その先に向かうと「歯痛地蔵」と書かれた看板がありました。「左手を頬に当て、歯の痛みに耐え治療している姿。痛みの原因をよく祈願すれば、苦を抑え痛みが無くなるといわれている」と書かれていました。祠をのぞくとそういうお姿をされていました。


(歯痛地蔵)
その先には、救世観音堂がありました。約1200年前、釘を使わずくさびだけで止めて建立された建物であるようです。


(救世観音堂)
向かいの島、大崎下島には、御手洗という繁華街がありました。遊女が多くいて、なかには、身投げする者もいました。遊女の仲間らは、自ら石仏を彫刻し、観音崎の老木の岩屋に安置して、色々なことを祈ったようです。その1つとして、お不動さんがありました。


(お不動さん)
(写真撮影:2011.06)


(歯痛地蔵)
その先には、救世観音堂がありました。約1200年前、釘を使わずくさびだけで止めて建立された建物であるようです。


(救世観音堂)
向かいの島、大崎下島には、御手洗という繁華街がありました。遊女が多くいて、なかには、身投げする者もいました。遊女の仲間らは、自ら石仏を彫刻し、観音崎の老木の岩屋に安置して、色々なことを祈ったようです。その1つとして、お不動さんがありました。


(お不動さん)
(写真撮影:2011.06)
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