その後、呑之浦(のみのうら)へ向かいました。 呑之浦には戦時中、兵士が魚雷に乗り込んでそのまま敵艦に突撃するという「人間魚雷」の基地があったということでした。現在はその一帯が島尾敏雄「文学の森」公園になっていました。「出発は遂に訪れず」「死の棘」など純文学作家として著名な島尾敏雄の文学碑がありました。
(島尾敏雄の文学碑)
円に沿うように,いろいろな氏の著作の一部が刻まれたレリーフがいくつかありました。
(文学レリーフ)
散策路の途中の入江には、特攻水雷艇「震洋」の格納壕跡の横穴が残り、映画「死の棘」で使われた「震洋」の模型が納められていました。また、「震洋」についての立て看板が建てられていました。
(「震洋」の模型)
(「震洋」についての立て看板)
その後、裏側の於斎に出てくると今日の泊りになる請島の姿を見ることができました。
(請島)
於斎では、樹齢700年ともいわれている「大ガジュマル」がありました。樹根も土まで届いたものを見ることができました。また、「大ガジュマル」からのロープにぶらさがる人やハンモックに乗る人もいて、楽しんでいました。
(大ガジュマル)
両方の道端から成長し、繋がってしまった夫婦デイゴも見ることができました。不思議な木でした。
(夫婦デイゴ)
(写真撮影: 2003.10)
(島尾敏雄の文学碑)
円に沿うように,いろいろな氏の著作の一部が刻まれたレリーフがいくつかありました。
(文学レリーフ)
散策路の途中の入江には、特攻水雷艇「震洋」の格納壕跡の横穴が残り、映画「死の棘」で使われた「震洋」の模型が納められていました。また、「震洋」についての立て看板が建てられていました。
(「震洋」の模型)
(「震洋」についての立て看板)
その後、裏側の於斎に出てくると今日の泊りになる請島の姿を見ることができました。
(請島)
於斎では、樹齢700年ともいわれている「大ガジュマル」がありました。樹根も土まで届いたものを見ることができました。また、「大ガジュマル」からのロープにぶらさがる人やハンモックに乗る人もいて、楽しんでいました。
(大ガジュマル)
両方の道端から成長し、繋がってしまった夫婦デイゴも見ることができました。不思議な木でした。
(夫婦デイゴ)
(写真撮影: 2003.10)