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金元時代の鍼灸

2018-06-13 | 中国医学の歴史
「中国医学人物伝 その3」
『日本鍼灸良導絡医学会誌』Vol. 10 (1981-1982) No. 2 P 12-21
日本鍼灸良導絡医学会誌
Vol. 10 (1981-1982) No. 2 P 12-21
 「馬丹陽天星十二穴治雑病歌」の代、馬丹陽(ばたんよう:1123-1183)の経歴が載っている珍しい論文です。馬丹陽は道教・全真教の2代目教主で、道教研究などで取り上げられる人物です。
代道教の研究―王重陽と馬丹陽』 
蜂屋邦夫 汲古書院 (1992/03)
 
 中国医学史を研究していると宋代は1つのピークです。
北宋時代、1026年の王惟一(おういいつ:987-1067)の『銅人シュ穴鍼灸図経』
南宋時代、1180年の王執中(おうしっちゅう)の『針灸資生経』
という2つの古典が出版されています。
 
 しかし、時代にも、多くの鍼灸古典が出版されています。
 
 日本で良く知られているのは、経絡の流注を詳細に書いた『十経発揮』の滑寿(かつじゅ:1304-1386)だと思います。滑寿は『史』の編纂者である知識人、宋濂(そうれん:1310-1381)とも付き合いがあったそうで、驚きました。
滑寿(かつじゅ:滑寿:huá shòu)
『十経発揮(十经发挥:shí sì jīng fā huī)』
 
 代の鍼灸医家として、思い浮かぶのは、王国瑞(おうこくずい)著『扁鵲神応鍼灸玉龍経(へんじゃくしんのうぎょくりゅうきょう)』です。この古典はとにかく病気の治療法に徹しており、顔面神経麻痺(口眼喎斜)への「地倉→頬車の透鍼」など非常に面白いです。腰痛に対して、丘墟や商丘を使うなども、現在のわたしのやり方に似ています・・・。王国瑞先生の鍼灸は、いまの目で見ても、参考になります。
王国瑞(おうこくずい:王国瑞:wáng guó ruì)
『扁鵲神応鍼灸玉龍経(扁鹊神应针灸玉龙经:biǎn què shén yìng zhēn jiǔ yù lóng jīng)』
 
 また、代の鍼灸書として、1311年に竇桂芳(とうけいほう)が出版した『鍼灸(针灸书:zhēn jiǔ sì shū)』には以下の4冊が含まれて居ます。
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竇漢卿(とうかんけい:窦汉卿:dòu hàn qīng)
『針経指南(针经指南:zhēn jīng zhǐ nán)』
 
何若愚(かじゃくぐ:hé ruò yú)
『子午流注鍼経(しごるちゅうしんけい:子午流注针经:zǐ wǔ liú zhù zhēn jīng)
 
『黄帝明堂灸経(黄帝明堂灸经:huáng dì míng táng jiǔ jīng)』
 
『膏肓兪穴灸法(膏肓俞穴灸法:gāo huāng shù xué jiǔ fǎ)』
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 竇漢卿(とうかんけい)の『針経指南』は、モンゴル帝国時代を代表する鍼灸文献です。
国家試験にも出題される「奇形八脈交会穴」は、この本で初出します。
『鍼経指南』
「公孫通衝脉 内関通陰維 合於胸心胃
臨泣通帯脉 外関通陽維 合於目鋭眥耳後頬頚肩缺盆胸膈
後溪通督脉 申脉通陽蹻 合於内眥頚項耳戸膊小腸膀胱
列缺通任脉 照海通陰蹻 合於肺及肺系喉嚨胸膈」
 
 
 また、杜思敬(としけい:1235—1320)の『鍼灸節要(しんきゅうせつよう)』『鍼灸適英集(普済方・鍼灸門)』も出版されています。『鍼灸適英集(普済方・鍼灸門)』では、気滞腰痛に腰陽関と行間を使うなど、非常に面白いです。
杜思敬(としけい:杜思敬:dù sī jìng)
『鍼灸節要(针经节要:zhēn jīng jíe yào)』
 
 
 大家、劉完素(りゅうかんそ:1120-1200)は井穴への刺鍼と刺絡を多用しています。
 
 また、劉完素は火熱論(寒涼派)で有名ですが、熱証に灸して良いとして、督脈の大椎への施灸による瀉熱を行っています。
『素问病机气宜保命集・卷中・泻痢论第十九』
「治厥阴动为泻痢者,寸脉沉而迟,手足厥逆,下部脉不至,咽喉不利,或涕唾脓血,泻痢不止者,为难治。宜升麻汤或小续命汤以发之,法云,谓表邪缩于内,故下痢不止,当散表邪于肢,布于络脉,外无其邪,则脏腑自安矣。诸水积入胃,名曰溢饮,滑泄,渴能饮水,水下复泻而又渴,此无药证,当灸大椎。」
 
 張従正(ちょうじゅせい:1156-1228)も刺絡を多用していました。
 
 代の李東垣(りとうえん:1180-1251)も刺絡が多く、足三里や内庭などを多用します。
李東垣(りとうえん)の弟子で、「補土派」の羅天益(らてんえき:罗天益:luó tiān yì:1220~1290)も、「足三里」や「中かん」を多用する「東垣鍼法」を残しており、これは明代『鍼灸聚英』に収録されています。
李東垣・羅天益の『易水学派(yì shuǐ xué pài)』は、(ちょうげんそ:zhāng yuán sù)先生に始まります。張素先生の父、張壁(张璧:zhāng bì=云岐子:yún qí zǐ)先生も、『雲岐子論経絡迎随補瀉法(云岐子论经络迎随补泻法※普济方·针灸に収録)』を書いた鍼灸家であり、張素先生が引経報使学説を提唱したのもうなづけます。
 
 代の医家で、特徴的なのは、整骨を論じた『世医得効方(せいえこうほう)』を書いた危亦林(きえきりん:1277-1347)のような医家や、『飲膳正要』を書いた忽思慧(こつしけい)のような医家が登場することです。
特に、薬膳の原典と呼ばれる、忽思慧の『飲膳正要』は、モンゴル帝国の影響をすごく受けています。
危亦林(きえきりん:危亦林:wēi yì lín)
『世医得効方(世医得效方:shì yī dé xiào fāng)』
 
忽思慧(こつしけい:忽思慧:hū sī huì)
『飲膳正要:饮膳正要:yǐn shàn zhèng yào)』
アフガニスタン産のピスタチオ(必思苔 )など、モンゴル、イスラム・アラビア圏の植物が頻出するので、普通に漢字を読んでいても、まったく理解できません・・・。
『飲膳正要の植物』
北村
『植物分類・地理』 24(3), 65-76, 1969-11-30
 
 時代というと、大家だけがとりあげられますが、実際には、モンゴル帝国時代の鍼灸古典は、あまり取り上げられないので、自分用のメモでした。

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