2022年2月7日(月曜日)午前5時:[ -1c/4c/50% SunRize0651 ]{getup0400} 曇り時々小雪または晴れ
屋根裏部屋の私の頭の上の大きな雪の塊が滑って落ちて、実に大きな音を立てた。部屋の石油ストーブの熱で暖まったからだろう。
実にありがたいことに、昨夕以来、積雪は数センチ。寒波のピークは過ぎてくれたようだ。滋賀県の内陸部の米原で60センチを超える記録的な大雪になったようで、新幹線のダイヤも乱れている。
昨日の日曜日は、盛んに降り頻る雪の合間を見て、午前中と午後3時過ぎと、賽の河原の石積みのように、小さい方のママさんダンプを使って、せっせと雪を運んで、ガレージ前の除雪。往復作業を繰り返した。
頭にくるから、左足の親指の痛みは無視。両膝の痛みや軋みも無視。ハアハア言いながら、ふらつきながらやったが、今朝、その後遺症など全くない。いつもの右膝のちょっとした動作の痛みは、いつも通り。
なんとありがたい!もう、薄いガーゼが2枚ほど肉に食い込んでいる左足の親指、爪の部分は、いくら濡らして放置しても取れない、取ろうとすると血が滲んで、飛び上がるほど痛いから、もう、そのまま放置。昨日の朝から、包帯さえ変えていない。そのままだが、違和感や微かな痛みはあるが、それほど不自由しないから、ガーゼが食い込んだ爪が生まれても、それはそれでいい、と覚悟した。
それよりはるかに右目の白っぽい霞と歪みが、このパソコンや読書やそのほかを不自由にしているが、それももう諦めて、昨日までの生活を変えていく方がいいようだ。
毎朝の、子供たちとの登校同伴散歩もそろそろ考えなきゃいけない時期が来ている。ちょうど、丸3年になろうとしている。
おそらく、早朝の散歩は、まだまだ体力の残っている老人予備軍や若い世代の体力づくり、あるいはサプリの宣伝用であって、本当に70歳過ぎの老体に変化してきたら、起きて時間の経過とともに、ようやく動き出す体組織の細胞の動きに合わせて、外気温も適切になった時間に、健康維持と気分転換のために、ゆっくり散歩する。
それが適切だろう。無理は厳禁だ。
間違えてはいけないのだ。下り坂人生の山登りやランニングやサイクリングなどのスポーツ活動は、その瞬間、その時点での「元気や健康の証明」であって、「元気や健康の素」ではない。だがそうだと思い込む。「証明」と「素」とでは大違いだが、「素」だと勘違いするのは、「気分が良いから」だ。体液が循環し、適切な肉体疲労は「爽快感」を伴う。それに仲間たちがいたら、脳も活性化し、最高の気分だ。
もしかしたらそれは「老化し始めた細胞」を早めに消耗させ、本来10年持つところを7、8年に縮めているかもしれないのだが、当事者はその爽快感や楽しさから(サプリの会社は銭儲けから)健康寿命を「伸ばしている」と思い込む。
それはそれで、幸せな時間だから、別に何の問題もないが、その「思い込み」は百害あって一利なしで、たった1つの原因で、その楽しさを味わえなくなった時の心の落差が大きい。
「ああ、せめてもう一度」などと嘆くばかりになる。人は意外に「無病息災」ではなく、病気を1つ、2つ抱えている方が、長生きしたりするから、人生とは奥深くて、一筋縄ではいかないものだと思うね。
昨日まで出来たことが、今日からできなくなるってのは、辛いことだけど、まだ心に余裕のある時に、小さなことを少しづつ体験して、免疫を作っておくのが老化の準備かもしれない。