ヨガの歴史とタントラの呼吸法
ブッダは紀元前500年頃の人。ウパニシャッドは紀元前後(もっと幅広いようですが、一応中心をこのあたりに置いてみます)。般若心経は日本では飛鳥時代。サーンキヤ・カーリカーとヨーガ・スートラはセットで般若心経と大体同じ頃(般若心経は密教=タントラ経典ですがサーンキヤ・カーリカーとヨーガ・スートラには密教=タントラの要素が有りません)。バガヴァッド・ギーターもこのあたりに置いて良いでしょうか。空海は平安時代初期。シャンカラがウパニシャッドをヴェーダーンタとして再評価したのも平安時代。道元が鎌倉時代でハタ・ヨガ(タントラ満開)の成立は鎌倉時代から江戸時代の初期。そしてラヒリ・マハサヤのクリヤ・ヨガが江戸時代末期から明治時代。ヨガの歴史は大体こんなものでしょうか。
ここで、タントラとは何かと言うタントラの定義は難しく、本当は定義等出来ないのでしょうが、私は単純にハタ・ヨガに有ってヨーガ・スートラに無いもの、例えば数々のアーサナ、バンダ、ムドラー、クリヤー(浄化法)、ナーディー、チャクラ、クンダリニー、シヴァ、シャクティ等をタントラと言う1つのフォルダーに入れてしまいます。そうしますとヨガの歴史がとても分かり易いのです。上記の歴史と照らし合わせますとヨーガ・スートラが歴史的に先でハタ・ヨガは後(あと)と言う事になります。ハタ・ヨガは身体に圧を加えて精神を変容させようとしますがヨーガ・スートラはそうでは有りません。
真下尊吉さんが新しい本を出版されると言うのでアマゾンで予約しましたらゴールデンウイーク最後の日に届きました。東方出版発行、真下尊吉著の「ブッダの言葉とタントラの呼吸法」です。
この本は中身が濃いのにスピードが速くてヨガの初心者には難解、いや、私の心も重くなってしまいました。そして私の心が重いのはどうしてだろうと悩んでみましたところ、ある事に気が付きました。真下尊吉さんには「ハタヨーガからラージャヨーガへ」と言う本が有ります。真下尊吉さんはどうやらヨガのアーサナとプラーナヤーマをハタ・ヨーガと定義づけし、ヨーガ・スートラのヨガの8段階をラージャ・ヨーガと定義づけされているようなのです。一方で私はヨーガ・スートラが歴史的に先でハタ・ヨガ(タントラ)が後(あと)だと思っていますので、「ラージャヨーガからハタヨーガへ」となってしまいます。
しかし、この本を読んでみますと、ハタ・ヨガ(タントラ)はウパニシャッドと同列に有ってヨガもまだ6段階で有り、そしてこれが進化してヨーガ・スートラのヨガの8段階として完成した、と解釈出来ます。ハタ・ヨガが進化してヨーガ・スートラとしての完成に至ったとは不思議な事です。ハタ・ヨガの開祖のゴーラクシャナートが先でヨーガ・スートラを編纂したパタンジャリが後(あと)とはどう言う事だろうか、疑問は残ります。そして。
真下尊吉さんと私はハタ・ヨガの位置づけが違うようですが、この本から触発されてヨガの歴史を振り返る事が出来たのは大変貴重な体験でした。そしてここで、インドは時系列の歴史を持たないと言いますから、異なった思想が歴史的に前後しても支障は無く、その結果として化学反応を起こす事も有るのでしょうか。「アブラハムの生まれる前から私はいた」と言うイエス・キリストの言葉が浮かんで来ました。
さて、この本で真下尊吉さんは「ゴーラクシャ・シャタカ」と「シヴァ・スワローダヤ」と言う2つのタントラ経典を翻訳して紹介されていますが、私はこの2編共、これまで読んだ事が有りませんでした。
「ゴーラクシャ・シャタカ」の解説に下記の文が有ります。
ムーラダーラ付近にある生命エネルギーのアパーナ気は、アギャーチャクラ周辺にあるプラーナ気を引き寄せる傾向がある。一方、プラーナ気は、ムーラダーラ周辺のアパーナ気を自分の周辺エリアに引き寄せようとする傾向がある。この両者の合一をハタ・ヨーガとする。プラーナ・アーヤーマは、ハタヨーガでは「調気法」と呼ばれるようになった理由は、ここにある。つまり、ハタヨーガでは、アパーナを引き上げ、プラーナを引き下げ、両者をヘソの辺りで合一させる。従って、ここではヴァーユのコントロールであって、後述のバンダとムドラー行法が大きく関わる(104、105頁)。
プラーナの気とアパーナの気を混ぜるとクンダリニーがびっくりして覚醒するとは佐保田鶴治さんも書いておられました。そして更にプラーナヤーマとはクンバカ(止息)の事と続いていました。私もこれを勝手にクンバ(壺)のプラーナヤーマと呼んで実践していますが、今のところクンダリニーが覚醒する様子は有りませんけれども、排便には役に立っています。
この本にはプラーナとアパーナの呼吸法の他にハムサハとソーハムの呼吸法も紹介されていて、ペール・ウインターさんのテキストを懐かしく思い出します。アーサナから更に進んで呼吸法の練習を目指す人にこの本はお勧めですね(しかし、呼吸法は我流でやると危険ですのでグル=先生の指導を受ける方が良いでしょう)。
またこの本には思想の説明も入っていまして、シャンカラの一元論とタントラの一元論とは内容が全く違う事も書かれています。シャンカラの一元論はヴェーダーンタ思想ですから現象世界をマーヤー(幻)として退け、ブラフマン(梵)=アートマン(真我)だけを真実とする一元論です。一方でタントラではシヴァとシャクティの合一をもって一元論とします。これをサーンキヤ哲学の用語を使って説明しますと、シャンカラはプラクリティをマーヤー(幻)として退けプルシャ(アートマン)だけを実在とする一元論です。一方でタントラではシヴァとシャクティ、つまりプルシャとプラクリティの両方を実在とし、その合一をもって一元論とします。
この本は内容が濃いうえにスピードが速いのでうっかり読み進みますと大変難解に思えます。ですから特にヨガの初心者の方にはゆっくりゆっくりと繰り返し読まれる事をお勧めします。
ブッダは紀元前500年頃の人。ウパニシャッドは紀元前後(もっと幅広いようですが、一応中心をこのあたりに置いてみます)。般若心経は日本では飛鳥時代。サーンキヤ・カーリカーとヨーガ・スートラはセットで般若心経と大体同じ頃(般若心経は密教=タントラ経典ですがサーンキヤ・カーリカーとヨーガ・スートラには密教=タントラの要素が有りません)。バガヴァッド・ギーターもこのあたりに置いて良いでしょうか。空海は平安時代初期。シャンカラがウパニシャッドをヴェーダーンタとして再評価したのも平安時代。道元が鎌倉時代でハタ・ヨガ(タントラ満開)の成立は鎌倉時代から江戸時代の初期。そしてラヒリ・マハサヤのクリヤ・ヨガが江戸時代末期から明治時代。ヨガの歴史は大体こんなものでしょうか。
ここで、タントラとは何かと言うタントラの定義は難しく、本当は定義等出来ないのでしょうが、私は単純にハタ・ヨガに有ってヨーガ・スートラに無いもの、例えば数々のアーサナ、バンダ、ムドラー、クリヤー(浄化法)、ナーディー、チャクラ、クンダリニー、シヴァ、シャクティ等をタントラと言う1つのフォルダーに入れてしまいます。そうしますとヨガの歴史がとても分かり易いのです。上記の歴史と照らし合わせますとヨーガ・スートラが歴史的に先でハタ・ヨガは後(あと)と言う事になります。ハタ・ヨガは身体に圧を加えて精神を変容させようとしますがヨーガ・スートラはそうでは有りません。
真下尊吉さんが新しい本を出版されると言うのでアマゾンで予約しましたらゴールデンウイーク最後の日に届きました。東方出版発行、真下尊吉著の「ブッダの言葉とタントラの呼吸法」です。
この本は中身が濃いのにスピードが速くてヨガの初心者には難解、いや、私の心も重くなってしまいました。そして私の心が重いのはどうしてだろうと悩んでみましたところ、ある事に気が付きました。真下尊吉さんには「ハタヨーガからラージャヨーガへ」と言う本が有ります。真下尊吉さんはどうやらヨガのアーサナとプラーナヤーマをハタ・ヨーガと定義づけし、ヨーガ・スートラのヨガの8段階をラージャ・ヨーガと定義づけされているようなのです。一方で私はヨーガ・スートラが歴史的に先でハタ・ヨガ(タントラ)が後(あと)だと思っていますので、「ラージャヨーガからハタヨーガへ」となってしまいます。
しかし、この本を読んでみますと、ハタ・ヨガ(タントラ)はウパニシャッドと同列に有ってヨガもまだ6段階で有り、そしてこれが進化してヨーガ・スートラのヨガの8段階として完成した、と解釈出来ます。ハタ・ヨガが進化してヨーガ・スートラとしての完成に至ったとは不思議な事です。ハタ・ヨガの開祖のゴーラクシャナートが先でヨーガ・スートラを編纂したパタンジャリが後(あと)とはどう言う事だろうか、疑問は残ります。そして。
真下尊吉さんと私はハタ・ヨガの位置づけが違うようですが、この本から触発されてヨガの歴史を振り返る事が出来たのは大変貴重な体験でした。そしてここで、インドは時系列の歴史を持たないと言いますから、異なった思想が歴史的に前後しても支障は無く、その結果として化学反応を起こす事も有るのでしょうか。「アブラハムの生まれる前から私はいた」と言うイエス・キリストの言葉が浮かんで来ました。
さて、この本で真下尊吉さんは「ゴーラクシャ・シャタカ」と「シヴァ・スワローダヤ」と言う2つのタントラ経典を翻訳して紹介されていますが、私はこの2編共、これまで読んだ事が有りませんでした。
「ゴーラクシャ・シャタカ」の解説に下記の文が有ります。
ムーラダーラ付近にある生命エネルギーのアパーナ気は、アギャーチャクラ周辺にあるプラーナ気を引き寄せる傾向がある。一方、プラーナ気は、ムーラダーラ周辺のアパーナ気を自分の周辺エリアに引き寄せようとする傾向がある。この両者の合一をハタ・ヨーガとする。プラーナ・アーヤーマは、ハタヨーガでは「調気法」と呼ばれるようになった理由は、ここにある。つまり、ハタヨーガでは、アパーナを引き上げ、プラーナを引き下げ、両者をヘソの辺りで合一させる。従って、ここではヴァーユのコントロールであって、後述のバンダとムドラー行法が大きく関わる(104、105頁)。
プラーナの気とアパーナの気を混ぜるとクンダリニーがびっくりして覚醒するとは佐保田鶴治さんも書いておられました。そして更にプラーナヤーマとはクンバカ(止息)の事と続いていました。私もこれを勝手にクンバ(壺)のプラーナヤーマと呼んで実践していますが、今のところクンダリニーが覚醒する様子は有りませんけれども、排便には役に立っています。
この本にはプラーナとアパーナの呼吸法の他にハムサハとソーハムの呼吸法も紹介されていて、ペール・ウインターさんのテキストを懐かしく思い出します。アーサナから更に進んで呼吸法の練習を目指す人にこの本はお勧めですね(しかし、呼吸法は我流でやると危険ですのでグル=先生の指導を受ける方が良いでしょう)。
またこの本には思想の説明も入っていまして、シャンカラの一元論とタントラの一元論とは内容が全く違う事も書かれています。シャンカラの一元論はヴェーダーンタ思想ですから現象世界をマーヤー(幻)として退け、ブラフマン(梵)=アートマン(真我)だけを真実とする一元論です。一方でタントラではシヴァとシャクティの合一をもって一元論とします。これをサーンキヤ哲学の用語を使って説明しますと、シャンカラはプラクリティをマーヤー(幻)として退けプルシャ(アートマン)だけを実在とする一元論です。一方でタントラではシヴァとシャクティ、つまりプルシャとプラクリティの両方を実在とし、その合一をもって一元論とします。
この本は内容が濃いうえにスピードが速いのでうっかり読み進みますと大変難解に思えます。ですから特にヨガの初心者の方にはゆっくりゆっくりと繰り返し読まれる事をお勧めします。