ラーマクリシュナ
日本では明治時代のころだと思いますが、インドのカルカッタにラーマクリシュナという人が現れました。ドッキンネッショル寺院で、カルカッタで信仰を集めていたカーリー女神の瞑想をして悟りの境地に至った人です。ドッキンネッショル寺院には今でもラーマクリシュナが瞑想をしていたパンチャ・ムンディという5本の木でかこまれた瞑想の場所があります。
ラーマクリシュナは言います、子供が生まれると親達は子供を可愛いと思うのですが、これは親達が自力で子供が可愛いと思う気持を発しているのではなく、神様が親達に子供を可愛いと思わせているのだ。
なるほど、そうすると、私達は子供を可愛いと思うだけでなく、「子供を可愛いと思う気持を授けていただいて有難うございます」と神様に感謝することになり、子供に向かっては可愛いと思う心を発し、神様に向かっては感謝の気持を発するということになって、1粒で2度美味しいといいますか、喜びも2倍になってくる訳です。神様は子供がすくすくと育つように、親達にある種の魔法をかけるということですね。
私も子供が生まれたとき、私の妻の両親、そして祖母(子供達にとってはおじいちゃん、おばあちゃん、そして大きいおばあちゃんということになります)が子供達を随分可愛がってくれて、甘いものや果物を与えたり、おもちゃを買ってくれたりしました。私はその好意を受けるのになにか屈折したものを感じ、素直に感謝することができませんでした。でも、あるとき、思ったのです。神様がこの人達を通して子供達を可愛がってくれているのだ。
その時から私は大変素直になりました。「はい、ご馳走になります」、「はい、おもちゃをいただきます」、これは大変な変化でした。
話変わって。
私達は自分の子供が可愛いと思うのですが、同じようによその子を可愛いと感じるわけではありません。小さな子として可愛いのは可愛いのですが、自分の子供のときのように泣きたくなるほどの、胸の痛くなるような感情ではありません。神様はうまく計画したものです。私達がよその子供も自分の子供と同じように可愛いと思ったら、親同士で子供達の奪い合いが始まります。それをうまく避けているのですね。
このように、日常のちょっとしたことにでも神様を介在させて考えてみると、人間はずいぶんと素直になれるものです。
日本では明治時代のころだと思いますが、インドのカルカッタにラーマクリシュナという人が現れました。ドッキンネッショル寺院で、カルカッタで信仰を集めていたカーリー女神の瞑想をして悟りの境地に至った人です。ドッキンネッショル寺院には今でもラーマクリシュナが瞑想をしていたパンチャ・ムンディという5本の木でかこまれた瞑想の場所があります。
ラーマクリシュナは言います、子供が生まれると親達は子供を可愛いと思うのですが、これは親達が自力で子供が可愛いと思う気持を発しているのではなく、神様が親達に子供を可愛いと思わせているのだ。
なるほど、そうすると、私達は子供を可愛いと思うだけでなく、「子供を可愛いと思う気持を授けていただいて有難うございます」と神様に感謝することになり、子供に向かっては可愛いと思う心を発し、神様に向かっては感謝の気持を発するということになって、1粒で2度美味しいといいますか、喜びも2倍になってくる訳です。神様は子供がすくすくと育つように、親達にある種の魔法をかけるということですね。
私も子供が生まれたとき、私の妻の両親、そして祖母(子供達にとってはおじいちゃん、おばあちゃん、そして大きいおばあちゃんということになります)が子供達を随分可愛がってくれて、甘いものや果物を与えたり、おもちゃを買ってくれたりしました。私はその好意を受けるのになにか屈折したものを感じ、素直に感謝することができませんでした。でも、あるとき、思ったのです。神様がこの人達を通して子供達を可愛がってくれているのだ。
その時から私は大変素直になりました。「はい、ご馳走になります」、「はい、おもちゃをいただきます」、これは大変な変化でした。
話変わって。
私達は自分の子供が可愛いと思うのですが、同じようによその子を可愛いと感じるわけではありません。小さな子として可愛いのは可愛いのですが、自分の子供のときのように泣きたくなるほどの、胸の痛くなるような感情ではありません。神様はうまく計画したものです。私達がよその子供も自分の子供と同じように可愛いと思ったら、親同士で子供達の奪い合いが始まります。それをうまく避けているのですね。
このように、日常のちょっとしたことにでも神様を介在させて考えてみると、人間はずいぶんと素直になれるものです。