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昭JIJI(アキラジジ)の島旅賛歌*参加

日本全国に有人島が434島ほどある。全島制覇すべく島旅を継続中。

宇久島・小値賀島・野崎島・生月島 チャーター船もつかってめぐる平戸諸島 52回目 

2010-07-28 04:30:00 | 66九州西部・長崎県・平戸諸島
定番の「聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂」へ向かいました。この教会は、天文19年(1550)に平戸を訪れたフランシスコ・ザビエルを記念して、昭和6年に建てられた聖堂です。この周りには寺院も多くあり寺院と教会が同居する平戸独特の風景を作っています。






(聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂)

平戸独特の風景を作っている坂道に向かいました。その途中に、松浦隆信(宗陽)の墓がありました。松浦家28代 松浦隆信(1591年~1637年)は、平戸が最も繁栄した頃の領主だったようです。




(松浦隆信(宗陽)の墓)

寺院と教会がみえる坂を下りました。


(寺院と教会がみえる坂)
(写真撮影:2005.8)

宇久島・小値賀島・野崎島・生月島 チャーター船もつかってめぐる平戸諸島 51回目 

2010-07-27 04:30:00 | 66九州西部・長崎県・平戸諸島
次は、宝亀教会に行きましたが、修復工事中で、中を見られませんでした。写真が飾られていて、赤と白のきれいな教会のようでした。




(宝亀教会)

平戸観光のメインの場所へやってきました。ここでは、自由散策ということで、バラバラに行動しました。私は、何度か来ていましたので、外からの散策をしました。最初は、松浦史料博物館です。松浦家伝来の武具(鎧・日本刀)や松浦家歴代当主画像、絵画、蒔絵、茶道具ほか、什器・文書・図書類合わせておよそ12,500点が展示されているようです。


(松浦史料博物館)

多くの明商人が平戸に定住し、平戸を根拠として貿易を行いました。六角井戸は、その当時、明の様式で作られたといわれています。六角形の柵で囲われているのが特徴的です。


(六角井戸)

天満神社の大蘇鉄は、当時の貿易商、川崎屋の庭に植えられていたものだそうです。


(天満神社の大蘇鉄)

広い通りに出てくると平戸城が見えてきました。


(平戸城)
(写真撮影:2005.8)

宇久島・小値賀島・野崎島・生月島 チャーター船もつかってめぐる平戸諸島 50回目 

2010-07-26 04:30:00 | 66九州西部・長崎県・平戸諸島
帰りは、西周りの「サンセットウェイ」でした。夕日は、きれいだろうと思われました。途中、岸壁が続きました。鷹ノ巣断崖と聞きました。昔は、鷹が住んでいたようです。


(鷹ノ巣断崖)

生月大橋を見るために、バスから降りて、眺めました。これで、生月島を一周したことになります。


(生月大橋)

生月大橋を渡り、平戸島へ戻ってくると海上に中江ノ島が見えました。生月の隠れキリシタンにとっての最大の聖地、中江ノ島です。


(中江ノ島)

平戸島で最初に向かったのは、紐差教会です。この教会は、昭和4年に、当時としては珍しい鉄筋コンクリート造りの東洋屈指の規模で、建設に携わったのは、長崎県内に多くの優れた教会を建設した鉄川与助氏とのことでした。彼が建てた鉄筋コンクリート造り教会としては、熊本の手取教会に次いで2番目で、原爆により旧浦上天主堂が崩壊された後は、日本最大の天主堂として知られていました。






(紐差教会)
(写真撮影:2005.8)

宇久島・小値賀島・野崎島・生月島 チャーター船もつかってめぐる平戸諸島 49回目 

2010-07-25 04:30:00 | 66九州西部・長崎県・平戸諸島
海岸線には、大敷網が設置されていました。ここらでは、どんな魚が獲れるのでしょうか。


(大敷網)

今度は、もう1つの観光地である「大バエ」へ向かいました。バスを降りて、大バエへ向かう途中に、昔、遠火番所が置かれていた番岳が見えました。


(番岳)

大バエは、生月島の最北端部の高さ100mの断崖になっていて、その断崖の上に白亜の大バエ灯台が建っていました。この灯台は展望台も兼ねている珍しい灯台です。また、北東方照射灯と書かれていて、灯台本来とは、違った照射をしているようでした。


(大バエ)


(大バエ灯台)


(北東方照射灯)

そこからの展望で、島影が見えました。少し、近い気もしますが、大島と壱岐島でしょうか。


(大島と壱岐島?)
(写真撮影:2005.8)

宇久島・小値賀島・野崎島・生月島 チャーター船もつかってめぐる平戸諸島 48回目 

2010-07-24 04:30:00 | 66九州西部・長崎県・平戸諸島
山田カトリック教会内には、きれいなステンドグラスもありました。




(きれいなステンドグラス)


(山田カトリック教会)

次に行ったのは、塩俵の断崖です。塩俵の断崖は、玄海灘の荒波に洗われてできた雄大な亀の甲模様の玄武岩の柱状節理であり,生月島西海岸を代表する景勝地です。この柱状節理は新第三紀(約2500万年前-500万年前)にできた溶岩台地です。柱状節理は溶岩流が厚い部分に発達する場合が多く,玄武岩の柱はほぼ垂直で,さらに水平に亀裂が生じて蜂の巣状の俵を重ねた様になるようです。ここ塩俵の断崖の柱状節理は県内でも代表的なもので、南北に約500mの長さがあり、海面からの高さも20mもあります。また、ここから大バエ灯台まで3.3kmの遊歩道もあります。生月島では大バエ灯台とならぶ観光地です。






(塩俵の断崖)
(写真撮影:2005.8)

宇久島・小値賀島・野崎島・生月島 チャーター船もつかってめぐる平戸諸島 47回目 

2010-07-23 04:30:00 | 66九州西部・長崎県・平戸諸島
ガイドさんから、「ガスパル様」といわれました。説明によるとこのガスパル様の建っている場所は黒瀬の辻の十字架と言って生月のキリシタンにとっては信仰の原点とも言える最高の聖地で、1609年、生月で最初の殉教者である西玄可(洗礼名 ガスパル)と家族が殉教した場所とのことでした。


(ガスパル様)

山田カトリック教会に到着しました。この教会は、長崎県内や周辺各地で数多くの教会建築を手がけた鉄川与助の設計・施工によるロマネスク様式の教会堂です。教会内部の壁面には、蝶の羽で作られた装飾画が飾られています。これは1990年頃に、在任していた主任司祭が自ら蝶を採集して作り上げたもののようです。




(山田カトリック教会)




(蝶の羽で作られた装飾画)

7本の剣が刺さった悲しみのマリア像もありました。


(7本の剣が刺さった悲しみのマリア像)
(写真撮影:2005.8)

宇久島・小値賀島・野崎島・生月島 チャーター船もつかってめぐる平戸諸島 45回目 

2010-07-21 04:30:00 | 66九州西部・長崎県・平戸諸島
昨夜、泊まったホテルからバスガイドさんの案内で、島内散策を開始しました。


(泊まったホテル)


(バスガイドさん)

平戸島から生月島へ向かうため、生月大橋を渡りました。この橋の下を昨日は、フェリーで通過しました。


(生月大橋)


(フェリーで通過した海)

生月橋を渡るとすぐに、「島の館」に着きました。その前には、「クジラのモニュメント」がありました。


(島の館)


(クジラのモニュメント)

この生月島は江戸時代から捕鯨が盛んな島で、江戸時代に日本最大の規模を誇った益冨捕鯨の様子を分かりやすくジオラマ(模型)で紹介していました。捕鯨の漁具や捕鯨の歴史、一般漁具の展示などもありました。
それと、生月島は隠れキリシタンの島です。長い迫害に耐えて受け継がれた隠れキリシタンの信仰、隠れキリシタンの御神体である「納戸神様」の再現などもありました。しかし、何故か、映像的には、残っていませんでした。館内、撮影禁止だったのでしょうか。
(写真撮影:2005.8)

宇久島・小値賀島・野崎島・生月島 チャーター船もつかってめぐる平戸諸島 44回目 

2010-07-20 04:30:00 | 66九州西部・長崎県・平戸諸島
フェリーは、生月島の舘浦漁港に着きました。下船して、ホテルへ向かいました。


(フェリーから下船)

振り返ると先ほど通過してきた生月大橋が見られました。


(生月大橋)

三日目の宿に入り、夕食は、大きな広間での会食でした。料理も立派で、おいしくいただきました。その間に、ブリの生き造りのショーが行われました。素晴らしい包丁さばきでした。




(三日目の夕食)






(ブリの生き造りのショー)
(写真撮影:2005.8)

宇久島・小値賀島・野崎島・生月島 チャーター船もつかってめぐる平戸諸島 43回目 

2010-07-19 04:30:00 | 66九州西部・長崎県・平戸諸島
接岸したフェリーに早速、乗り込みました。


(フェリーに乗り込み)

フェリーは五島から来て、博多へ向かうフェリーでした。


(五島→博多行き)

船室に荷物を置き、甲板へ向かいました。


(船室に荷物)

フェリーは宇久島を出港していきました。


(宇久島を出港)

進んでいくと陸から眺めた古志岐島を海上から眺めました。灯台を間近に見ることができました。


(古志岐島)

ひと眠りして、目が覚めると生月島の生月大橋の下をフェリーは通過していました。


(生月大橋)
(写真撮影:2005.8)