ANANDA BHAVAN 人生の芯

ヨガを通じた哲学日記

健康診断

2015年10月04日 | 日記
健康診断

 健康診断は自動車で言えば車検のようなもので、また数値だけが独り歩きする傾向が有るのであまり信頼して居ませんが、ヨガ道場のゴーシュ先生に健康診断を受けて下さいと言われ、7月の末でしたか、6年ぶりに受ける事にしました。

 役所からの案内状に有るクリニックの名簿を調べ、家から徒歩15分の駐車場の無いクリニックにするか車で15分の大きな駐車場の有るクリニックにするか考えましたが、7月末から8月は猛暑なので遠くても駐車場の有るクリニックにお願いする事にしました。予約の電話を入れて見ますと受付の女性がスケジュールを調べてくれて、「9月25日の午前9時です、15分前には来て下さい」と言います。まだ7月なのに9月の末とはどう言う事でしょうか。7月から8月は余りにも暑いので体調を崩す人も多く、健康診断は9月以降にするよう決まっているのかも知れませんね。

 9月25日の朝、起きて見ますと傘も役に立たない程の豪雨。予約を家から徒歩15分のクリニックにしていたらひどい事になっていた事でしょう。通勤時間帯に掛かったようで道路は随分混みましたが駐車場には楽に車を入れ、余裕でクリニックに到着しました。

 必要事項を用紙に記入し、身長、体重、腹囲、血圧と測りますと血圧の高い事。何度か深呼吸をして測り直しはしましたがあまり下がりませんで、これは仕方が無い。次に心電図を取り胸部エックス線も取り、最後に採血と検尿。私は血管が細く採血にはいつも苦労するのですが、看護婦さんが上手に採血してくれました。

 健康診断の結果の説明は1週間後、10月2日の午後4時半に来て下さいと言われ、役所の決まり通りに500円を支払いました。

 10月2日の朝、起床しますと恐怖を覚えます。昨日の夜まで何とも感じなかったのに、この恐怖は何でしょうか。健康診断でがんが見つかった、あるいはがんになりそうな数値だと言われた友人知人も有りますので、自分にも何か重篤な病気が見つかるのでは無かろうかと言う恐怖なのでしょう。

 私は自分が何を恐怖しているのか、自分の心を点検して見ます。

 死が怖いのだろうか。しかし死後の世界には天国も地獄も無く、死後の自分は何の属性も無い只の存在(有)だけで光を楽しんでいるのですから、死自体は怖くも有りません。

 死に至る過程での苦痛が怖いのだろうか。しかし最近は医術も進み、痛みの緩和技術も相当なものでしょうし、私は痛みを恐怖しているようでも有りません。

 (人間)関係が一瞬に消滅するのが怖いのだろうか。しかし(人間)関係が一瞬に消滅するのが怖いのは本人よりも周りの人達でしょう。関係消滅の儀式(お葬式)も必要でしょうし、関係消滅の社会的な手続きも面倒な事でしょうがこれは本人の与り知らぬ事です。

 結局、今の状態を惰性と言いますか慣性と言いますか、変化せずに先に伸ばしたいだけなのでしょう。人生は未知との遭遇の連続であり変化の連続で有る事は人生を振り返って見ればすぐに分かる事ですのに、変化を望まない心が有るのです。これは人類の進化過程に於いて不要となった尻尾(しっぽ)のようなものでしょう。

 自分の死が3年先、5年先、10年先なら問題無いのでしょうか。しかし、3年先、5年先、10年先としてもその時になればその時は「今」なのですから、現在の「今」となんら変わりは有りません。現在の「今」を恐怖するので有れば3年先、5年先、10年先も同じ事。

 結局の所、自分が何を恐怖しているのか分からなくなり、そうしますと、今朝から起こっていた恐怖は消えて無くなっていました。

 午後4時15分に私はクリニックに着き、4時30分には診察室に呼ばれました。

 検査結果は概ね良好で、肝機能はγーGTPが多少高いもののまあまあ、中性脂肪は239と高いものの、10年前には445でしたから私としては満足、腎機能は良好、血糖値もOK、貧血も無しでした。胸部エックス線では過去の肺炎らしき痕は見られるが問題無し。

 野菜や魚を取りお酒は控え運動をしなさいと言う一般的な指導を先生から受けて私は診察室を出ました。

 会計カウンターの若い女性に呼ばれ、診察券と診断結果の資料を貰いますと彼女が「本日の会計は~です」と言いますので私が「えっ?」と聞きますと彼女は右手の親指と人差し指を付け丸くして見せます。「あっ、無料ですか?」に彼女は頷き、私は「有難うございます」とクリニックを後にしました。

 今時の若い女性が親指と人差し指で丸を作って「無料です」のサインをくれたのは私にとって新鮮な驚きでした。






コメント
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