今日1月13日は、亡き母の誕生日です。
あいにく今日は、もう朝から買い物に出る気はなく、暮れからお正月用に買い込んだ品々、それにお歳暮や、お正月に使って下さいと実家のある田舎から送って下さったお魚や野菜など、沢山まだ使わずに残っているものを使わなければと思っていました。
母の誕生日なので、何かお供えするものを買いに出た方がいいかなと思いましたが、やはりあるもので何かお供えするものを作ろうと思いました。
母は、甘いものが好きでしたので、お正月用に買っていた栗きんとんを作るための材料はまだ残っているので、栗きんとんを作ってお供えすることにしました。
いつも仏壇には、ご飯とお茶しかお供えしていませんが、今日は、朝パン食にしましたので、母も好きだったコーヒーをお供えし、お昼は、ぜんざいを作りましたので、甘党の母にぜんざいを供え、夜にご飯とお茶、そして栗きんとんをお供えしました。
夕食の用意をしている時、母を思い出しながら台所にいると、知らず知らずのうちに、涙しながら作っていました。
母が生きていた時、「私は13日の金曜日、しかも仏滅の日に生まれているので、私の人生は、良くないことばかりの人生や」と嘆いていたことを思い出しました。
確かに調べてみると、母が生まれた年の1月13日は、金曜日で、仏滅でした。
だけどこの一般的に悪いと言われている日ですが、必ずしもこの日生まれの人がみな悪いとは限りません。
何か良くないことに遭遇した時、母は、よく悲観していました。
まぁ、母の人生を振り返ってみると、楽より、苦の方が多かったように思います。
その苦に何らかのねぎらいになる楽を与えてあげる事が出来なかったことが、私には心残りです。
あいにく今日は、もう朝から買い物に出る気はなく、暮れからお正月用に買い込んだ品々、それにお歳暮や、お正月に使って下さいと実家のある田舎から送って下さったお魚や野菜など、沢山まだ使わずに残っているものを使わなければと思っていました。
母の誕生日なので、何かお供えするものを買いに出た方がいいかなと思いましたが、やはりあるもので何かお供えするものを作ろうと思いました。
母は、甘いものが好きでしたので、お正月用に買っていた栗きんとんを作るための材料はまだ残っているので、栗きんとんを作ってお供えすることにしました。
いつも仏壇には、ご飯とお茶しかお供えしていませんが、今日は、朝パン食にしましたので、母も好きだったコーヒーをお供えし、お昼は、ぜんざいを作りましたので、甘党の母にぜんざいを供え、夜にご飯とお茶、そして栗きんとんをお供えしました。
夕食の用意をしている時、母を思い出しながら台所にいると、知らず知らずのうちに、涙しながら作っていました。
母が生きていた時、「私は13日の金曜日、しかも仏滅の日に生まれているので、私の人生は、良くないことばかりの人生や」と嘆いていたことを思い出しました。
確かに調べてみると、母が生まれた年の1月13日は、金曜日で、仏滅でした。
だけどこの一般的に悪いと言われている日ですが、必ずしもこの日生まれの人がみな悪いとは限りません。
何か良くないことに遭遇した時、母は、よく悲観していました。
まぁ、母の人生を振り返ってみると、楽より、苦の方が多かったように思います。
その苦に何らかのねぎらいになる楽を与えてあげる事が出来なかったことが、私には心残りです。
なんどもお邪魔させていただきました
ようやくコメントまでにこぎつけました
私も今日は午前中外出の機会がありましたので
二人でいただこうと、母の好きだったおだんごをお供えしました。
次の法要、次の行事と日が経っていけば自分の気持ちも切替られると思うばかりですが、
不意に本当に不意に涙が思いがけず出てしまい
買い物中だった時等は困ってしまいます
とても心がやすらぐ記事でした
有難うございました
コメントありがとうございました。
母は、亡くなってから何年経っても、絶えず私のそばにいるように感じることが多いです。
出かけるとき、何処からか蝶が飛んできて、私の前や後ろに行ってついて来たり、車で帰って来た時、「お帰り」と言うような感じで、タンポポの何かのような丸い綿のような、植物らしきものが開けたドアのそばまで来て、ふわふわと飛んでいたりする時があります。
そんな時、私の気のせいかも知れませんが、あっお母さんだと思ってしまいます。
絶えず母は、私と一緒にいてくれていると思っています。
折に触れて、母を思い、涙しますが、何年たってもやはり、喜びも悲しみも甦り、その都度涙があふれます。
頂いたコメントを何度も読み返し、お互いのお母さんを通して心が一つになったような、悲しさの中にも気持ちが癒された気がしています。
ありがとうございました。