昭JIJI(アキラジジ)の島旅賛歌*参加

日本全国に有人島が434島ほどある。全島制覇すべく島旅を継続中。

菜の花とほんわかあたたかな自然美の島 浦戸諸島へ 1回目

2007-10-18 03:54:24 | 04北日本・宮城県・浦戸諸島
今回は、宮城県の松島湾にある浦戸諸島の桂島、野々島、寒風沢島、朴島を巡りました。
まず、渡島した島々の概略を掲載します。

桂島 松島湾口に点在する浦戸諸島のうち、市営汽船で一番最初に着く島。東西に細長く、屈曲に富む海岸線となだらかな丘陵が特色で、丘陵上はアカマツ・クロマツに覆われている。桂島・石浜の2集落があり、浦戸諸島のなかでは最も人口が多い島である。島内からは縄文時代の土器が出土している。明治の初期から昭和の初期にかけて、石浜は県内有数の商港として栄えた歴史を持つ。今は、ほとんどの家が漁業に携わり、ノリ・カキ・アサリ養殖などが営まれている。浦戸のマリンレジャーの中心地で、潮干狩りや地引網、海水浴のほか、島内のペンションに頼めばマリンスポーツも楽しめる。また、島おこしのひとつとして、春には「海の幸、新緑と島まつり」を開催。島の魅力を最大限生かした内容で参加者に好評だ。浦戸の島はすべて特別名勝「松島」の地域内にあり、また、県立自然公園にも指定されており、優れた自然景観もその魅力のひとつになっている。

野々島 浦戸諸島の中央に位置する島。東は寒風沢水道を隔てて150mで寒風沢島と、西は石浜水道を隔てて300mで柱島と接している。南北に長く横たわり複雑な海岸線を特徴とする。集落の南端には長者屋敷と呼ばれる場所があり、内海長者がいろは船で密貿易をし、巨万の富を蓄えていたと伝えられている。島のいたるところに見られる洞窟、林の中の細い道や苔むした階段などを歩けば、そのような伝説を強く感じないわけにはいかない。桟橋には浦戸諸島開発総合センターがあり、ここでは貿易ならぬ、さまざまな交流の拠点として、新たな伝説がつくり出されている。

寒風沢島 浦戸諸島の中では一番大きい島。東は鰐ケ淵水道を隔てて80mで宮戸島と、西は寒風沢水道を隔てて150mで野々島と接している。海岸線が複雑に入り組み、なだらかな丘陵に覆われており、島の南側を中心に水田が多く拓かれている。ここは数々の歴史が語りつがれている。江戸時代の初めに築港工事が行われ、寒風沢港は海運の要衝となった。江戸時代中期に東廻り航路の大型千石船が登場すると、御城米蔵が建てられ、伊達藩の江戸廻米の港として栄えた。幕末には江戸から招かれた造船技術者の手により、日本で初めて西洋型軍艦「開成丸」が建造されている。当時の港の繁栄を今にも伝えている十二支方角石や縛り地蔵などの遺跡・文化財が日和山展望台にあるほか、道を歩けば化粧地蔵、六地蔵をはじめ、たくさんの野仏や石碑、道祖神をみることができる。島の自然と史跡、伝説の舞台をめぐるハイキングでタイムスリップ!子どもだったころに戻って探検隊気分を味わったり、心の森林浴を満喫することができる島だ。

朴島 塩竈港から航路距離17.6km、なだらかな丘陵状の小さな島。島の南東側に集落がある。朴島の名の由来は、大昔、伝説上の鳥「鳳凰」が棲んでいたとか、奈良・平安時代にみちのくを統治するための通信用烽火(のろし)をあげたと伝えられることから、烽島とも。また、江戸時代に仙台藩の軍用金や貴重な宝物が隠されたという伝説があり、宝島と呼ばれていたものが朴島になったのだという説もある。江戸時代は仙台藩の牧となり、軍馬が飼育されていたという。浦戸諸島では一番小さな有人島だが、豊かな自然と謎めいた伝説に包まれた魅力的な島だ。とくに春は菜の花が島全体を覆いつくし、美しい黄色の衣をまとう。

出典:(財)日本離島センター発行の「日本の島ガイド SHIMADAS シマダス」から