こくご食堂

小学生向けこくご塾を創業しました。[こくご]の楽しさを、様々な切り口から発信していきたいと思っています。

[怒りの行方]

2017-12-31 08:45:06 | 感じる
はじめまして。2018年、川崎で小学生むけ[こくご]を中心とした塾を創業予定のamimです。思考・発表・文章にする・を柱に、ディベート・俳句アクティブラーニング・ビブリオ・ロールプレイングなどを取り込んだ授業をします。ブログは毎日更新しています。

「こくご食堂」本日調理する食材は、[怒りの行方]です。

ブログを書くことになってから、怒ることが減りました。今までは、頭にくることがあると、いつまでもその怒りが長引いていました。いつまでもその「怒り」に振り回されて、それが「悩み」へと転換されることも多かったです。

しかし、ブログを書きはじめてから、それがピタッとなくなりました。「怒り」がなくなると、「ストレス」からも解放されました。当たり前ですが、「怒り」と「ストレス」はペアなのですね。

何故、ブログを書くことで「怒り」が減っているのか?それを考えてみました。何か興味があること、頭にきたことなどを私の友人などに話をしたり、ラインをしたりするとします。その人数は数人です。そこで共感を得ていただけないと、それがまた「ストレス」になります。しかしブログを書いていると、一方的ではありますが自分の意見を冷静になって文章化することになります。まず文章化することで、一度気持ちの整理がつきます。そして、書いたブログに対するご意見・ご感想をいただきます。この記事にこんなリアクションをされるのか、と驚くこともあります。同感と言っていただくこともありますし、こんな内容はしらなかったと驚くかたもいらっしゃいます。

来年の4月の塾創業にむけて、もっとみなさんのご意見やご質問をいただけるようにホームページも作成中です。今日はホームページを少しアレンジしてみました。まだわからないことばかりなので、先にすすみませんが、来年1月中にはオープンにする予定です。

きっと創業に向かっていることも「怒り」が減少した理由の一つです。そして、仕事を自分で選び、スケジュールを組むことができることもストレスレスになっています。週の半分の派遣の仕事では、沢山の出会いがあります。教育の仕事では、生徒達の新しい感覚をしることがあります。情報が多く、その情報に振り回されている部分もありますが、私達が子供の頃と変わらない悩みを持っています。大人だけと接している時には忘れている感覚を思い出すいい経験となっています。

さまざまな方に支えられ、助けていただき、「怒り」とは無縁な生活ができています。私のブログを読んで、少しでも「怒り」や「ストレス」を忘れていただけたらと思います。今年は、私のブログを読んでいただきありがとうございました。来年も、自分なりのブログを続けていきます。自分の中にある感情や体験を文章にすることは、全て「こくご」です。・

最後になりますが、来年もみなさんにとって良い年になりますように。

[舌の記憶]

2017-12-30 19:47:34 | 味の思い出
はじめまして。2018年、川崎で小学生むけ[こくご]を中心とした塾を創業予定のamimです。思考・発表・文章にする・を柱に、ディベート・俳句アクティブラーニング・ビブリオ・ロールプレイングなどを取り込んだ授業をします。ブログは毎日更新しています。思ったこと・体験したことなどを文章にすることは、すべて「こくご」です。

「こくご食堂」本日調理する食材は、[舌の記憶]です。

伊勢佐木町に行く機会が多かった今年。ヨコハマ伊勢佐木町の有隣堂書店横細みちにあった店で、父がシュウマイを買ってくれました。アツアツを持ち帰り、食べたそのシュウマイのおいしかったこと。一粒が大きく、醤油をつけなくても味がしっかりついていて、大きなシュウマイでした。当時とても小さかった私は、またあのシュウマイが食べたいと言えず、すっかり記憶から消し去られていました。有隣堂のわき道を歩いていて、ふと、
「ここで父がシュウマイを買った。中華風店構えで、父が並んでいる間母と待っていた記憶がふーっとわいてきました。父に聞いても覚えていないと言われました。そこで、仕事の休憩時間にインターネットで調べてみました。伊勢佐木町・シュウマイ。するとでていてきました。「ヨコハマ博雅」です。今は神大寺で販売しているようです。今年の親戚への年始にはこのシュウマイにしようときめました。

山下町の外国人居留地で1881年に創業し、1899年に伊勢佐木町に移転しました。伊勢佐木町では、「博雅亭」という食事のできる店で、後に親戚が野毛に出店しました。野毛の店の評判がよく、横浜高島屋で「シウマイ」の販売になったそうです。横浜高島屋も撤退した今は、この神大寺の店で販売しています。この店では、シュウマイではなく「シウマイ」というようなので、以後「シウマイ」と書かせていただきます。

詳しくは「はまれぽ」をご覧ください。

「はまれぽ」によると、私の記憶している有隣堂の横にあった店は、文献による記載もすくなく、本家の方によると関係ないとのことで、謎の店になっていました。

▲横浜神大寺の博雅


お店に行くと、女性の店員さんが商品説明してくださいました。無添加で手づくりをしているとのこと。そして、小さい頃食べてわすれられなかったという話もしました。とても楽しい方でした。


▲海鮮シウマイ


▲肉シウマイ


今回はこの「シウマイ」を絶対美味しく食べたいので、鍋でふかすことにしました。しまってあった鍋のふかし機をひっぱりだして、フキンをしいてふかしました。今回は、伊勢佐木町の味として販売していた「海鮮シウマイ」と、「肉シウマイ」とを食べました。私の記憶では、この「肉シウマイ」が思い出の味でした。醤油は不要で、とても深い味がします。もしも、舌の記憶違いだとしても、このシウマイは間違いのないおいしさです。そして、シュウマイ独特の臭みがまったくありません。インターネットでも販売していますが、店のほうが安くなっているので、お近くに行ったときには是非横浜の味、博雅のシウマイをおためしください。

ヨコハマ博雅ホームページ

それにしても、時々私の食べ物に対する思い出に驚くことがあります。親戚のおばさんの美味しかった料理の話をしたときに、その娘さんが、「けんちん汁と甘い御赤飯だけは、母の得意料理でした。」と言われました。とりわけ美食家というわけではありませんが、自分がおいしいと思ったものは絶対に忘れないようです。今回思い出のシウマイ食べることができて、「博雅」の歴史から横浜の歴史にも触れることができて、とても楽しく美味しかったです。

[9回も]

2017-12-29 19:14:46 | 本紹介
はじめまして。2018年、川崎で小学生むけ[こくご]を中心とした塾を創業予定のamimです。思考・発表・文章にする・を柱に、ディベート・俳句アクティブラーニング・ビブリオ・ロールプレイングなどを取り込んだ授業をします。ブログは毎日更新しています。思ったこと・体験したことなどを文章にすることは、すべて「こくご」です。

「こくご食堂」本日調理する食材は、[9回も]です。

12月2日(土)の読売新聞朝刊に、この記事がでていました。

▲読売新聞12月2日の記事


なんだ?というのがまず最初の感想でした。鴻上尚史さんといえば、NHKのクールジャパンなどの司会や演劇で活躍される方です。その方が戦争についてかいた本。それにびっくりしていました。しかし、もっとびっくりしたのは特攻兵が9回も生還しているという点です。さっそく書店に行って購入しました。

▲不死身の特攻兵
軍神はなぜ上官に反抗したか
鴻上尚史


鴻上さんは、この内容で小説を書かれているようで、ストーリーは半分小説のような文面です。前半部分で、特攻兵で9回生還された佐々木友次さんという方の上司にあたる、岩本益臣さんとう方のご夫婦のことがかかれています。陸軍士官学校を卒業した28歳の岩本さんと、結婚したばかりの23歳の若い奥様との別れの夜の場面です。泣いてはいけないとお互い我慢しているのですが、夜になってどうしてもこらえきれず二人で泣いているのです。この時岩本さんは特攻をしらされています。私は電車に中でしたが、この内容を読んで泣いていましました。この岩本さんは、特攻兵としてぶつかって命を全うすることよりも、飛行機から爆弾を落として帰還することを、佐々木さんたち若い特攻兵に伝えます。それは、軍隊にそむくことです。しかし、この岩本さんは、出撃する前に上司に宴会に呼ばれ、その為の飛行中にアメリカ兵に撃ち落とされてしまいます。

そして佐々木さんは、何度も危険な目にあいますが、9回の出撃のうち1回は相手の戦艦に爆撃をして帰還しています。佐々木さんのお父様は日露戦争に出兵して、帰還している方です。小さいころより、お父様より「生きて帰ってくるんだ」とお話されていてそれがよりリアルに感じられていたのだと思います。しかし、死ぬのも地獄、生きるのも地獄。佐々木さんは、特攻兵として名誉の死を遂げたと、生まれ故郷では盛大な葬式がひらかれています。終戦を迎え、ほかの兵士たちが次々と戦地から帰国するなか、現地に留まるしかありませんでした。そしてやっと帰国しても、日本には特攻で名誉ある死を迎えたかたがたくさんいる中、ひっそり生きてこられたそうです。

作者の鴻上さんは、佐々木さん本人にインタビューをしております。その中でとても印象深い言葉がありました。それが、「寿命」です。インタビューをした2015年、92歳になられた佐々木さんは、札幌の病院に入院されています。帰還しても、上司からは、次は死ねと言われて出撃命令がでます。そんな中、何故死なないで耐えられたのかという質問に、
「いやあ、やっぱり寿命です。」
とお答えされています。そして戦争が終わって、何十年たった今でも上官のことを悪くいわないのです。お子さんたちにも、戦争の話は一切しなかったそうです。
戦争当時21歳の若さで、世の中は戦争万歳、日本万歳の時代に、「生きる」ということに向かいあった方だと思いました。この本には、佐々木さんのことだけでなく、特攻兵が出撃前夜どんな様子だったかも描かれています。私には想像もつかない世界でした。

私は19歳の時に、父と四国・岡山を旅行しました。その時に宇和島で特攻兵の遺書をみたこがありました。とても達筆で、ご両親にお別れを書いているものでした。当時もとてもショックを受けました。結婚して親になり、戦争中に息子達が兵士として戦地に行く時に、私は万歳ができたでしょうか。できないと思います。私の同じ考えのかたもたくさんいたでしょう。非国民と言われても、その思いを曲げない方がいたはずです。この佐々木さんは、帰国できない中、一般郵便で生きている人のみがわかる内容を手紙に書いて実家に送っていたそうです。家族は帰還を喜びませんでしたが、お母様だけはその手紙を大切にして佐々木さんが生きていると信じていたそうです。

戦争に関して、それほど関心がありませんでした。しかし、今年は戦争に関連した本を読む機会が多かったです。「ヨコハマメリー」(中村高寛著)では、戦前戦後のヨコハマの界隈の歴史が載っていました。そして、「男尊女子」(酒井順子著)では、作者の酒井さんは、お父様から軍国少年であったと聞き、驚くくだりがのっています。私は戦争をしらない世代です。私の父は昭和元年生まれ、母は昭和7年生まれです。今、私達の世代にできることは、鴻上さんのように、戦争体験者の方のお話を伝えいくことだと思います。そして、戦争は、それを体験した人だけでなく、残された家族、戦争の後の時代に生活した人たちにも影を落としていることを忘れてはいけないと思いました。



[もちつき]

2017-12-28 18:36:12 | 本紹介
はじめまして。2018年、川崎で小学生むけ[こくご]を中心とした塾を創業予定のamimです。思考・発表・文章にする・を柱に、ディベート・俳句アクティブラーニング・ビブリオ・ロールプレイングなどを取り込んだ授業をします。ブログは毎日更新しています。思ったこと・体験したことなどを文章にすることは、すべて「こくご」です。

「こくご食堂」本日調理する食材は、[もちつき]です。

お米を作っている友達に、年末にもちつきをするからおいで。と誘っていただいたので、行ってきました。

友達のWさんは、前日からもち米をつける準備をして大変でした。今朝はとても寒さでそとの水道も凍ってしまったらしく予想外のことが満載でした。到着すると、Wさんにそっくりな女性がいて、とても気さくにお話してくださいました。しばらくして、Wさんの妹さんだと聞いてびっくりしました。
台所には、大きなもちつき機があります。わたしは初めてみました。一回に蒸しているのは二升。我が家も沢山ご飯をたべるので一升ご飯を炊いていましたが、二升にはびっくりです。外で、もちごめを計っている一升枡をみせていただきました。大山で購入されたそうです。

▲一升のマスともちごめと大きなざる


このもち米を薪の釜で蒸して、この機械に入れてもちつき開始です。もちつきが終了すると、持ち袋に入れます。この持ち袋、Wさんの家の辺りでは販売されているそうです。この袋にいれてから、袋に爪楊枝で空気の抜ける穴をあけてビニールテープで封をして、太い麺棒で延ばします。ここで平らになるようにのばすのが、難しかったです。一枚ののし餅に二升のもち米が使われていると初めて知りました。

▲薪でもち米を蒸しているところ
火の番はWさんのご主人


▲大きなもちつき機とつきあがった餅


▲餅袋に入れて、のしているところ


▲もちつくりの贅沢
たきたてのもちごめ・甘くておいしい


それから、Wさんの知り合いの幼稚園年長のお嬢さんと小学3年生の男の子がきました。一生懸命手伝いをしてくれました。そして、この年長のお嬢さんの話がとても素晴らしかった。こと細かくお話ができるし、落ちもついています。一緒に来たおばあ様の話では、保育園の学芸会でも名プロデユースをしていたそうです。自分の意見がはっきり言えない子供が増えている中、日本の未来に光をみたような気がしました。

さて、もちつきが終わって、外でバーベキューになりました。大根おろしにネギと醤油をつけた餅、あんこの餅、きなこの餅。とてもおいしかったです。山賊焼きというお肉や、エビ、ウインナーなど沢山いただきました。このバーベキューの火の管理は、小学三年生の男の子がやってくれました。

▲上からあんこの餅・大根おろしの餅・きなこの餅



▲野菜たっぷりの豚汁


▲バーベキューの準備


Wさんの庭には、大きな夏ミカンの木があります。その夏ミカンで、Wさんのお嬢さんが「オランジェット」を作っていました。夏ミカンの皮を3回から4回ゆで、皮と同量の水と砂糖で煮詰めたものにブラックチョコをつけたものです。幼稚園のお嬢さんもお手伝いしていました。帰りにおミヤギにいただきました。

▲たわわに実った夏ミカン



▲お嬢さん特製オランジェット


お孫さんを連れたおばあ様は、まだお若い方でしたが、ご自宅のお飾りをつくりに来ていました。Wさんの地域では、お米の粒のついた穂でお飾りをつくるので、飾っておくと、次の日にはお飾りの下にすずめたちの食べカスが落ちているそうです。とても素敵ですよね。

Wさん長男の高校時代の野球部の友人なのですが、以前に息子達がバーベキューにおじゃましていました。その時街の子供たちは、餌をつけることができない、釣った魚から針を抜くことができいで大騒ぎしていたそうです。Wさんの妹さんのお世話になったそうで、御礼が言えてよかったです。
「帰るとき、野球部らしく車から降りて大きな声で挨拶してくれましたよ。」
と言っていただきました。外で見せている息子の一面を知りました。

いつもあくせく過ごしていますが、時間が経つのもゆっくたりしていたWさんの家。そして年中行事が残っている地域でのびのびそだっているお子さん達も幸せだなと思いました。また来年も来てね、と言っていただいたので、来年はもっと動けるようになりたいと思いました。

▲手芸なんでもやるWさん
途中でハ―バリウムもやらせていただきました
ほんとにありがとうございました




[消しゴムの家出]

2017-12-27 20:50:21 | 本紹介
はじめまして。2018年、川崎で小学生むけ[こくご]を中心とした塾を創業予定のamimです。思考・発表・文章にする・を柱に、ディベート・俳句アクティブラーニング・ビブリオ・ロールプレイングなどを取り込んだ授業をします。ブログは毎日更新しています。思ったこと・体験したことなどを文章にすることは、すべて「こくご」です。

「こくご食堂」本日調理する食材は、[消しゴムの家出]です。

一週間の半分は教育関連の仕事をしています。その生徒の一人にとてもユーモアのある子がいます。小学生男子なのですが、私の発言に想像以上に反応して、こちらが考えもしない切り返しをしてくれます。

昨日の授業では、途中で生徒の消しゴムが行方不明になりました。
「あら。消しゴムが家出しましたね。」
「困った。懲らしめないと。」
「懲らしめる」という表現がとてもよかったです。
「でも、ご主人様はとても優しいですし、家出する理由がわかりませんね。」
「そうだよ。僕はよくしていたと思うよ。」
結局授業の最中はみつかりませんでした。帰りの支度をして出口に向かう途中で、家出をしていた消しゴムと再会しました。
「こんなところにいたのかい。」
満面の笑みで小さい消しゴムを見るつめる生徒。
「よかったですね。ちょっと気晴らしの旅だったのでしょう。」


▲私のMONO消しゴム
生徒の消しゴムはもっと小さかったです


授業の途中では、物を人のように例えることを「擬人法」というのです、という内容も盛り込みます。授業で学問として聞くよりも、実際に擬人法を使うと頭に残ります。そしてその生徒がどんなものを擬人化するのかも楽しいところです。

お子さん達は、小さい頃に「擬人法」で育てられています。例えば、玩具を出しっぱなしにすると「玩具が泣いているよ。」
幼稚園の先生やおうちの方はそんな表現をします。この表現はお子さん達が大きくなると使用しなくなります。使用しなくなると、詩の学習で内容の理解ができなくなるのです。詩では、とても奇抜な擬人法が使用され、主語も省略される場合があります。

詩や小説など読解だけでなく、生活にほっこりとした感覚を取り入れるために、擬人法遊びをしていただきたいと思います。擬人法遊びをしかける、こちら側も表現力が試されます。くすっと笑ってしまうような「こくご」です。