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ANANDA BHAVAN 人生の芯

ヨガを通じた哲学日記

ラーマクリシュナ

2009年07月31日 | 日記
ラーマクリシュナ

 日本では明治時代のころだと思いますが、インドのカルカッタにラーマクリシュナという人が現れました。ドッキンネッショル寺院で、カルカッタで信仰を集めていたカーリー女神の瞑想をして悟りの境地に至った人です。ドッキンネッショル寺院には今でもラーマクリシュナが瞑想をしていたパンチャ・ムンディという5本の木でかこまれた瞑想の場所があります。

 ラーマクリシュナは言います、子供が生まれると親達は子供を可愛いと思うのですが、これは親達が自力で子供が可愛いと思う気持を発しているのではなく、神様が親達に子供を可愛いと思わせているのだ。

 なるほど、そうすると、私達は子供を可愛いと思うだけでなく、「子供を可愛いと思う気持を授けていただいて有難うございます」と神様に感謝することになり、子供に向かっては可愛いと思う心を発し、神様に向かっては感謝の気持を発するということになって、1粒で2度美味しいといいますか、喜びも2倍になってくる訳です。神様は子供がすくすくと育つように、親達にある種の魔法をかけるということですね。

 私も子供が生まれたとき、私の妻の両親、そして祖母(子供達にとってはおじいちゃん、おばあちゃん、そして大きいおばあちゃんということになります)が子供達を随分可愛がってくれて、甘いものや果物を与えたり、おもちゃを買ってくれたりしました。私はその好意を受けるのになにか屈折したものを感じ、素直に感謝することができませんでした。でも、あるとき、思ったのです。神様がこの人達を通して子供達を可愛がってくれているのだ。

 その時から私は大変素直になりました。「はい、ご馳走になります」、「はい、おもちゃをいただきます」、これは大変な変化でした。

 話変わって。

 私達は自分の子供が可愛いと思うのですが、同じようによその子を可愛いと感じるわけではありません。小さな子として可愛いのは可愛いのですが、自分の子供のときのように泣きたくなるほどの、胸の痛くなるような感情ではありません。神様はうまく計画したものです。私達がよその子供も自分の子供と同じように可愛いと思ったら、親同士で子供達の奪い合いが始まります。それをうまく避けているのですね。

 このように、日常のちょっとしたことにでも神様を介在させて考えてみると、人間はずいぶんと素直になれるものです。
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お墓の効用

2009年07月24日 | 日記
お墓の効用

 生と死は、無が有に転じるか、有が無に転じるかの、言ってみれば生命の同じ働きではあります。でも赤ん坊が生まれてきたとき、私たちは「あれ、なんで昨日まで影も形もなかったものが、ここに居るの?」と、無が有に転じたことをそんなに不思議には思いません。やはり、腕の中に現物があるので、受け入れやすいのです。納得しやすいわけです。

 一方人が死にますと、昨日まで元気だった人が今日はどこにもいなくなります。消えてなくなったのです。残された人達にとって、これはなかなか受け入れ難いことです。納得できません。居たのに消えた。

 そこで残された人達は遺骨が散逸しないように決まった場所に埋葬し、そこに誰々さんは確かに生きていましたと確認するために目印を立てるのです。残された人達は死んでしまった人がもういないのに、今もそのあたりに居るように感じ、どういうことか分からないことに直面して嘆きます。その気持が強いとき、残された人達はお墓参りをして、あの人は間違いなくこの世に居たのだと、確信を新たにするのです。それはその人が消えてしまったことに慣れるまで心の調整作用として続きます。10年以上はかかります。

 ですからお墓は、死んだ人のためにあるのではなく、残された人達のためにあるのです。

 一方、死んでしまった人は死の世界、あるいは死後の世界に向かってどんどん進みます。恐さ半分、好奇心半分、ワクワク感が一杯で、とても残された人達の心配をする余裕などありません。ご先祖様がお墓に居て後世の人達を評価するなどという考えを私は却下します。お墓は残された人達のためにあります。

 ですから私はお墓というものは、残された人達が互いに争わず、ともに心の調整、沈静化ができるように、納得できるようにすれば、それでいいのだと思います。
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泥沼に蓮の華咲く

2009年07月17日 | 日記
泥沼に蓮の華咲く

 私が30代の後半の頃の事でした。うちの隣の課のM課長が上司のU部長にお願いをしました、「今夜大事な得意先の接待をするのですが、部長、御同行をお願いできませんか?」。うちの課の統括でもあったU部長は、今夜は別の仕事が入っているので同行できないと答えました。

 翌朝始業時間前に私が出社しますと、U部長がM課長を叱りつけています。どうやら昨夜U部長に仕事など無く、銀座のとあるクラブでU部長が1人で飲んでいるところに運悪くM課長がお得意先を連れて入ってしまい、両者が遭遇してしまったらしいのです。こういうときは普通、部長がにやっと笑い、「昨日は悪かったな」と課長に詫びて終わりなのですが、U部長は違いました。

 部下の課長は上司である部長が普段どこのお店を贔屓にしているかくらい把握しておくべきところを間違ってそのお店に入ってしまった、これは大変な怠慢である。「お前に課長の資格は無いっ!」と怒鳴りつけます。M課長は相手が上司なので言い返すことも出来ません。M課長の腹の中は煮えくり返っていたでしょうが、横で聞かされるほうもたまりません。「なんとかしてくれよ」と思っているところに支店長が出社してきました。U部長の態度はころっと変わり、M課長への罵倒を止めると、何事も無かったかのようにデスクの引き出しに手をやり、書類を探り始めました。

 こんな人柄なのでU部長からは私も度々被害に遭いました。「この人は自分が刺し違える程の人物では無い」とか「この人と刺し違えると自分もこの人と同じレベルに堕ちてしまうのだ」とか自分によく言い聞かせたものです。

 太平洋戦争の初期に「バターン死の行進」というのがありましたが、その時に捕虜の兵士達が、彼等を連行する日本軍の中で上官が部下を度々殴るのを目撃し、どうしてそんな事をするのか理解出来なかったという話があります。

 戦前も戦後も日本人の権力の行使のあり方はそんなに変化していなかったようです。

 私の先の妻が亡くなった時、通夜にU部長の姿を見て私は驚きました。その頃には既にU部長は私の直属の上司では無かったからです。忌引きが明けて出社した私は弔問のお礼を申し上げようとU部長のところへ行きました。ところがU部長は私が誰なのか理解できない様子なのです。かなり重度の認知症のようでしたが、不思議なことに自宅と会社の往復は出来るのです。

 U部長はそれから定年退職後1年ほどで亡くなられました。

 一方のM課長はその後喉に癌を発症し、声を失われました。

 こんなのは企業戦士の壮絶な戦死などではありません。内輪モメ、あえて言うなら「自爆」です。人間、いつかは死ぬものです。だったらもうちょっとマシに生きたいものです。「泥沼に蓮の華咲く」の喩えもあるのですから。

 ちなみに、私よりも10才以上年上の人達の中にはこういった「とんでもない」人もたまには居ましたが、それ以降は時代も変わり、また管理の仕組みも変わって、現在は私の愛するこの会社にはこういった理不尽な人は消えて無くなったようです。

 さてここで「泥沼」とは人間の「心の働き」を指しており、「蓮の華」とは、深い瞑想の中で人の心の働きが停止し、そこに現れる「絶対主観(アートマン)」を指しています。このように、インド思想は現実社会に直結したものであり、現実離れした思想世界の中にある訳ではありません。ゴータマ・ブッダは「苦」を克服するためにヨガの修行に入ったのですから。



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大相撲名古屋場所

2009年07月15日 | 日記
大相撲名古屋場所

 昨年私はNHKの大相撲名古屋場所のテレビ中継を見ていて面白い事に気がつきました。東京場所や大阪場所と違って、観客席の前の方にクラブのママさんと思われる女性達が何人か目立ったのです。それも毎日のことですから否応なしに目立ちます。和服姿に美容院でセットしてきた髪、それぞれの特徴ある髪型のおば(あ)さん達を見ていて私は妻に、「来年の名古屋場所にはこのママさん達はいなくなってるよ」と言いました。最近のワイドなデジタルのテレビ画面には力士達の向こうの観客の表情まで鮮やかに映し出されます。

 その頃世界のファンドマネーはアメリカのサブプライムローンから逃げ出して原油や穀物市場にお金をシフトしていて、世界中の貧しい人達から悲鳴が上がっていました。アメリカのバブルが弾けるのは時間の問題で、ですからバブルが弾けた後の来年の大相撲名古屋場所の頃は不景気の真っ只中で、クラブのママさん達が相撲観戦など出来る訳が無いのです。

 ところが、まあ、驚きました。今週から始まった大相撲名古屋場所の観客席の前の方には、去年と同じ顔ぶれの、クラブのママさんと思われる女性達がそっくりそのまま映っているのです。顔も髪型も去年とまるで一緒、これはまたどうしたことでしょうか。

 このおば(あ)さん達が自腹で相撲の切符を買っているとは思えません。大きな企業の総務部あたりが通しのチケットを買ってそれを役員達に配り、役員達が馴染のクラブのママさん達にプレゼントしているのがまる分かりです。

 名古屋のエリアは、派遣切りはダントツの日本一、犯罪の発生率も前年比150%、なのに販売渉外費が去年並みとはどうしたことか。企業経営のあり方に怒りを覚えるよりも以上に、私はこの国のジャーナリズムはどうなっているのか、ただただ呆れるばかりです。私のような一般庶民にも指摘出来るような事を何故追求しないのか。この国は不思議な国です。

 さて、昨日あたりからテレビのカメラワークが変わってママさん達の露出が少なくなっていると感じるのは私の気のせいでしょうか。
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ヒットラー

2009年07月11日 | 日記
ヒットラー

 私が新宿区担当だった頃、会社はまだ完全週休2日制ではありませんでした。海軍の言葉で半舷上陸と言うのですが、半ドンの土曜日には事務所は開けておくのですが、営業所のメンバーが毎週半分ずつ交代で休むのです。

 私が出勤当番の土曜日のこと、午前11時頃「そろそろ今日も終わりだな」と思っていると、お客様相談室の女性社員から電話が入ってきました。西新宿の小さな新聞社から電話が入って、「おたくのS・オールドに問題がある」とおっしゃっていますので対応をお願いしますと言います。女性社員は「なんだかブラックジャーナリズムのようですよ」と続けます。私は弱ったなと思いました。その日は営業所長も休んでいますし、西新宿担当の新宿区のリーダーも休みです。幸い杉並区のリーダーが出勤していましたので、私はその人に頼んでみました。「私の手には余る話なので、担当区は違いますが対応をお願い出来ませんか」。私は軽く断られてしまいました。「自分の担当でもないのに、嫌だな。でも他に人も居ないし自分が行くしかないか」と私は覚悟を決めました。

 西新宿の小さな新聞社を訪ねると、私は2階へ通されました。そこにはブラック新聞の社長とチンピラ2人が私を待っていました。ブラック新聞の社長の風貌は、まるでナチスドイツのヒットラーにそっくりでした。どうやら2人のチンピラがS・オールドの瓶をブラック新聞に持ち込み、ヒットラーが「これは金になる」と判断して会社に電話をしたようです。S・オールドのキャップは今はアルミ製ですが、当時はまだプラスティック製でした。ヒットラーが私に言います、「このオールド、中身が半分しか入っていないんだよ」。黒色のボトルを光にかざしてみると、確かに中身は半分しか入っていません。「どうしてくれるんだ」とヒットラーはたたみかけます。私がここで、「ボトルをお預かりして社内で調査のうえご報告に参ります」と対応していたらえらいことになる場面です。「適当な報告をするな、バカヤロー。誠意を見せろ」への展開ですね。

 私がボトルを手にとって観察していますと、非常に分かりにくいのですが、プラスティックのキャップを捻った痕跡を見つけました。多分、1度開栓して中身を半分にした後、キャップの裏面にボンドを塗ってからキャップを閉め直したのでしょう。「社長、このボトルは開栓されていますよ」と私はヒットラーに痕跡を示して説明します。

 そうすると今度はチンピラが黙っていません。「キャップを捻ってみたらどうだ、キャップがパチッと音をたてたら、ボトルは開いていなかったということだろう」。「そんなことをしたらこれまでの証拠が無くなってしまうじゃないですか、それは出来ません」と私。押し問答です。

 この問答を見ていたヒットラーは言います、「君では話にならん、もう1度会社に電話するぞ」。「電話をお掛けになっても今日は半ドンですから、もう誰も出ないと思いますよ」と私は答えます。会社にダイヤルしたヒットラーは私を怒鳴りつけました。「貴様、嘘をついたな!お急ぎの方は何番へダイヤルくださいって言ってるぞ!」。結局ヒットラーがそこへダイヤルしても、誰も電話を取りませんでした。

 こうなったら膠着状態です。我慢比べとでも言いますか。皆が押し黙り、睨み合いながら、なんとか活路を見出そうとします。

 しばらくしてヒットラーがやっと口を開きました。「今日は許してやろう。ボトルが開栓されているか開栓されていないかは、ボトルを上から下へまっすぐに切って断面を見るしかない。おい、もう帰ってもいいぞ」。

 私がブラック新聞を出て時計を見ると、私が3時間余り監禁されていたのが分かりました。

 翌週の月曜日、西新宿の担当である新宿グループのリーダーはブラック新聞の近くの得意先に立ち寄ってどうしたらいいものかを相談し、ヒットラーの所へ菓子折りを持って挨拶に行きました。そして事務所に戻って私に言います、「あの社長、怒ってたぞー。一昨日の奴はずっと威張り通しだったって言うんだよ」。私は威張っていた訳ではありません。恐怖の余り、顔面が硬直していただけです。

 それから1年くらいして、ヒットラーが突然死したことを聞かされました。

 酒類メーカーの営業の仕事は商品の売り込みだけではありません。お客様ご指摘対応(消費者クレームのこと)も大事な仕事です。でも実際、こんな経験はしたくもないですね。



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