こくご食堂

小学生向けこくご塾を創業しました。[こくご]の楽しさを、様々な切り口から発信していきたいと思っています。

[ポストカードとシン・ゴジラ]

2017-09-20 21:12:38 | 感じる
はじめまして。2018年、川崎で小学生むけ[こくご]を中心とした塾を創業予定のamimです。声を出す表現から、自分の言葉を文章することを学ぶ塾にしたいです。よろしくお願いいたします。
「こくご食堂」本日調理する食材は、[ポストカードとシン・ゴジラ]です。

片岡球子という画家がいます。久しぶりにこの画家のことを思い出しました。9月11日に横浜美術館でトリエンナーレという企画展覧会を見に行きました。その帰りのミュージアムショップで偶然この絵ハガキを見て、購入しました。

▲片岡球子のポストカード


片岡球子さんは、赤い富士山をよく描きました。美術系の大学を卒業後、横浜の私の通っていた小学校の教員になり、先生の仕事をしながら芸術活動をしました。何度も落選し、その斬新な作風から当時の批評家から酷評をうけていました。親に勘当され、それでもあきらめずに芸術活動を続け、画家になった方です。以前絵画販売の仕事をしていて、この片岡球子さんの作品を始めて観た時、衝撃でした。とても新しく、素敵だったからです。私の友人M子のお父様は、片岡球子さんの教え子で、とても厳しい先生だったそうです。男性優位の時代に、女性が仕事を続けながら夢をあきらめなかった。女性として尊敬します。

この片岡球子さんの赤い富士山の作品ですが、映画「シン・ゴジラ」の内閣官邸と思われる部屋の壁にかかっていたそうです。

http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/16/083000015/090500007/

富士山は昔から絵画の題材になることが多かったです。今日、たまたま「すみだ北斎美術館」へ行くみちすがら、焼き物で作られた地図があり、そこに葛飾北斎の「赤富士」がありましたので、こちらもご覧ください。

▲陶器でできた地図



▲葛飾北斎の赤富士

片岡球子さんは、2008年に103歳でお亡くなりになりました。昭和から平成まで時代を走り抜け、ご自分の作風の評価も変わり、それをどう受け止めていたでしょうか。作者がお亡くなりになっても、芸術品は生き続けます。そう考えるとすごいですよね。

どこで、なにが繋がってくるかわかりません。
片岡球子→私の通っていた小学校→友人の父
片岡球子→シン・ゴジラ
片岡球子→赤富士→葛飾北斎の赤富士
点と点を結ぶも、結ばないも、みなさんの「こくご」力です。アンテナを伸ばして、ツナガル情報をキャッチしてください。