて建物にクラックも雨漏りも無ければ建物は無事、OK、問題無しです。

 うちの構造は地面に接した0階、そして近くを流れる白河の堤防のかさ上げによって今は道路からの出入り口となっている1階、そして2階と鉄筋の屋上とになっています。そして屋上から0階までを隈なく調べて見ますと、1階奥の木造の部屋の間仕切りの引き戸のガラスが割れていました。私は数枚のガラス片を「埋め立てゴミ」の袋に入れて玄関に置きました。これは「埋め立てゴミ」の日に当たる次の人に捨てて貰う事とします。

 さて、産廃業者の後始末はどうでしょうか。0階の蛍光灯の1ヶ所が点きっ放しで、これは産廃業者の消し忘れでしょう。また窓ガラスのサッシの鍵が2ヶ所開きっ放しでしたが、まあ、こんなものでしょう。

 滞在3日目の夜には友達と会う事にしました。繁華街で化粧品店や薬局を展開している友人UKと上通りのお店の3階の軽食レストランで待ち合わせをしましたが、この日は福岡県の久留米市から友人TKも新幹線で来てくれました。お店の階段は何本もの鉄パイプで支えて有り、震災の影響がまだまだ残っています。友人UKの自宅は屋根瓦をやられ、また塀が60mにわたって倒壊しているそうです。塀が60mなんて大変な豪邸ですね。友人UKの話では塀には地震保険は適用されないそうです。友人TKのお兄さんは熊本のマンションに住んでいるそうで、友人TKが片付けの手伝いに来た時には3基有るエレベーターのうち1基しか動いておらず、マンションの住人達は廃棄物を捨てる為にこの1基のエレベーターに殺到していたそうです。

 私達は先ず居酒屋でお腹を作り、それからミニクラブへ行きました。居酒屋もミニクラブも16日の本震から5日目にはお店を開けたそうです。そして当初のお客さんは激励訪問だったそうです。繁華街では20軒か30軒に1軒はシャッターが下りていて、友人UKの話では廃業しているのだそうです。家賃を払いながら何か月も開店の見通しが立たなければ廃業にも追い込まれますね。そうそう、スザンヌの母親のキャサリンの立ち飲み屋は繁盛していましたよ。熊本の夜の街は見た所以前の佇まいを取り戻しているようでしたが以前程の賑わいはまだ有りませんでした。

 熊本に滞在中、私はコンビニでサンドイッチを買って高齢者施設で母と一緒にお昼を食べました。母は食欲も有り、以前程残しませんでした。母が元気で穏やかに過ごしているのは本当に有難い事です。そして私はガランドウになった家の2階で寝起きしましたが、使いもしない家財道具でも無くなってしまうと実家が実家では無いような不思議な感覚で落ち着かず、変な空間で寝ているような気がしました。

 そして滞在中、「これは」と思う余震は3回有りました。






コメント (2)
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