ANANDA BHAVAN 人生の芯

ヨガを通じた哲学日記

太洋デパート

2011年02月25日 | 日記
太洋デパート

 私がまだ幼かった頃、熊本市の中心部の繁華街に太洋デパートという名の百貨店が開店しました。太洋デパートには熊本市では初めてエレベーターが設置されるという話で、オープンが近くなると大人達はエレベーターには履物を脱いで乗るのだろうか、それともそのまま乗って良いのだろうかと戸惑っていました。エスカレーターなどというものが導入されたのはそれからずっと後のことですし、そういう時代だったのです。

 いよいよ開店の日には我が家も一家揃って太洋デパートへ出掛けました。私は密かにズボンのポケットに5円玉を入れておきました。エレベーターでは乗車賃を取られると思ったからです。太洋デパートの混雑ぶりは大変なもので、とてもとてもエレベーターどころではなく、押すな押すなの階段を上って下りた事は覚えています。

 時は経ち、私が結婚した年に太洋デパートは火事になりました。私が会社から横浜の社宅に戻りますと先の妻が心配そうに言います。テレビで火事のニュースをやっているので心配して熊本の実家に電話をするのだが何度呼んでも電話を取ってくれない、もしかして火事に巻き込まれているのではないか。私の実家は料理学校をやっていて、「太洋より3分」というのが学校のキャッチコピーだった位ですから有り得る話です。私が電話をする頃には電話回線をマスコミに押さえられてしまったらしく、電話は不通になっていました。

 深夜の12時前になってやっと電話も通常に戻り、父が電話を取ってくれました。両親とも無事との事で一安心したのですが、「何で何回も電話したのに電話ば取らなかったね」と私が責めますと、父は、ずっと我が家の屋上に居たので電話が聞こえなかったのだと言います。太洋デパートでは逃げ遅れて屋上に追い詰められた人達、主に従業員なのですが、いよいよ熱に耐え切れなくなって、1人また1人と屋上から飛び降りて大勢が死亡したのです。我が家の屋上からそれを眺めていたというのですから「何ともいやはや」です。

 不埒なことをしていたと責めるよりも、電話を取らなかった事に腹を立てている私でした。
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2 コメント

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白木屋デパート (太郎)
2011-02-26 17:02:16
時代はもっと前でしょうが、東京の白木屋デパートで火災があり、着物姿の女性店員が飛び降りました。着物でも下着をはくようになったのは、その時からだと聞いたことがあります。
スローモーション (Ananda Bhavan)
2011-02-27 09:31:50
灼熱の屋上、そして飛び降りれば地面に激突死。おそらく飛んでから地面までを、相当長く感じた事でしょう。

私は幼い頃、自宅の階段の手すりから落下した事が有りますが、落ちて行く間の感覚ははスローモーションでした。

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