「諸鈍シバヤ」の当日は、天気も快晴で、分乗で送ってもらうのが待ちきれず、少し早めに宿を出て、歩く人が多くいました。「諸鈍シバヤ」が開催される「大屯(おおちょん)神社」に到着し、お参りをしました。
(大屯神社)
その横には、「諸鈍シバヤ」の謂れが書いてありました。
それによる(シバヤ開始時の説明も追記しました。)と「奄美大島の下にある加計呂麻(かけろま)島がある。諸鈍シバヤは、加計呂麻島の諸鈍集落に伝わる800年の歴史と伝統を誇る民俗芸能である。古い時代の歌舞伎踊りを思わせる踊り、狂言、人形芝居で構成されており、芸能の歴史を見る上でも非常に貴重なものであり、更にこれらが南の琉球文化と北の大和文化が入り混じり、諸鈍風にアレンジされていることが高い評価を受け、昭和51年に国の重要無形民俗文化財に指定されている。
1185年平家は壇ノ浦の戦いに敗れ、一族悉く滅亡したとされているが、平資盛(すけもり)は諸鈍に落ち着き、地元諸鈍の住民と唄や踊りなどの芸を披露しあって交流を深めていった。資盛の死後、地元の人達によって演じられるようになったものが、諸鈍シバヤの始まりと言われている。
現在、諸鈍シバヤにはガクヤ入りを含めて11の演目があり、毎年旧暦の9月9日に平資盛を祀るここ大屯神社の祭りで奉納される形で演じられている。」と書かれていました。
(謂れが書かれている看板)
周りで、祭りの準備が始まりましたので、
(祭りの準備)
その間に、諸鈍を少し歩き、諸鈍小中学校や寅さんのロケ地記念碑などを見物して来ました。
(諸鈍小中学校)
(寅さんのロケ地記念碑)
リリーの家やデイゴ並木は明日行くことにしました。
「大屯神社」に帰ってくると「土俵」が準備されていて、柱のところには「塩」も置かれていました。
(造られた土俵)
(柱の横に塩が置かれていた)
柴で周囲を囲った楽屋もできていました。
(柴で周囲を囲った楽屋)
(写真撮影: 2003.10)