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ANANDA BHAVAN 人生の芯

ヨガを通じた哲学日記

ワイン騒動 その1

2010年09月24日 | 日記
ワイン騒動 その1

 ワイン課に着任

 私が32才の頃、私は既に新宿の営業所で5年間新宿区を担当して自分でも納得出来る実績を上げていました。営業所長が私を呼び、人事異動の内示をします。内示を受けた私が席に戻ると、「どこですか」と仲間が聞きます。「ワイン課だよ」と私は得意そうに言いました。「東京?それとも大阪ですか」と再び仲間。「どっちだか聞き忘れたよ」と私。

 当時会社ではワイン市場を開拓すべくワインの営業体制を刷新していました。ワインの知識が必要なのと手間隙がかかるため、ビールや洋酒担当の営業部員はワインの商談には力が入らないのが実体でした。そこで会社は東京と大阪にワイン課を設け、ワインの専門的な開拓を目指し始めたばかりだったのです。ビールや洋酒の営業で自信を持った私にその出来て2年ばかりのワイン課へ行けと言うのですから腕が鳴るのは当たり前の事です。私の行き先は東京ワイン課でした。

 ワイン課に着任した朝、私を待っていたのはガラクタ満載の机でした。お得意様の名刺が300枚は入っていようかという名刺入れの箱が机の上に有ります。「この名刺入れはどなたのですかー」と私が声を掛けても諸先輩方は黙って下を向いています。「捨てますよー」・・・沈黙。「捨てましたよー」・・・沈黙。なんとも雰囲気の悪い部署だよ。私は次から次へと「捨てますよー」「捨てましたよー」を繰り返して机の上のガラクタを処分して行きます。私が机の上や引き出しの中をを綺麗にできたのはお昼も過ぎた頃でした。ワイン課は新設された部署ですので、当時の課長は初代課長、つまり1st課長でした。

 数ヵ月後私が1st課長と2人で飲む機会があり、私は1st課長に申し上げました、「私はいいのですが、今後新たにワイン課にやって来る者があったら机の上や引き出しの中は前もって片付けて机には雑巾を掛け、花の1輪でも飾って迎えてやって下さい」。1st課長は済まなさそうな顔をして、その後新たにワイン課に来る者があれば内務の女子社員に指示して机を綺麗にして1輪の花で迎えるようになりました。やれやれ。

 さて私がワイン課に着任して机周りを片付け終わりますと1st課長が私を呼びます。私のワイン課での最初の仕事は1ヵ月後に予定されているワインフェスティバルの営業担当統括でした。

 私は早速宣伝部主催のワインフェスティバル準備会議に出席しました。ワインフェスティバルは宣伝部主催の、一般消費者を対象としたワインを啓蒙する催しです。1日だけ東京プリンスホテルの宴会場を借りてあらかじめチケットを買ってくださった一般消費者3000人にお越しいただき、ホテルの簡単な軽食と世界のワインを召し上がりながら宴会場でのショウを楽しんでいただくという趣向でした。催し全般の進行は宣伝部が行い、営業部の仕事は大小いくつかの宴会場でのワインの試飲サービスでした。催しを請け負う広告代理店も会議に出席しています。

 私の仕事は各宴会場での世界のワインの試飲サービス全般ですが、その内容は先ず各サービスカウンターへの人員の配置、試飲用什器の配置、そして各会場で提供する世界のワインの在庫の配置等です。ここで試飲用什器とは、予備に配置するワイングラスや、ワインを冷やしてサービスするためのワインクーラー(洒落たバケツ)、ボトルを抜栓するソムリエナイフ、そしてワインを冷やす氷等のことです。

 自分の机に戻った私は早速準備の計画に取り掛かりました。人員の配置と試飲用什器の配置は割りと簡単でした。どの会場でどのワインを提供するかを決めてしまえばそのワインの種類に応じてそこに何人のスタッフが必要か、そして什器や氷はどれだけ必要かは決まってくるのです。

 問題は40種類程の世界のワインの在庫配置でした。フェスティバルの間に余りに早くワインを切らしてしまうとお客様のクレームになってしまいますし、またフェスティバルが終わった時に在庫を残し過ぎてもいけないのです。さっぱり見当のつかない私は宣伝部に電話をして教えてくれないかと頼みましたが、それは広告代理店に聞いてくれと言います。広告代理店に電話しますと宣伝部に聞いてくれと言います。結局自分でやるしかありませんでした。

 ワイングラスには1杯60mlくらいを注ぐとして3000人が1人1杯飲むとしたら合計で18万ml、それは何本だから何ケース、と1品1品計算を始めました。このワインは人気が有るから1人1.5杯飲むとして何mlだから何ケース、このワインは人気が無いから半分の1500人が飲むとして何mlだから何ケース、このワインは知名度も無くあまり美味しくもないので陳列用に1ケース、と途方も無い計算を進めます。もとより確たる根拠も自信も無く、究極の個人技です。

 ワインフェスティバルの10日前には人員の配置と試飲用什器の配置手配は済みました。そしてフェスティバルの3日前には世界のワインの在庫の配置のための伝票を切らなければなりません。「いやあ、これで足りるだろうか、余り過ぎはしないだろうか」とお客様3000人用の伝票を書いていると、私は生まれて初めて胃に痛みを覚えました。

 いよいよワインフェスティバルの当日となりました。私はワインのサービスをする大勢の営業部員の前で「それぞれの持ち場をしっかりお願いします」と簡単に挨拶しました。ワインのサービスは営業部員と、通常は工場見学のお客様を案内するのが専門の女子社員とが交互に並んで行います。

 ここまで来れば私の仕事は各サービスカウンターで問題が発生すればその対応をする事だけです。私はホテルの会場を見て回りました。宴会場の近くには控え室が用意されていて、そこには会社の健康管理室から2人の看護婦さんがもしもの時に備えて待機します。お客様がワインを飲みすぎて体調を崩される恐れもあったからです。

 いよいよワインフェスティバルは始まり、ウェルカムワインの入ったワイングラスを受け取った3000人のお客様が一斉に入場されました。フェスティバルは順調に進みワインのサービスも問題無く続きます。そしてフェスティバルも中盤に差し掛かると、幾人かの御婦人方がついついワインを召し上がりすぎて立っていられなくなり、ホテルが準備した車椅子で看護婦の待機している控え室に運ばれます。御主人達は「今日はこのホテルに泊まろう」と言われましたが、ホテルマンは紳士的にかつ断固としてそれを断りました。そして御婦人方はフェスティバルが終わる頃には体調を回復されて、無事ホテルを後にされました。ワインフェスティバルは成功の内に終了し、私が苦心して配置した世界のワインも程よい数量を残して着地しました。

 私は宣伝部が主催する打ち上げ会に呼ばれました。大掛かりな催しが成功し、皆喜びと安堵と開放感が爆発していました。私など開放感のあまり、隣に腰掛けていた看護婦さんの胸に抱きついてしまったものです。

 翌朝私は支店長に呼ばれて昨夜の宣伝部主催の打ち上げ会について事情聴取を受けました。打ち上げ会に現場担当者だけを呼んで営業トップの支店長を呼ばないのはどういう事かという訳です。しかしそれは私ではなく宣伝部へ言う事です。また、現場で営業部員を集めて簡単な打ち上げをしろと言うのなら、それは私では無くワイン課の1st課長や支店業務課の課長が営業部長に提案し、それを前もって支店長が了解しておく事です。支店長は私から事情聴取をしているうちにそれに気が付いたようで、私は無罪放免になりました。

 サラリーマン社会って面倒ですね。やれやれ。



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8mm映写機

2010年09月17日 | 日記
8mm映写機

 パスポートの期限が3月で切れたので、そろそろ新しいパスポートを取ろうと思い立ち、近くの写真屋さんへ証明写真を撮りに行きました。この写真屋さんに入るのは本当に久しぶりで、私が店のおじさんに「8mmムービーが盛んな頃にはフィルムを巻き取るリールを買いにちょいちょい来ていたんですよ、時代も変わりましたね」と言いますと、おじさんも「変わりましたね」と応えます。「今ではもう、どこへ行っても8mmの映写機は買えませんよね」と私が言いますと、おじさんは「中古でちゃんとした物を探せますよ」と言います。私が「映写機は買えても、映写ランプが切れたらランプのスペアはもう無いでしょう」とたたみ掛けますと、おじさんは「ランプも探せますよ、映写機を探してみますか」と言います。私は3人の子供達の誕生から小学校くらいまでを8mmムービーで記録しましたので、それは良いニュースです。うちにも映写機は有るのですが、それは36年前に買った物で、ランプも切れっぱなしで、ここ20年くらいは触った事も有りません。私は中古の映写機をお願いしました。

 写真屋さんから映写機入荷の電話があって、私は車で写真屋さんへ引き取りに行きました。エルモGPという映写機で、値段は1万円でした。8mmムービー全盛の頃、エルモと言えばトップブランドでした。

 家に帰ると仕舞っておいた8mmフィルムを引っ張り出して、早速エルモGPで映してみました。大学生時代のフィルムも有って、まあまあ、懐かしい事。そして翌日も、昼間から雨戸を閉めて部屋を暗くして、別のフィルムを先ず2本映してみました。そして3本目をセットしたのですが、ランプが点きません。ランプが切れたのか接触に不具合が出たのかよく分かりません。私は写真屋さんでエルモGPを見て貰う事にしたのですが、ここでもう1台、うちに眠っていたフジカスコープM25DXも試しに持って行く事にしました。写真屋のおじさんは「ランプ切れですね。エルモGPのランプは有りますが、フジカのも探して見ましょう」とカタログをめくりながら、ランプは両方とも3900円ですと言います。私は取り寄せをお願いしました。

 写真屋さんから両方のランプが入ったという電話を貰い、私は又も車で引き取りに行きました。おじさんは「フジカのランプはソケットに錆び付いていましたよ。錆びも取って全部綺麗にしておきました」と言います。素人の私がランプを引っ張ったりひねったりしていたら、映写機本体が壊れるところだったようです。

 結局は1台の中古映写機を買って、もう1台をオマケに貰ったような格好になりました。

 これからは不思議なお話です。

 1981年の3月に私は初めてインドを訪問したのですが、その時は普通のカメラは持参せず、8mmのムービーカメラだけを持って行きました。そしてヴァラナシ(ベナレス)では日本人として初めてラヒリ・マハサヤのお寺を訪問出来ました。ラヒリ・マハサヤは私のヨガの先生の先生の先生の先生の先生で、明治時代の頃に職業を持ち妻帯しながらもヨガの深い境地に達した聖者です。

 私がお寺に着いたのは夕暮れ時でした。ムービーカメラのファインダーを覗くと下の方に照度計の針が見え、光量が充分な時にはその針が右へ振れて撮影可能である事を示します。ですから日中の屋外であれば、大概照度計の針は撮影可能へ振れます。お寺と言うより石造りの普通のお家のようなお寺の外観を撮ろうとカメラを向けますと、夕暮れ時で光が足りず、照度計の針は全く動きませんでした。私はダメモトでカメラを回しました。お寺ではラヒリ・マハサヤの孫に当たるサットヤ・チャラン・ラヒリさんに面会出来、私は了解を得てラヒリ・マハサヤを祀った屋内の祭壇も撮影させていただきました。そして日本に戻った私はフィルムを現像に出し、早速映写機で映して見たのですが、ラヒリ・マハサヤのお寺の部分はやはり照度が足りずに映っておらず、画面は真っ暗でした。インド訪問のフィルムは上映時間にして15分位です。

 日本ゴーシュ・ヨガ道場ではインド大使館のホールを借りて、私のインド訪問のフィルムの上映会を開いてくれ、道場の生徒さん達が大勢集まりました。私はスクリーンの横に立って、画面が変わる度に画面の説明をします。「カルカッタの雑踏です」、「ここはラーマクリシュナが生活していたドッキンネッショル寺院です。画面の左にラーマクリシュナのお部屋が有り、そこから参拝の人達が出て来るところです」、「ここはヴァラナシ(ベナレス)の近くのサルナートで、ゴータマ・ブッダが悟りを開いた後、最初に説法をした所で、初転法輪の記念にダメクのストゥーパというレンガを積み上げた塔が残っています」、「ここはアラハバードで、ガンジス河とジャムナ河が合流する所です。インドではサンガムと言います。ガンジスの水とジャムナの水の色の違うのが分かりますね」。ヴァラナシ(ベナレス)で撮ったラヒリ・マハサヤのお寺の部分はやはり真っ暗でした。「ラヒリ・マハサヤのお寺を訪問出来たのですが、夕暮れ時で照度が足りず何も映っていません。ですから画面は真っ暗です」と私は説明しました。ヴァラナシ(ベナレス)では早朝のボート観光のシーンが良く撮れていて、ガンジス河に面した石造りの家々や朝日に光るガンジスの水が大変印象的でした。

 上映会が終わりますとどちらかのご婦人がやって来て、「大変感激しましたのでフィルムを1週間程貸していただけませんか」と言われます。1週間経ってフィルムを返していただく時に、ゴルフボールを3個、お礼にいただいたのを覚えています。

 さて、映写機を2台手に入れて帰宅した私は、早速雨戸を閉めてエルモの映写機をセットしました。ここで私はあのインド訪問のフィルムを掛けて見ました。すると、どうした事でしょう、ラヒリ・マハサヤのお寺の外観がはっきり映っているのです。うっすらとではありますが、屋内のラヒリ・マハサヤを祀った祭壇も映っていました。エルモとフジカとでは光の強さが違うのかも知れないと、フジカでもやって見ましたが結果は同じでした。撮影します時に照度が足りなかったのですから、1981年にインド大使館で上映した時も今回も、画面は真っ暗で良い筈です。わざわざ今回映し出される理由は何なのでしょうか。

 インド大使館でこれを上映しました時には生徒さん達が大勢見に来てくれましたが、生徒さん達の中にはミーハーな人達も居ました。あの時にラヒリ・マハサヤが「今はまだ公にする時では無い」と考えて悪戯をしたのでしょうか。そして今回はもう、時効なのでしょうか。

 「奇跡」というものは静かに、そしてごく自然に起きるものなのかと改めて感心してしまいました。


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シェヘラザード

2010年09月10日 | 日記
シェヘラザード

 ネットの通販で「シェヘラザード」というタイトルのベリーダンスのDVDを買いました。スヘイラ・サリムポールというダンサーのグループが「シェヘラザード」の千夜一夜物語をモチーフに作り上げたベリーダンスのショウを収録したものです。

 以前に私は同じネット通販で「アラビアンメロディーズ」というDVDを買いましたが画質は悪く、恐らく随分前にビデオテープで撮られたものをDVDに焼き直したものだと思いました。しかしこのDVDで私はスヘイラというダンサーを見つけました。女性として十分に成熟した体とは不釣合いな天真爛漫な笑顔が私を惹き付け、私はスヘイラという名前を記憶しました。

 「シェヘラザード」でスヘイラは30代かなと思わせる女盛りになっており、6才くらいの女の子をもうけているようでした。群舞やソロで踊るスヘイラを見ていますと、私を不思議な感覚が襲いました。スヘイラのシミー(腰を激しく小刻みに震わせる技)やアンデュレーション(お腹を波打たせる技)が私に突然のバイブレーションを送ってくるのです。

 ポルノグラフィや雑誌のピンナップ写真などは行き着くところは女性の性器なのでしょうが、ベリーダンスは違います。女性の性器を突き抜けて女性の内臓を私に想起させるのです。つまりベリーダンスは女性の体の表面と内側とを含め、全体としての「肉」として捉えているのではないだろうか。

 昔読んだ藤原新也の「全東洋街道」という本の始めの方でイスタンブールの娼婦が言います、「人間は肉でしょ、気持ちいっぱいあるでしょ」。

 躍動する女性の肉体への注目はインドの宗教哲学のシャクティ信仰に近いものが有るようです。シャクティとは躍動する女性のパワーを神格化したものです。シャクティはサーンキヤ哲学に出て来るプラクリティ(物質原理)と同じだと考えられます。この世の中の万物はプラクリティ(物質原理)の展開によって現れます。

 「シェヘラザード」の終盤でスヘイラは6才くらいの我が娘にソロを踊らせました。大舞台に我が娘を放り出して娘をベリーダンサーとして育てようとしている。アメリカ人には出来ないことです。「スヘイラにはシャクティが有る」、私は直観的に確信しました。
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シンクロナイズド・ベリーダンス

2010年09月03日 | 日記
シンクロナイズド・ベリーダンス

 NHKのテレビでスピードの上原多香子がトルコのイスタンブールへ行って現地の先生にベリーダンスを教わる番組を見て以来、ああイスタンブールへ行ってみたいという思いが強くなるのに併せて私はベリーダンスにも関心を持つようになりました。

 ベリーダンスでは、腰を激しく小刻みに震わせるシミーという技とお腹を波打たせるアンデュレーションという技の2つが最も特徴的です。実際にはシミーは腰を振り動かすのではなく、足をベタ足にして両膝を激しく前後させることによって腰の小刻みな動きを作るようですし、アンデュレーションも①お腹を突き出す、②お腹を引っ込める、③肋骨を引っ込める、④肋骨を上へ突き上げる、の4つの動作を連続させることでお腹が波打っているように見せています。

 「007 ロシアより愛をこめて」ではベリーダンスが2回出て来ます。最初は当時大変な話題になったタイトルバックに使われ、2回目はジプシーの村落での宴席に登場します。改めてこの2つのシーンを見てみたのですが、どちらのシーンでもシミーとアンデュレーションが強調されていました。そしてあのダンサーも今はどんなおばあちゃんになっているのだろうかと感慨深くもあります。

 日本でも最近はベリーダンスが女性のエクササイズとして流行っているようですが、中近東のマニアックなダンスだったものを世界でもポピュラーなものにしたのはアメリカです。私はアマゾンの通販で「30デイズ トゥ ヴェガス」というタイトルのDVDを買ってみました。

 内容は15人程のアメリカ人のダンサーを集めてベリーダンスのショウを作り上げ、世界各地で公演して成功したマイルスというプロデューサーがついにラスヴェガスのホテル・フラミンゴで1週間のベリーダンス・ショウを実現することになる、そのリハーサル風景やショウのさわりを紹介するもので、昔映画館で観た「エルビス・オン・ステージ」を彷彿とさせるものでした。もともとベリーダンスはソロで踊られるもので、多くてもせいぜいデュエットなのだそうですが、マイルスはベリーダンスの群舞の間にソロを入れる構成にしてアメリカの観客に受けるショウに仕上げています。踊るのはベリーダンス・スーパースターズというグループですが、メンバーの入れ替えもちょいちょい有るようです。

 アメリカではベリーダンスのことをトライバルと呼んでいるようです。トライバルとは「民族の」とか「部族の」といった意味なのですがその語源はボルネオの先住民族の刺青の模様から来ているのだそうです。そしてトライバルに別の要素を取り入れたものをトライバル・フュージョンと呼んでいます。

 さてマイルスのショウですが問題は音楽です。レイチェルというダンサーのトライバル・フュージョンではシンセサイザーが使われ、NHKのテレビで私を魅了した中近東の匂いが有りません。ここはちょっと残念なところです。ですがこのショウにはイサム・ホシャーンというタブラ(太鼓)奏者が出ています。イサムはシリアのダマスカス出身の、生まれながらのタブラ(太鼓)奏者です。ソニアというダンサーがイサムのタブラ(太鼓)に合わせて踊るドラム・ソロは圧巻です。

 ベリーダンス・スーパースターズの特徴である群舞は中近東で出来たものではなくアメリカで出来たものですが、なかなかに見応えがあります。中でも10数人のダンサーが1列に並んでアンデュレーションを見せるところは圧倒的な迫力です。ダンサー達が同じタイミングでお腹を波打たせながら舞台に展開する様を私はシンクロナイズド・ベリーダンスと勝手に呼んでいます。皆さんも機会があったら是非御覧下さい。

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