昭JIJI(アキラジジ)の島旅賛歌*参加

日本全国に有人島が434島ほどある。全島制覇すべく島旅を継続中。

加計呂麻島 「諸鈍シバヤ」 12回目

2007-09-30 04:53:21 | 76奄美・鹿児島県・奄美群島
スクテングワの踊りは、踊り手が二列になって相対し、両端に飾りを付けた棒を二人一対になって激しく打ち合せて踊る勇壮な棒踊りです。これは中国で唐が中国を平定した時に祝いの席で披露されたものが伝わったとされています。






(スクテングワ)

詳細は、動画で見てください。

「加計呂麻島「諸鈍シバヤ」スクテングワ」

(写真撮影: 2003.10)

加計呂麻島 「諸鈍シバヤ」 11回目

2007-09-29 04:45:34 | 76奄美・鹿児島県・奄美群島
ダットドンは、「ダットドンナ ドコカ 河淵ヤ ココジャ」の座頭殿のなまりで、琵琶を背負いながら川を渡るのを面白い寸劇に仕上げている。琵琶のない島なので、三弦で代用。昔、一人の座頭殿が自分の持っている名のある三味線がある日いつの間にか掏り返られているのに気付き、これを捜し求めて歩いているとふと川向こうから良く似た三味線の音が聞こえて来る。さて、その音を頼りに川を渡ろうと、川幅を知るために石を投げたり、棒を流れに差込んで、川の深さを測ったりする軽快なリズムに載っての一人芝居です。






(ダットドン)

途中、急にトイレがしたくなり、近くの薮に入りするが、紙を持っていなくて、近くの葉っぱで処理をする様がおかしく演じられている。


(ダットドン)

詳細は、動画で見てください。

「加計呂麻島「諸鈍シバヤ」ダットドン」

(写真撮影: 2003.10)


加計呂麻島 「諸鈍シバヤ」 10回目

2007-09-28 04:12:43 | 76奄美・鹿児島県・奄美群島
カマ踊りは、今年の豊作に感謝し、また、来年の万作を祈願して、踊り手が両手に鎌を持ち、速いテンポの太鼓に合わせて、踊り場いっぱいに舞い踊る元気なリズミカルな踊りです。「田の畔を越える水は土を塗り上げれば止まる。しかし、我々の20歳頃の勢いは止めることはできない。我々の20歳頃は日が暮れるのを待っている。いつ日が暮れて自由になるのが待ち遠しい。」と歌う。






(カマ踊り)

詳細は、動画で見てください。

「加計呂麻島「諸鈍シバヤ」カマ踊り」

(写真撮影: 2003.10)

加計呂麻島 「諸鈍シバヤ」 9回目

2007-09-27 04:02:35 | 76奄美・鹿児島県・奄美群島
ククワ節のタイトルは「ククワどこか」という歌の出だしから取られている。「ここはどこかと船頭衆に問えば、須磨の泊りは敦盛様へ……」。壇ノ浦の戦いで敗れた平家の残党が一の谷の戦いで源氏の武将熊谷次郎直実に討ち取られ、須磨の海辺に葬られた平敦盛の墓はどこかと小船で須磨の浦を彷徨う様子が歌われている。






(ククワ節)

詳細は、動画で見てください。

「加計呂麻島「諸鈍シバヤ」ククワ節」

(写真撮影: 2003.10)

加計呂麻島 「諸鈍シバヤ」 8回目

2007-09-26 04:55:44 | 76奄美・鹿児島県・奄美群島
サンバトは、三番叟で、白髭マスクの翁のカビディラ、紙で作った山高帽、羽織袴姿の翁とカビディラを付け鳴子持ちが登場し、翁が本日の芝居の口上を申し上げます。






(サンバト)

詳細は、動画で見てください。

加計呂麻島「諸鈍シバヤ」サンバト
(写真撮影: 2003.10)

加計呂麻島 「諸鈍シバヤ」 7回目

2007-09-25 04:38:20 | 76奄美・鹿児島県・奄美群島
いよいよ、諸鈍シバヤの奉納が始まりました。その前に、シバヤとは芝居がなまったものとか、古書に、芝居のことをシバヤと呼んだとか、柴で周囲を囲い楽屋にしていた「柴屋」等の説があります。私は、柴で周囲を囲い楽屋にしていた「柴屋」説だと考えました。
まず、最初はガクヤ入りです。拍子木を先頭に、三味線、小太鼓、鐘、法螺貝、ハトという指笛で囃しながら、出演者全員が「ホーヘラヘー」の掛け声も勇ましく、柴の楽屋に、一列に並んで踊りながら入ります。シシ切りを除いて全ての演者がカビディラ(紙のお面)を付けます。








(ガクヤ入り)

詳細は、動画で見てください。

「加計呂麻島「諸鈍シバヤ」ガクヤ入り」
(写真撮影: 2003.10)

加計呂麻島 「諸鈍シバヤ」 6回目

2007-09-24 04:22:47 | 76奄美・鹿児島県・奄美群島
お供えの準備も終わり、お神酒も配られました。


(お供えの準備)


(配られたお神酒)

観客も集まり始めました。


(集まり始めた観客)

本部席から祭りの開会宣言が行われ、集落会会長の挨拶から始まりました。


(集落会会長の挨拶)

次に、土俵開きを行うため、小中学生が土俵に集まってきました。


(土俵の周りに集まった小中学生)

行事による土俵開きが行われ、小中学生による相撲が行われました。


(土俵開き)


(小中学生による相撲)

その後、小中学校女子による踊りが行われました。




(小中学校女子による踊り)
(写真撮影: 2003.10)

加計呂麻島 「諸鈍シバヤ」 5回目

2007-09-23 04:22:07 | 76奄美・鹿児島県・奄美群島
「諸鈍シバヤ」の当日は、天気も快晴で、分乗で送ってもらうのが待ちきれず、少し早めに宿を出て、歩く人が多くいました。「諸鈍シバヤ」が開催される「大屯(おおちょん)神社」に到着し、お参りをしました。




(大屯神社)

その横には、「諸鈍シバヤ」の謂れが書いてありました。
それによる(シバヤ開始時の説明も追記しました。)と「奄美大島の下にある加計呂麻(かけろま)島がある。諸鈍シバヤは、加計呂麻島の諸鈍集落に伝わる800年の歴史と伝統を誇る民俗芸能である。古い時代の歌舞伎踊りを思わせる踊り、狂言、人形芝居で構成されており、芸能の歴史を見る上でも非常に貴重なものであり、更にこれらが南の琉球文化と北の大和文化が入り混じり、諸鈍風にアレンジされていることが高い評価を受け、昭和51年に国の重要無形民俗文化財に指定されている。

1185年平家は壇ノ浦の戦いに敗れ、一族悉く滅亡したとされているが、平資盛(すけもり)は諸鈍に落ち着き、地元諸鈍の住民と唄や踊りなどの芸を披露しあって交流を深めていった。資盛の死後、地元の人達によって演じられるようになったものが、諸鈍シバヤの始まりと言われている。

現在、諸鈍シバヤにはガクヤ入りを含めて11の演目があり、毎年旧暦の9月9日に平資盛を祀るここ大屯神社の祭りで奉納される形で演じられている。」と書かれていました。


(謂れが書かれている看板)

周りで、祭りの準備が始まりましたので、


(祭りの準備)

その間に、諸鈍を少し歩き、諸鈍小中学校や寅さんのロケ地記念碑などを見物して来ました。


(諸鈍小中学校)


(寅さんのロケ地記念碑)

リリーの家やデイゴ並木は明日行くことにしました。

「大屯神社」に帰ってくると「土俵」が準備されていて、柱のところには「塩」も置かれていました。


(造られた土俵)


(柱の横に塩が置かれていた)

柴で周囲を囲った楽屋もできていました。


(柴で周囲を囲った楽屋)
(写真撮影: 2003.10)

加計呂麻島 「諸鈍シバヤ」 4回目

2007-09-22 03:36:14 | 76奄美・鹿児島県・奄美群島
古仁屋から加計呂麻島へチャーターの海上タクシーで向かいました。着いた港からは迎えの軽トラで分乗して宿に着きました。


(チャーター船)


(古仁屋港出港)


(宿泊した来々夏ハウス)

宿の裏側にある海岸は大変綺麗でした。




(宿泊場所の裏の海岸線)

今回は、常連さんが殆どだったので、夜の会食は大いに盛り上がり、差し入れられた一升瓶の焼酎もアットという間に空になりました。


(一日目の夕食)


(常連さんで大いに盛り上がる夕食)

食堂の天井には、色々な魚拓が貼られていました。大物もたくさん見られました。


(天井に貼られた魚拓)
(写真撮影: 2003.10)

加計呂麻島 「諸鈍シバヤ」 3回目

2007-09-21 04:22:51 | 76奄美・鹿児島県・奄美群島
「ばしゃ山」の裏の海岸はすごく綺麗で、早速、海に入っていった人もいました。


(ばしゃ山の裏の海岸)


(海に入っていく人)

バスは何度か通ったことのある道を南下していきました。マングローブの原生林を横に見ながら、峠を越えると眼前に「加計呂麻島」が見えてきました。


(マングローブの原生林)


(加計呂麻島が見えてきました)

明日の「諸鈍シバヤ」の勉強のために、瀬戸内町立郷士館に立ち寄りました。


(瀬戸内町立郷士館)

周りでは、まだセミが喧しく鳴いていました。


(喧しく鳴いているセミ)

郷士館の中には、郷土の色々なものが展示されていました。その中に、「諸鈍シバヤ」についても展示されていました。






(色々な展示品)




(諸鈍シバヤの展示品)
(写真撮影: 2003.10)