ANANDA BHAVAN 人生の芯

ヨガを通じた哲学日記

南インドへ

2019年11月17日 | 日記
南インドへ

 南インドへ行って来ました。これまでインドには3度行きましたが東インド(カルカッタ)と北インド(ヴァラナシ、アラハバード、カジュラホ、アグラ、デリー等)ばかりで南インドや西インドには行った事が有りませんでした。そうしましたら南インドをぐるっと回り、ついでに西インドのアジャンタとエローラまで案内してくれるツアーを見つけたものですからこの際夫婦で行く事にしたのです。しかしこの広大なエリアのツアーはかなりヘビーなもので、その行程は以下の通りです。インドの地図をご覧になれば如何に大忙しのツアーだったか分かっていただけると思いますのでその行程を以下に書きます。

 成田から飛行機で(9時間)デリーへ飛び入国したら総勢13人は現地ガイドのサルマさんと合流、そのまま国内線に乗り継いで飛行機で(3時間)南インドの東側の(ベンガル湾沿い)チェンナイに着陸、1泊して内陸部のカーンチプラムとベンガル湾側のマハバリープラムを観光してそのまま2泊。翌日は飛行機で(1時間)南方のマドゥライヘ飛んでミーナクシー寺院などを観光して1泊、翌日はバスで(6時間)インド亜大陸最南端のコモリン岬(カニャークマリ)に到着してアラビア海への日没を見て1泊、翌早朝に起床してベンガル湾からの日の出を見る。再びバスで(6時間)今度は南インド西側(アラビア海沿い)を北上してアレッピーでは広大なバックウオーター(流れの無い川)をハウスボートでクルーズしてボートで1泊。翌日はバスで(1時間半)コチへ行きコチ観光を終えたら飛行機で(3時間)デリーへ、翌日はデリー観光のあと再び飛行機で(2時間)オーランガバードまで南下。オーランガバードでは2泊してアジャンタとエローラの窟院群を観光。エローラの観光を終えるとオーランガバードへ戻り飛行機で(2時間)デリーへ。ここで現地ガイドのサルマさんとお別れして国際線の飛行機で(7時間半)成田へ、そして解散。どうです、ハードでしょう。

 マハバリープラムではインド人の大勢の家族達が観光していてファイブ・ラタやクリシュナのバターボールで楽しそうに写真を撮っていて、それは微笑ましいものでした。また南インドでは夫々の寺院の入り口にはゴープラム(塔門)と言う巨大な台形型の塔が建っていて、これは東インドでも北インドでも見ませんでした。特にマドゥライのミーナクシー寺院のゴープラム(塔門)は豊かな色彩と巨大さとで他を圧倒していて、ゴープラム(塔門)を見上げていますと自分は天国に居るのではないかと思った程です。ここのゴープラム(塔門)は5門も有り、余りの広大さにとてもとてもカメラに収める事は出来ません。インド亜大陸最南端のコモリン岬(カーニャクマリ)でのアラビア海への日没とベンガル湾からの日の出は、それはもう見事でした。

 アレッピーでは広大なバックウオーター(流れの無い川)をハウスボートでクルーズしましたが、川にはワニもおらずカバもおらず蛇もおらず、ただただ穏やかな景色が続き、広々とした二毛作の田んぼの手前では物凄い数のアヒルやヤギ達が戯れていて、またも自分は天国に居るのではないかと思ったものです。この船のキャプテンのジョースさんは6ヶ月間もこの船に寝泊まりしていて家には帰らないと言うので、ご家族の事が淋しいでしょうと言いますとスマホを見せてくれ、2人の娘さん達がヴィーナと言うインドの弦楽器やバイオリンを練習している様子を動画で見せてくれました。またこの船はツインの部屋とシングルの部屋が各1室だったので私達夫婦とガイドのサルマさんとで過ごし、夕食時にはインドの思想について語り合いました。

 アジャンタの窟院群は緑豊かな山や谷の間に姿を見せていて、これを最初に発見したイギリス人はさぞ驚いた事でしょう。アジャンタの窟院群はその外観と豊かな色彩の壁画が見事でした。

 一方、エローラの窟院群は小高い丘の上に有り、入口の前は公園になっていてアジャンタとは随分と趣が違います。そしてエローラでは何と言っても第16窟のカイラーサ寺院が圧巻でした。他の窟院と違って真上から掘り下げて作ったヒンドゥー寺院で、何代にも亘って石工達が精巧に掘り下げた様には絶句します。

 インド メモ

①煙草を吸う人はライターを1つだけ手荷物にとガイドブックには書いて有りますが国内線の飛行機を乗り継ぎする時に没収されますので、マッチを持参するかホテルのフロントでマッチを貰うかしましょう。
②ウオシュレットが無いから外国は嫌だと言う方もおられるでしょうが、インドは大丈夫です。トイレには金属製のよく曲がるホースシャワーが有りストッパーも付いています。お尻を良く洗ったら紙は流さずゴミ箱に捨てましょう。
③南インドではサイクルリクシャをほとんど見ませんでした。暑期には暑過ぎて自転車をこげないのでしょうか。
④インドのラム酒のオールドモンクはデリー空港で免税店限定のスペシャルボトルを売っていて1ℓ瓶が1400円、日本円で買えます。
⑤ガンジス河とヤムナ河が合流する所にアラハバードと言う町が有りますが、町の名は既にプラヤグに変わっているそうです。
⑥インドの若い女性の服装にサリーとは違う、ワンピースのドレスの下にズボンと言うスタイルが有ります。ワンピースはパンジャビと言って横にスリットが入って動き易く、またズボンはパジャーマと言います。パンジャビはインド北西のパンジャブ地方から伝わったもので、またパジャーマはこれをイギリス人が母国に持ち帰り、寝間着として使うようになって現在のパジャマになっています。
⑦バスで長時間走っていますと次々と過ぎ去って行く看板を見ていて面白い事に気付きました。広告ポスターでにっこり笑っているのは日本では18才から20才(はたち)くらいのカワイイ娘(大人子供)なのですがインドのモデルは皆立派な大人の女性で、花嫁衣装のモデルまでが良い大人なのです。どう言う訳ですかとガイドのサルマさんに聞きますと、インドでは女性は太っている等の体形に問題は無く顔を重要視するそうで、シャープな顔が人気だそうです。そう言えばポスターのモデルは皆きつい顔をしていました。インドの男性は奥様に叱られるのが好きなんでしょうね。

 ひとつ忘れていました。マハバリープラムではファイブ・ラタの観光をしましたがファイブ・ラタとは5つの寺院と言う意味だそうです。ひとつの大きな岩を削って5つの寺院を作ったのだそうですが人が入れるような大きな寺院では無く、寺院の姿といった方が適当な気がする物です。ガイドのサルマさんは手前からドゥルガー女神、シヴァ神、ヴィシュヌ神、シヴァ神、そして少し離れてブラフマー神を祀っていると説明してくれましたがガイドブックの説明は違います。ガイドブックには手前からドラウパディー、アルジュナ、ビーマ、ダルマラージャ(ユディシュティラ)、そして少し離れてナクラ・サハデーヴァと書いて有り、これはマハーバーラタに登場するパーンドゥ家の5人の兄弟とその妻の事です。そしてナクラとサハデーヴァは上の3人にとっては双子の異母弟にあたります。シヴァ神が2回出て来るのも変ですし、やはりパーンドゥ家の5人の兄弟とその妻の方が詩情が有りますね。



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2 コメント

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素晴らしい体力ですね! (カモネギ)
2019-11-24 08:36:13
旅行のスケジュールを読ませて貰って、ただただ素晴らしい体力だと感心しました。
小生は腰痛の為、とてもとても出来る行程ではありません。羨ましいかぎりです。
いつまでもその体力を維持して下さい。応援しています。
ぶりかえし (Ananda Bhavan)
2019-11-24 09:39:35
カモネギ様

お褒めのコメントを有難うございます。8月の末あたりからの右膝内側の靭帯の痛みが大分良くなっていたのがインドから帰ったらぶりかえしていました。下りの坂道や石段、バスの乗り降りが良くなかったようで、今もロキソニンのお世話になっていて年内はヨガの練習もお預けになりそうです。フィギュアスケートの試合を観ていましても彼等の膝は凄いなあと感心します。

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