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昭JIJI(アキラジジ)の島旅賛歌*参加

日本全国に有人島が434島ほどある。全島制覇すべく島旅を継続中。

長崎県南部へ島旅 42回目

2015-05-11 04:30:00 | 66九州西部・長崎県・平戸諸島
砂が積み上げられた場所も見られました。


(砂が)

後ろには、相浦発電所が見えました。


(相浦発電所)

大きなガントリークレーンも見えました。


(大きなガントリークレーン)

前を大きな船が横切っていきました。砂を運ぶ船でしょうか。


(大きな船が)

後方には、相浦発電所の煙突と小さな富士山の形をした山が見えました。愛宕山のようです。


(煙突と小さな富士山の形をした山)

前方に高島が見えてきました。


(高島)
(写真撮影:2015.02)

長崎県南部へ島旅 41回目

2015-05-10 04:30:00 | 66九州西部・長崎県・平戸諸島
食料調達をして、フェリーの待合室で、食事をしました。そこには、これから行く「高島、黒島」へのフェリー航路図が貼ってありました。


(「高島、黒島」へのフェリー航路図)

それ以外に、高島の名所の案内説明がありました。


(高島の名所の案内説明)

黒島の名所の案内説明もありました。


(黒島の名所の案内説明)

時間になり、定期船に乗りました。


(定期船)

相浦港を後にしました。


(相浦港)

定期船の船内です。


(定期船の船内)
(写真撮影:2015.02)

長崎県南部へ島旅 40回目

2015-05-09 04:30:00 | 66九州西部・長崎県・平戸諸島
戻って、「日本本土最西端の地」のモニュメントを見に行きました。これがそのモニュメントです。




(「日本本土最西端の地」のモニュメント)

遠くを見ると島影が見えました。平戸島のようです。


(平戸島)

今度は、相浦港へ行くことにして、神崎港を後にしました。


(神崎港)

ナビでの走行で、どのように走っているか分かりませんが、一度、渡った橋を渡りました。


(一度、渡った橋)

相浦港に着きました。定期船の出航には少し早かったことと朝から何も食べていなかったので、食料調達に出かけました。


(相浦港)
(写真撮影:2015.02)

長崎県南部へ島旅 39回目

2015-05-08 04:30:00 | 66九州西部・長崎県・平戸諸島
海岸線沿いに遊歩道が整備されていました。それに沿って歩いていきました。


(遊歩道に沿って)

「最西端の地モニュメント」と書かれた道案内があり、その方向へ向かいました。


(案内板)

その道は、上りになっていて、上がりきると展望が開けました。しかし、そこには、「日本本土最西端の地」と書かれた石柱があり、案内板の写真とは異なっていました。


(「日本本土最西端の地」の石柱)

「ここからの展望」のパネルがありました。夕日がきれいですね。


(展望パネル)

本土最西端を示す大きな日本地図がありました。


(本土最西端を示す大きな日本地図)

その地図の中に「四極交流盟約書__2005」と書かれたレリーフもありました。本土先っちょの自治体同士の「四極交流盟約書」なるレリーフで、四極とは、「最東端:根室市・納沙布岬、最西端:小佐々町・神崎鼻、最南端:佐多町・佐多岬、最北端:稚内市・宗谷岬」とのことで、これで四極に行ったことになりました。


(「四極交流盟約書__2005」と書かれたレリーフ)
(写真撮影:2015.02)

長崎県南部へ島旅 38回目

2015-05-07 04:30:00 | 66九州西部・長崎県・平戸諸島
相浦に向かって、前島の海岸線を走りました。


(前島の海岸線)

ここで、前島の概要を書きます。
前島 神崎地区の北20mにある島。北九十九島のうちの一島。面積0.31Km2、周囲3.8Km、標高52m。西海国立公園に含まれている。昭和47年に本土と架橋され、西の鼕泊島との間も架橋されている。イリコ加工場があり、まき網船の基地となっている。平成2年の国勢調査で人口80人、同12年には86人を数えている

台車に畳1枚分の網が沢山重ねられていました。イリコの乾燥用のようでした。


(イリコの乾燥用の台車)

走り続けていると教会が見えました。カトリック神崎教会でした。


(カトリック神崎教会)

立派な鐘もありました。


(立派な鐘)

「日本本土最西端地」と書かれた道路標識が見えましたので、そちらに向かいました。そこには神崎(こうざき)鼻公園があるようです。


(「日本本土最西端地」と書かれた道路標識)

神崎鼻公園に着き、日本本土最西端地に向かいました。


(神崎鼻公園)
(写真撮影:2015.02)

長崎県南部へ島旅 37回目

2015-05-06 04:30:00 | 66九州西部・長崎県・平戸諸島
しかし、行き止まりで、戻ってきて、下の道を進みました。船修理の工場に突き当たりました。


(船修理の工場)

下車して、周りを散策しました。


(船修理の工場)

立派な瓦葺きの家もありました。


(立派な瓦葺きの家)

戻ることにして、来た道を帰りました。


(来た道)

鼕泊橋に戻ってきました。橋名板は、入口が漢字表記で、出口側がひらがな表記です。


(鼕泊橋に)

鼕泊橋を渡り、前島に帰ってきました。


(前島に)
(写真撮影:2015.02)

長崎県南部へ島旅 36回目

2015-05-05 04:30:00 | 66九州西部・長崎県・平戸諸島
後で、ルートを調べてみるとこのようなルートで走りました。


(前島までのルート)

前島を走りました。


(前島)

鼕泊島への橋の所へ着きました。


(鼕泊島への橋)

鼕泊島への橋、鼕泊橋の橋名板です。この文字は読めないですね。「とうどまりじま」と読みます。


(鼕泊橋の橋名板)

前島と鼕泊島を分けている海です。


(前島と鼕泊島を分けている海)

島内を走っていると道が2つに分かれていました。とりあえず、左側の道に入っていきました。


(島内散策)
(写真撮影:2015.02)

長崎県南部へ島旅 35回目

2015-05-04 04:30:00 | 66九州西部・長崎県・平戸諸島
次の島、前島、鼕泊島へナビをセットして、走り始めるとハウステンボスのドムトールンが見えました。


(ハウステンボスのドムトールン)

ナビに従って進めるとハウステンボスの横を通りました。


(ハウステンボス)

さらに進んでいくと針尾橋を渡りました。


(針尾橋)

JR佐世保駅の前を通過しました。


(JR佐世保駅)

後は、ナビ任せなので、どう走ったかよく分かりません。橋を渡りました。


(ブルーの橋)

入江で船を見ました。


(入江で船)
(写真撮影:2015.02)

宇久島・小値賀島・野崎島・生月島 チャーター船もつかってめぐる平戸諸島 54回目 

2010-07-30 04:30:00 | 66九州西部・長崎県・平戸諸島
さらに、先へ進んだところ、オランダ塀がありました。これは、オランダ商館の目隠しと火事などの延焼から守るために設置されたものとのことでした。


(オランダ塀)

オランダ井戸です。これは、オランダ商館の遺跡のひとつです。


(オランダ井戸)

オランダ商館跡は、1641年オランダ商館が長崎出島に移転するまでの間、海外貿易・文化交流の拠点として栄えたところです。




(オランダ商館跡)

オランダ埠頭もありました。オランダ商館跡の一部で、貿易品が盛んに積み降ろされていて、潮の干満を考慮して、階段状に造られています。


(オランダ埠頭)

常燈の鼻といわれるものがありました。これは、平戸が日本で最初の貿易港として栄えていた頃、この場所には多くのオランダ船が入港していて、灯台の常夜灯が平戸瀬戸を航海する船の安全を見守るために造られたものです。


(常燈の鼻)

時間になり、皆さん、集合し、平戸大橋を渡り、長崎空港から、帰宅しました。


(平戸大橋)
(写真撮影:2005.8)

3泊4日の楽しい島旅でした。
次回からは、香川県の直島諸島の島々の投稿をします。
お楽しみに。

宇久島・小値賀島・野崎島・生月島 チャーター船もつかってめぐる平戸諸島 53回目 

2010-07-29 04:30:00 | 66九州西部・長崎県・平戸諸島
坂の途中で振り返ると寺院と教会が見えました。よくポスターや雑誌の写真に載っている場所ですね。


(寺院と教会が見える場所)

そのお寺が、瑞雲寺です。


(瑞雲寺)

街中に戻り、今度は、市内散策へ出かけました。最初は、幸橋(オランダ橋)へ向かいました。この橋は、三十代平戸藩主の命により、元禄15年(1702)に築造された石造単アーチ橋(重要文化財)で、オランダ商館建造に携わった日本人石工が、地元の石工たちに伝授した架橋技術で建設されたと伝えられるため、オランダ橋ともよばれています。


(幸橋(オランダ橋))

その橋を渡り、平戸市役所へ向かいました。


(平戸市役所)

途中に、イギリス商館跡がありました。


(イギリス商館跡)

港へ戻ってくるとジャカルタに追放された「じゃがたら娘」の像が建てられていました。


(「じゃがたら娘」の像)
(写真撮影:2005.8)