ANANDA BHAVAN 人生の芯

ヨガを通じた哲学日記

豚インフルエンザ

2009年04月30日 | 日記
豚インフルエンザ

 此度の豚インフルエンザ(新型インフルエンザと呼称が変わったようです)がWHOによってフェイズ5に認定されましたね。このインフルエンザ、爆発的に感染が広がっているようですが、メキシコでは患者の症状が重篤であるのに対しメキシコ以外の国では症状がそれほど重篤ではない、そしてその理由はまだ解明されていないと報道されています。そこでその理由について、私のつたない酒類の知識から解き明かしてみます。ウイルスは湿気を嫌うという特徴があるからです。

①ビール
ドイツやイギリスではビールは香りが高く味も旨味があり、常温で提供されます。暑気払いとは関係のない飲み物です。一方メキシコ。メキシコのビールとしてはコロナビールがあります。私はコロナビールを何度か飲みましたが、1度もおいしいとは思いませんでした。「すっぽ抜けた」ような味なのです。それでも基本的に不味いのではなく、「メキシコで飲んだらきっとおいしいのだろう」と思わせるものがあります。暑くて乾燥したメキシコではこういう「味の無いような」ビールがいいのだろうとレモンを絞りながら思ったものです。

 「日本やアメリカ」はこの「ドイツやイギリス」と「メキシコ」の中間になるのでしょうか。昔ホテル・オークラのソムリエの方に聞いたことがあります。「日本人とアメリカ人のお客様には、とにかく冷やして提供すれば苦情は出ない」と、それは白ワインについてのコメントでしたが、ビールも同じでしょう。日本やアメリカではビールは清涼な飲物ですね。暑気を払う飲料ですが、湿気とは関係がないようです。

 私はこのあいだボルネオへ行ってきましたが、ヤシの木やバナナの木を見慣れてくると、ボルネオの景色は日本の、特に九州の景色とよく似ていて、バスの窓から外の景色を見ていても、なんだか九州の田舎を走っているようで海外旅行をしている気がしませんでした。

 私は東京から熊本へ帰省するのには飛行機を使いますが、飛行機の窓から地上を眺めていると、飛行 機が九州の上空に入ったのがすぐに分かります。九州の森の木々が含んでいる水分の量が本州の木々よりもずっと多いのです。

 熱帯雨林地帯に位置するボルネオで、私はカールスバーグというデンマークのビールを飲んでいました。フィリピンでライセンス生産しているのをボルネオでも飲んでいるのだそうです。カールスバーグは清涼感があってしかもおいしい、日本人好みのビールです。

 そこで結論。ドイツやイギリスは乾燥していないのでウイルスの毒性は強くない。メキシコは乾燥しているのでウイルスの毒性は強い。日本やアメリカはその中間である。

②テキーラ
テキーラといえばメキシコを代表する蒸留酒ですね。サボテンから作られていると思っていらっしゃる方も多いと思いますが、竜舌蘭という砂漠性の植物を原料としています。個性的な味のする度数の強いお酒で、塩を舐めながら飲むのが似合っています。

 結論。テキーラ → 砂漠 → 乾燥 → ウイルス である。

③ワイン
やせた土地をワインは好みます。空気や土地が乾燥していると良い葡萄が採れるからです。ですから有名なワインの生産されるところは空気や土地が乾燥しており、インフルエンザのウイルスには快適な環境だと言えます。アメリカではカリフォルニアワインが有名なカリフォルニア州は危ないですね。ニューヨークはどうなのでしょうか。

 結論。ヨーロッパでもワインで有名なフランスは危ない。

 以上、もっともらしい説明をしてきましたが、こんなもの、絶対に参考になどしないでください。

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友達へのメール 2008/07/23

2009年04月29日 | 日記
「不立文字」への返信への返信

 返信を有難うございます。また、ご指摘を有難うございます。自分の頭の中を整理するのに助かります。「歴史」の分野は不得手なもので、刺激になりますよ。

①断定について
本を読んでの私の理解、と取ってください。ただ、「断定調」は文章を引き締めるのに便利です。

②背景 その1
先週亡くなった日本の言語学者(名前を忘れました)の説では、日本語のルーツはインド・アーリア人の侵攻でインドの南へ押し出されたタミール人(でしたっけ?)の言葉ではないかとのことです。タミール語と日本語は文法が似ているのだそうです。でもそれは紀元前1000年くらいのお話ですね。タミール人が日本や朝鮮に来た可能性は高いです。

③背景 その2
日本の弥生式時代から紀元700年の大宝律令の頃まで、日本は大変に国際的な国だったようです。朝鮮半島の南東部には新羅、南西部には百済、そして北部には高句麗がありましたが、インドの場合と同じく、中国の勢力に北方から押し出されるように朝鮮半島から日本へ多くの人達が渡ってきたようです。日本では「越」つまり越前・越後、出雲、北九州が新羅系のようです。瀬戸内海から近畿へ上陸したのは百済系ですね。彼らは稲作や鉄器を持ってきたので、日本では快く受け入れられました。ですから朝鮮語と日本語の文法がそっくりなのはそういった次第なのです。

 紀元500年頃の継体天皇は新羅系、大化の改新の中大兄(天智天皇)は百済系、蘇我氏は百済系、中臣鎌足は新羅系、大海人(天武天皇)は新羅系。複雑です。

 唐は朝鮮半島を攻略するのに、先ず新羅を味方につけて百済を討ちます。唐の百済への第1波について、斎明天皇は兵を出しませんでしたが、第2波(白村江の戦い)には中大兄が兵を出して敗れます。そして百済がなくなると今度は唐と新羅の関係が悪化します。紀元600年から700年の間の日本の歴史はこの背景が分からないと語れません。

④ハングル文字
ハングル文字が出来たのは紀元1400年頃、それまでは朝鮮でも日本と同じように「漢字」を使って、表現に悪戦苦闘していたようです。朝鮮ではハングル文字だけの時代が長かったようですが、だんだんに「漢字」を加えるようになっているそうです。ハングル文字は1語に3つくらいの音(おん)を組み合わせるようですね。日本の「かな」よりも便利そう。

⑤アルファベットと日本語
「かな」は表音文字ですから、アルファベット風に表現すると、「まえ と うしろ に わかれ て あるき ましょう」となるのでしょうが、まだまだ表意文字に助詞や助動詞がひっついているのが分かります。アルファベットは単語と単語を離すことで「表意文字」と「文法文字」を明快に区別して並列に表現できますね。

 以上、多少なりと、お返事になりましたか?
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「管理」VS「自己責任」

2009年04月28日 | 日記
「管理」VS「自己責任」

 日本には変なことが2つあります。1つは「サービス」について、もう1つは「自己責任」についてです。

 日本ではサービスを提供する人達は大変な思いをしています。医者にしても消防にしても、ガソリンスタンドにしても、また24時間営業のコンビニにしても、この人達はちゃんと睡眠はとれているのだろうか、食事はとれているのだろうかと心配になってしまいます。一方でサービスを受ける人達は大変恵まれています。世界でも相当高い水準のサービスを受けているのに、言葉は悪いのですが、文句を言うときは「言いたい放題」です。

 産婦人科の女医さんはあまりにも忙しいので自分の子供を産めないのだそうです。一方、医者にかかって、結果が悪かった人達は裁判に訴えます。いったいどうしてこんなことになってしまったのでしょうか。

 人間の命(人命)に値段がついているからでしょう。一旦何かが起こればサービスを提供する側は責任を追求されます。責任を追及されるので、サービスを提供する側はその組織の内部をがっちりと管理します。なんといっても「安全第一」です。この「管理」のありかたは日本特有のものでしょう。「主権在民」ではなく「責任在管理」です。

 サービスを提供する側の「安全」についての「管理」があまりにも徹底しているので、サービスを受ける側の人達は、サービスを受ける際の責任についての意識が相当希薄になっています。これは「自己責任」の放棄です。本来サービスを提供する人達も、またサービスを受ける人達も、同じ人間として同等の価値、同等の責任を持っている筈です。「自己責任」はその両方に等しくあることを皆が忘れているかのようです。

 「自己責任」についてもうひとつ申し上げますと、最近、お気の毒な事件が2つありました。テレビのニュースで知ったのですが、1つは、小学校に入学したばかりの児童が路線バスから降りたときに、なぜかバスの前に回りこんでしまい、運転手はそれに気付かずにバスを発車させてしまい、児童を死なせてしまったというのです。60才の運転手は「自動車運転過失致死」の容疑で逮捕されました。

 もう1つは、駐車場に車を入れようとしていた25才の会社員の青年が、先に駐車した車から降りた3才の幼児に車を当ててしまい、その子を死なせてしまったというのです。運転手の青年は「自動車運転過失致死」の容疑で逮捕されました。

 この2人の子供達、小学校に入学したばかりの児童と3才の幼児は本当に気の毒です。でもここで私には納得できないものがあります。私は事件の現場を見た訳ではないので本当のところは分からないのですが、普通、バスの運転手は児童がバスを降りたあと、バスの前へ回り込むとは想像しません。ましてそれを目視出来ないのですから、普通なら運転手はバスを発進させます。

 駐車場の3才の幼児にしても同じです。駐車場に車を止めようとする会社員は、まさか駐車場を3才の幼児が1人で歩き回っているとは、普通、想像しません。また、車をバックさせるときには必ず死角があります。

 小学校に入学したばかりで、まして路線バスで通学する子供に対し、親(保護者)がバスの乗り降りについて口を酸っぱくして指導しておくのは当たり前のことです。

 3才の幼児にしてもそうです。車から降りるときに、親よりも先に子供を降ろさせないというのは子育ての鉄則です。

 60才のバスの運転手と25才の車の運転手が「自動車運転過失致死」の容疑で逮捕されるのは仕方のないことですが、そのときどうして一緒に子供の親が「保護者責任過失致死」の容疑で逮捕されないのか私には不思議です。またこういった事件のときにマスコミが親の責任について言及することはまずありません。逮捕された運転手も我が子を失った親(保護者)も、亡くなった子供に対して同じ人間として同等の責任を持っている筈です。

 このような痛ましい事件は過去に何度かありましたが、「私の不注意であなたが監獄に入ることになって誠に申し訳ない」と親が運転手に詫びたという話は聞いたことがありません。が、子育てにはこれくらいの気迫が必要なのです。

 先に「サービス」のところで日本人の「自己責任」意識が希薄になっていることを申し上げましたが、このような悲惨な事件を耳にするときに、私はどうしてもこの国の「自己責任」意識の希薄さについて引っかかりを感じるのです。

 「自己責任」意識は民主主義の基本です。

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ボルネオにて

2009年04月27日 | 日記
ボルネオにて

 ボルネオへ行ってきました。ボルネオといっても、マレーシア、ボルネオ島のコタキナバルという所です。ホテルはコタキナバルから北へバスで30分くらいのところにありました。

 私達はジャングル・クルーズというのに出掛けました。コタキナバルから南へバスで2時間ほど走ると船着場があります。そこで私達はライフジャケットをつけて船外機のついたボートに乗り、別の船着場へ向かいます。そこには2階建ての木造の中型船が待っていて、私達はそれに乗り換えてライフジャケットを脱ぎました。中型船では5人の男性と3人の女性が私達を待っていました。中型船は川の真ん中を進みます。

 私達が船の舳先(へさき)で写真を撮っていると空に虹が出ました。私達が「虹だよ」と言っていると程なく雨がポツリポツリと降り出して、突然それはスコールに変わりました。船員達は透明の雨よけのシートを巻き降ろしますが、スコールと共に突風も吹いてきて、雨よけのシートを吹き上げます。空には稲光(いなびかり)。傘も雨合羽も間に合わないうちに船の中には相当の雨が降りこんできました。

 スコールの中を船が進んでいるとようやく雨も上がって、船員達は雨よけのシートを巻き上げます。するとガイドのワンさんが船の左側の木の枝を指差して皆に言います、「テングザルが見えますよ!」。木々の枝がざわざわと揺れて、そこでは10匹ほどのテングザルが好みの木の葉を食べ始めたようです。スコールで木の葉が濡れると木の葉が食べ易くなり、テングザル達が一斉に食べ始めるのだそうです。

 私達にテングザルがより良く見えるようにと、船は川岸に近づいてくれます。川岸といっても、川岸には無数の木々が川に向かって枝を張っているので、船は接岸というより接樹してしまいました。そうすると船は身動き出来なくなってしまったのです。船は前へ進もうとエンジンを吹かしたり、後へ戻ろうとエンジンを吹かしたりするのですが、エンジンからは青い煙が吹き上がるばかりで、船はどうにも動いてくれません。何度も同じことを繰り返した後に、船外機をつけたボートがやってきて、私達の船をロープで川の真ん中 まで引き戻してくれました。そうやってやっと、私達の船は運航を再開しました。

 日も暮れて私達は船の女性達が作った夕食をいただき、続いて蛍見物へと向かいました。

 ジャングル・クルーズで私が1番驚いたのはテングザルでも蛍でもなく、船員達の態度でした。突然のスコールのときも、また船が接岸ならぬ接樹して身動きが取れなくなったときも、彼らは一貫して穏やかに微笑んでいました。また、誰かが誰かに命令する訳でもありません。彼等はそれぞれ自分のタイミングで動いていました。

 同じことが日本で起こっていたらどうなったでしょうか。おそらく船長は部下達を怒鳴りつけ、部下達はてきぱきと動き回ります。客は船員に「どうなっているのか説明しろ」と要求しますし、船員は無理に笑顔を作って「大丈夫です、問題ありません」と説明に勉めるところです。どうも日本人は相手の弱点をつかまえて相手を責めるのが好きなようです。でも昔から日本人はそうだったのだろうか。

 私はジャングル・クルーズの船員達の態度に、なんとも言いようのない懐かしさを感じていたのです。

 さて、私達が泊まったホテルはリゾート・ホテルで、そこでは自然保護を強調していました。出来るだけ野生のもの、自然のものを大切にしているのです。ガイドのワンさんが「ホテルの庭の水辺にはトカゲがいますよ」と教えてくれたので、私は朝食の後、トカゲを探すことにしました。私はホテルの庭の池に向かいました。岸辺には小さな看板が挿されていて「ウォーター・モニター」と英語で書かれています。ここにはウォーター・モニターというトカゲがいますよということです。

 私は水辺の木や草の根元を丁寧に覗いて回りました。結構大きな池をぐるっと回ってみましたが何も見えません。「やっぱり無理か」とがっかりしていると、ネッシーが湖面に頭を出すように、黒い頭が水面に現れ、それはスーッと岸へ向かって進みます。大きなトカゲが池から芝生へ這い上がってきます。胴体の長さが40㎝くらい、尻尾が60㎝くらい、全部で1mくらいのなかなかのオオトカゲです。

 私がこのオオトカゲをデジカメで追いかけていますと、私の後を通り過ぎていくバギーからホテルの従業員が私に大きな声をかけ、私の左前方を指差します。私がそちらの方に目をやると、そこにはなんと、もっと大きなオオトカゲが日光浴を始めていました。全長が160㎝くらい、つまり私の背丈と同じくらいのやつです。テレビで見たことのあるコモド・ドラゴンを小さくしたような姿をしています。

 私はそのオオトカゲの方へ行き、4m程のところで腰をかがめ、オオトカゲに向かって手招きをして、「おいおい、こっちへおいで」と呼びかけました。オオトカゲは私の手の動きに気がつくと、こちらに向かって悠然とまっすぐに進んできます。オオトカゲがかなり近くまで進んできたので私もすこし怖くなり、間違って手を噛まれてもいけないとその場で立ち上がりました。私が立ち上がるとオオトカゲは私が餌をやるのではないと察知したのか、私の足元1mのところをすり抜けて行きました。

 私が回りに目をやると、池に隣接したオープン・エアのレストランには白人の夫婦がいました。奥さんは怖そうな顔をしていましたが、ご主人はムービー・カメラを持って芝生にやってきてオオトカゲを撮りはじめました。池の向こうを見るともう1匹、1mくらいのオオトカゲが日向ぼっこをしていました。

 こんなことが実際にあるのです。

 もし日本のリゾートホテルでオオトカゲを放し飼いにしていたらどうなるのでしょう。「事故でもあったら誰が責任をとるんだ」でしょうね。ホテルの客には女性も子供もいます。親が目を離した隙に幼い子供がオオトカゲに近寄りすぎて噛まれてしまうかもしれません。結局日本では「安全第一」ということでホテルの庭の片隅に檻をつくり、その中にオオトカゲをいれる。檻は臭くなってお客さんは誰も近づかないので、それでおしまい、なのでしょうね。

 ジャングル・クルーズにしてもホテルのオオトカゲにしても、ボルネオには日本のような「管理」がありませんでした。安らぎと自由の世界です。また、自己責任の世界です。いったい何時から日本には「自己責任」というものが無くなってしまったのでしょうか。

 ボルネオという熱帯雨林地帯の人々や動物や植物がこれからも穏やかな生活をどうか続けてくれと願うばかりです。


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「コルカタ」幻想

2009年04月26日 | 日記
「コルカタ」幻想

 NHKのBSハイビジョンで「コルカタ」をやるというので、つい観てしまいました。昔は「カルカッタ」と呼んでいたのをいつからか「コルカタ」と呼ぶようになっていたのは知っていましたが、どうも馴染めません。「カルコタ?」「コルカタ?」「凝る肩?」などと悩んでしまいます。

 番組は1時間半の枠で、人口密度が世界で1番高いといわれる「コルカタ」を日本人の詩人のおばさんが訪問し、カメラマン、ガイドと共に「コルカタ」に暮らしている様々な庶民の家庭・家族を訪ねてはインタビューをする。そしてその折々に彼女の詩を紹介する形になっていました。

 昔はインドの自動車といえばアンバサダーというインドの国産車しか走っていませんでしたが、テレビの画面にはいろいろな色や形の自動車が映っていて、昔日の感があります。それでも「コルカタ」が他の都市より遅れているのか、タクシーはアンバサダーだったので何故かほっとして自分の居場所を見つけたような気がします。

 詩人のおばさんは「コルカタ」のバザールの裏の細い路地を進み、庶民達の住まいに入っていきます。住民達の表情ははにかんでいて、やさしくカメラの通り道を作ります。狭い部屋に大勢で暮らしている住民達におばさんは質問をします。「夫婦喧嘩はしないの?」「子供達はどこで勉強するの?」「皆で助け合っているの?」。また3階建てくらいのビルに一族全部が暮らしている家庭もあります。「おばあさん、おばさん、おい、めい、・・・、大勢で暮らしていてなにか問題はないの?」。

 なぜ、こういう通り一遍の質問しかしないのでしょうか。わざわざコルカタまでやってきたのにもったいない。「インドには神様が沢山いるそうだけど、あなたはどの神様が好き?どうして?」とでも聞けばいいのに。そうしないと人の心の奥には入っていけません。

 住民達の返事は聞くまでもありません。「夫婦喧嘩はしません」「しても誰か隣人が間に入って解決します」「勉強はベッドの上でさせます」「親族同士で助け合っています。何の問題もありません」。

 「嫁姑の問題なんか起きないのかしら」と妻が私に聞きます。

 「起きるに決まってるじゃん」と私は答えます。「こんな綺麗ごとばっかりが本当だったら、マザー・テレサの孤児の家や死を待つ人の家なんか最初っから要らないよ」・・・私はこの番組に失望します。質問なんかしないで、ただじっと住民達を見つめていれば、リアリティは必ず伝わってくる筈なのに。

 日が暮れて真っ暗闇の夜が来ると、電球の明かりの中で少女達は音楽に合わせてダンスをします。母親もダンスに加わります。詩人のおばさんも一緒に踊ります。突然、停電が起こります。真っ暗闇の中で彼女らは踊ります。若い女性のサリーが詩人のおばさんの肌に触れます。

 おばさんの詩が画面に紹介されます。そこには剥き出しの肉体の躍動があって、おばさんを戸惑わせています。さすがに詩人、いいところを捉えています。

 おばさんはまた、タゴールの詩を紹介します。そこでは「コルカタ」の街全部が動いています。移動しています。ビルが揺れ、道路が揺れ、人々がゆれ・・・・・。むっとする「コルカタ」の暑気が「コルカタ」を一塊(ひとかたまり)の躍動する生命体にしてしまいます。

 おばさんはまだ気付いていません。おばさんを圧倒し、恐怖させ、虜にしているのがシャクティの波動であることを。

 シャクティとはシヴァ神の妃カーリー(ドゥルガーともいう)女神の性的な力のことで、サーンキヤ哲学ではプラクリティと呼ばれている物質原理のことです。

 コルカタへ来たらドッキンネッショル寺院に行かないと。カーリーガート寺院へ行かないと。マザー・テレサの孤児の家や死を待つ人の家へ行かないと。ああもったいない。そこへ行くだけで、そこに居るだけでインドの波動を受けられるのに。

 インタビューによる空疎な会話を重ねるよりも、そこに居て受ける波動のほうが遥かに迫力があるのにと、またまたもったいないなあという気持になってしまいました。

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