ANANDA BHAVAN 人生の芯

ヨガを通じた哲学日記

ラヒリ・マハサヤ

2009年03月25日 | 日記
ラヒリ・マハサヤ

 ヴァラナシの迷路のような石畳の細道をくぐって、私たちはラヒリ・マハサヤのお寺にたどりつきました。すでに陽は落ちて、あたりは段々暗くなっていました。
 お寺のご当主はサットヤ・チャラン・ラヒリという人で、ラヒリ・マハサヤのお孫さんでした。「この寺を訪ねてきたのは外国人ではあなたが3人目です。ドイツ人が来たし、アメリカ人が来たし、そしてあなたが来ました。日本人としてはあなたが初めての人です」。
 私はラヒリさんに、ラヒリ・マハサヤから綿々と伝えられてきたヨガを、カルカッタのゴーシュ先生ご夫妻が日本で教えていらっしゃることをお話ししました。また、パラマハンサ・ヨガナンダについての本のお話しや私が常々思っている仏教とヒンドゥーイズムの関係についてもお話ししました。

 翌々日の3月6日の夕方、私はもう1度マズムダールさんとこのお寺を訪問しました。お寺ではお坊さんがバガヴァッド・ギーターの朗詠をしていました。そのあと、その場にいた20人くらいの人達がハレ・クリシュナ、ハレ・ラーマ・・・・と歌いました。お寺には6角形の祭壇があり、祭壇の奥中央にはシヴァ神のシンボルであるシヴァ・リンガム、その手前向かって左側にラヒリ・マハサヤの像、右側にはラヒリ・マハサヤの息子さんの像がありました。人々はオルガン、かね、タンバリンで演奏しながら3体の像に聖歌、聖火、聖水をお供えしました。
 ラヒリさんは私が持っていたメモ帳を手に取り、なにか書いてくれました。読んでみると、サットヤ・チャラン・ラヒリの父はティン・カリ・ラヒリ、祖父はシャーマ・チャラン・ラヒリと英語で書いてありました。
 ラヒリ・マハサヤの「マハサヤ」は、「偉大な聖者」というような意味の呼び名でした。マハトマ・ガンジーの「マハトマ」が「偉大な魂」を意味するようなものですね。ラヒリ・マハサヤの実名はシャーマ・チャラン・ラヒリでした。

 ラヒリさんのすすめで私はしばらく黙想し、それから日本語のバガヴァッド・ギーターをラヒリさんにプレゼントしてお寺をおいとましました。

 6年後の1987年8月に私は息子を連れてヴァラナシを訪問しました。今度はガイドのK・K・シンさんもラヒリ・マハサヤのことを調べていて、私たちをお寺へ案内してくれました。サットヤ・チャラン・ラヒリさんはすでに亡く、息子さんのシベンドゥ・ラヒリという人があとを継いでいました。

 振り返れば夢のような時だったのです。
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