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昭JIJI(アキラジジ)の島旅賛歌*参加

日本全国に有人島が434島ほどある。全島制覇すべく島旅を継続中。

陸から海からしまなみ・とびしま海道の隠れた秘島探し!瀬戸内海穴埋め16島めぐり 44回目

2011-10-03 04:30:00 | 41瀬戸内海・愛媛県・関前諸島
島内散策を開始したところ、たくさんの新聞を持っておられる方にお会いしました。大下島からこの島へ新聞配達をされている方でした。


(新聞配達)

石灰採掘場跡があるので、案内するよと言われたので、この方についていくことにしました。大きな建物がありました。集会所のようです。


(集会所)

散策を続けていると大きなお宅が見えてきますが、お住まいになっているのでしょうか。往時は、600人以上の人が住まわれていたようで、その時のお宅が残っているようです。


(往時のお宅か)

少し入った所に、大きなお宅がありました。ここは、まだ、住まわれているようで、きれいに手入れがされていました。


(まだお住まいのお宅か)

その先に、白い建物がありました。公民館のようで、新聞配達をされている方の弟さんが設計されたと話されました。


(白い建物)

少し坂を登った所に網目のフェンスで囲まれたところがありました。ここが、石灰採掘場跡で、現在は、採掘のために掘った穴に地下水が湧き出して、湖となっていて、大下島の水源になっているとのことでした。残念ながら、鍵がかかっていて、中に入れませんでした。また、少しのぞこうと高台を探しましたが、ありませんでした。


(網目のフェンスに囲まれた石灰採掘場跡)
(写真撮影:2011.06)
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陸から海からしまなみ・とびしま海道の隠れた秘島探し!瀬戸内海穴埋め16島めぐり 43回目

2011-10-02 04:30:00 | 41瀬戸内海・愛媛県・関前諸島
港へ着くと、仲間が大きな袋を持っていました。中をのぞくと色々なミカンが入っていました。どうしたのかと聞くとお話をしていた人から頂いてきたとのことでした。島では、こういうことがよくあります。ありがたいことです。


(島民から頂いた色々なミカン)

大下島にお別れして、小大下島へ向かいました。


(さようなら大下島)

丘の中腹に大下灯台が見えました。


(大下灯台が)

小大下島へ近づきました。


(小大下島へ近づく)

早速、上陸しました。


(早速、上陸)

ここで、小大下島の概略を書きます。
小大下島(こおげしま)は、関前諸島の中央に位置し、西は岡村島、東は大下島と接する。明治初期に本格的な石灰岩採掘が始まるまでは無人島で、岡村島と大下島の入会地だった。現在でも島の山林の西半分は岡村分、東半分は大下分となっている。島中央にある凹部の沼は採掘の跡地である。第一次大戦を契機に、日本セメント、アサノセメント、住友鉱山など大手企業の鉱業所が立地し、昭和30年ころまではたいへんな活況を呈していた。同年の国勢調査で人口665人を数えている。その後、採掘可能量の減少とともに鉱業所も閉鎖された。山神社は鉱山の安全と繁栄を祈願して建てられたもので、毎年6月3日前後に祭りが催される。土壌がミカン栽培に適しており、小規模ながら柑橘類が栽培されている。
散策を開始しました。


(散策を開始)
(写真撮影:2011.06)
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陸から海からしまなみ・とびしま海道の隠れた秘島探し!瀬戸内海穴埋め16島めぐり 42回目

2011-10-01 04:30:00 | 41瀬戸内海・愛媛県・関前諸島
お寺がありました。法珠寺です。島の中心部にあるお寺で、島の冠婚葬祭の役目を担う重要なお寺とのことでした。


(法珠寺)

鐘楼もあり、本堂の内部も立派なものでした。


(鐘楼)


(本堂の内部も立派)

港へ戻るために歩いていると道に大きなミカンが落ちていました。


(道に大きなミカンが)

上を見上げると大きなミカンがたくさんなっていました。


(大きなミカンがたくさん)

港の近くにある旧小学校の庭は、きれいに手入れがされて、花が咲いていました。島民の皆さんで整備されているのでしょうか。


(手入れされた旧小学校の庭)
(写真撮影:2011.06)
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陸から海からしまなみ・とびしま海道の隠れた秘島探し!瀬戸内海穴埋め16島めぐり 41回目

2011-09-30 04:30:00 | 41瀬戸内海・愛媛県・関前諸島
早津佐神社は、港の近くにある大きな立派な神社です。祭りの時は島じゅうがにぎわう場所のようです。弓まつりは、若い男8人が、2組に分かれて、的まで弓の長さの8倍の距離の所から、射場所を変えながら、交代で矢を射って祈願するようです。


(早津佐神社)

神殿の屋根裏には、船の模型が飾られていました。


(神殿の屋根裏には、船の模型が)

その後、集落へ向かいました。農家の納屋には、タマネギがたくさん置かれていて、手入れをされていました。


(農家の納屋には、タマネギが)

長屋門のような門構えのお宅がたくさんありました。




(長屋門のような門構えのお宅)

酒屋もありました。他の物を売っているのでしょうか。


(酒屋)
(写真撮影:2011.06)
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陸から海からしまなみ・とびしま海道の隠れた秘島探し!瀬戸内海穴埋め16島めぐり 40回目

2011-09-29 04:30:00 | 41瀬戸内海・愛媛県・関前諸島
ここで、大下島の概略を書きます。
大下島(おげしま)は、関前諸島の東端に位置し、西は小大下島、東は越智諸島の大三島と接している。全島花崗岩におおわれ、中央部のわずかな平地に家屋が密集する。主産業は農業で柑橘類を出荷する。浄土真宗のため殺生を嫌い、以前から漁業はしていない。旧暦の1月11日には、早津佐神社境内で弓祈禱神事が催される。島名は、早津佐神社の祭神・大気都比売命に因むという。急流の関前灘を控え、また来島海峡の西の入口にあたることから、明治27年に大下灯台が建設された。来島海峡付近の灯台として歴史が古く、ファンにとっては興味ある灯台のひとつだ。

鉄筋の建物があり、人が集まっていました。


(鉄筋の建物)

近づくと「大下地区住民センター」と書かれていました。その中に簡易郵便局もありました。集まっていた人は、定期船を待っておられるようです。


(大下地区住民センター)

そこから学校の校舎が見えました。元の小学校校舎ですが、今は、スクルー船で違う島へ通学しているようです。


(元の小学校校舎)

港を見ると定期船が近づいてきました。待っている人は、港の方へ歩き始めました。


(定期船が)

島旅仲間は、灯台へ向かうというので、付いて行きました。しかし、途中から道は、水が流れていて、靴がずぶ濡れになりそうだったので、私は、戻ってきました。


(灯台へ)

集落へ向かうと鳥居がありました。早津佐神社です。


(早津佐神社の鳥居)
(写真撮影:2011.06)
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陸から海からしまなみ・とびしま海道の隠れた秘島探し!瀬戸内海穴埋め16島めぐり 39回目

2011-09-28 04:30:00 | 41瀬戸内海・愛媛県・関前諸島
瀬戸内海を航行していると色々な島が見えてきますが、島名はよく分かりません。大下島へ向かいました。


(瀬戸内海を航行)

灯台が見えてきました。大下島には、灯台があると書かれていましたので、これがその灯台かと思いましたが、違っていたようです。


(大下島の灯台)

岩場では、たくさんの人が釣りをしていました。今頃は、何が釣れるのでしょうか。


(岩場では、たくさんの人が釣り)

山の中腹に灯台が見えてきました。これが大下灯台でした。


(大下灯台)

大下島へ上陸しました。


(大下島へ上陸)

早速、島内散策を開始しました。


(島内散策へ)
(写真撮影:2011.06)
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