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昭JIJI(アキラジジ)の島旅賛歌*参加

日本全国に有人島が434島ほどある。全島制覇すべく島旅を継続中。

長崎県南部へ島旅 52回目

2015-05-21 04:30:00 | 66九州西部・長崎県・平戸諸島
フェリーの操舵室をのぞいてみました。


(フェリーの操舵室)

高島の全景です。左の山が番岳です。時間があれば、登ってみたかったです。高島の番岳は、標高138mで藩政末期には番所が置かれ、佐世保が軍港になってからは、海軍の砲台なども設置されたとのことです。


(左の山が番岳)

集落は、1カ所に集中しています。


(集落は、1カ所に集中)

黒島が見えてきました。


(黒島)

高島の牛ケ首崎に白い小さな灯台が見えました。


(白い小さな灯台)

黒島に近づきました。中腹に教会のような建物が見えてきました。お告げのマリア修道会のようです。


(中腹に教会のような建物)
(写真撮影:2015.02)

長崎県南部へ島旅 51回目

2015-05-20 04:30:00 | 66九州西部・長崎県・平戸諸島
戦死者忠魂碑が建てられていました。ここからも戦争に行かれた方がおられたのですね。


(戦死者忠魂碑)

大分、太陽も低くなってきました。


(太陽も低く)

待合所に荷物を取りに行きました。その内には、高島分校の壁新聞が貼られていました。


(高島分校の壁新聞)

相浦から来たフェリーが入港してきました。


(相浦から来たフェリー)

接岸すると待っていた検診車も乗船しました。


(検診車も)

フェリーは高島を離れていきました。


(さようなら高島)
(写真撮影:2015.02)

長崎県南部へ島旅 50回目

2015-05-19 04:30:00 | 66九州西部・長崎県・平戸諸島
道の脇に「消火栓、ホース入れ」がありました。木製は、珍しいですね。


(木製の消火栓、ホース入れ)

掲示板がありました。「ベニシアさん」の講演会の案内が掲示されていました。


(掲示板)

島の裏側の港、高島漁港に出てきました。


(高島漁港)

港の近くに平屋の建物と大きな建物がありました。平屋は、高島漁業体験館で、大きな建物は、製氷工場でした。高島漁業体験館では3泊4日の共同生活をしながら、自然を学ぶ探検をし、佐世保高専の先生と一緒に海水から塩・豆腐をつくり、雑木から紙つくりなど自然の恵みを形にする探検やカヤックやシュノーケリングで素晴らしい海の探検などを楽しむようです。


(平屋は、高島漁業体験館で、大きな建物は、製氷工場)

近くにはお地蔵さまが祀られていました。花も毎日代えられているのか、きれいでした。


(お地蔵さま)

風除けの石垣が作られていました。昔の仕事だと思います。その頃は、作るのは、大変だったことでしょう。


(風除けの石垣)
(写真撮影:2015.02)

長崎県南部へ島旅 49回目

2015-05-18 04:30:00 | 66九州西部・長崎県・平戸諸島
この辺りに集落が集中していました。


(集落が集中)

珍しく、トロ箱がありました。まだ、使われているのですね。


(トロ箱)

井戸もいくつかありました。共同で使っていたのでしょうか。


(井戸も)

大きな樹も見られました。しかし、新芽は、まだのようでした。


(大きな樹)

新築されたのでしょうか、立派なお宅がありました。


(立派なお宅)

島でよく見る一夜干しが干されていました。


(一夜干し)
(写真撮影:2015.02)

長崎県南部へ島旅 48回目

2015-05-17 04:30:00 | 66九州西部・長崎県・平戸諸島
少し坂を上っていくと校舎がありました。相浦小学校高島分校です。


(相浦小高島分校)

広い校庭がありました。


(広い校庭)

ここで戻ることにしました。途中に、「高島排水池」と書かれた設備がありました。ここから水道水が配られているようです。


(高島排水池)

その下の方には、何か設備がありましたが、何に使われているのでしょうか。


(何か設備が)

宮ノ本遺跡に向かおうとしましたが、歴史的なことには興味がないので、港の方へ戻ることにしました。


(散策続く)

少しの空き地には、色々な物が植えられていました。


(色々な物が)
(写真撮影:2015.02)

長崎県南部へ島旅 47回目

2015-05-16 04:30:00 | 66九州西部・長崎県・平戸諸島
島で唯ひとつのお店です。


(島で唯ひとつのお店)

島内散策を続けました。この辺りに集落が集まっているようです。


(島内散策を続ける)

小さな小屋があり、「町内放送室」と書かれていました。ここで町内への放送が行われているようです。


(町内放送室)

先に行くと消防団の立派な建物がありました。


(消防団の立派な建物)

野菜などを売る無人販売所と思われるところに旗が立てられていました。何を意味するのでしょうか。島では、よく独居老人の確認のために使われていますね。


(野菜の無人販売所)

その先に公民館がありました。


(公民館)
(写真撮影:2015.02)

長崎県南部へ島旅 46回目

2015-05-15 04:30:00 | 66九州西部・長崎県・平戸諸島
本殿をお参りしました。


(本殿)

境内に「鯨をかたどった石碑」がありました。それは、佐世保市の高島にある海の神様が祀られた志賀神社の境内にありました。これは、1913年(大正2年)に鯨が島に漂着し、島の人々に幸福をもたらしたことを記念して奉納されたものとのことでした。


(鯨をかたどった石碑)

魚を売っているお店もありました。


(魚を売っているお店)

もう1軒のちくわ屋の前を通っていきました。


(もう1軒のちくわ屋)

老人の憩いの家もありました。


(老人の憩いの家)

診療所もありました。


(診療所)
(写真撮影:2015.02)

長崎県南部へ島旅 45回目

2015-05-14 04:30:00 | 66九州西部・長崎県・平戸諸島
「花いっぱい えがおいっぱい 高島町」と書かれた看板が立っていて、後ろには、菜の花が咲いていました。


(花いっぱい運動)

建物がありました。高島保育所と書かれていました。


(高島保育所)

横を見ると石の鳥居が見えました。志賀神社です。


(志賀神社)

志賀神社の入口とその奥にも石の鳥居が見られました。


(2つの石の鳥居)

石の鳥居の左側には、「御大典記念」と刻まれた石碑がありました。


(記念石碑)

石の鳥居の右側には、「御大典記念桜植」と刻まれた石碑もあり、後ろに桜の木がありましたが、記念碑の古さから見ると若木ですね。


(御大典記念桜植)
(写真撮影:2015.02)

長崎県南部へ島旅 44回目

2015-05-13 04:30:00 | 66九州西部・長崎県・平戸諸島
港には、面白い形の車が置かれていました。耕運機に荷台が付いています。


(面白い形の車)

工事関係者がその車に乗って、出かけていきました。


(その車で移動)

待合所の入口には「ようこそ高島町へ 高島名産 カキ、ウニ、ちくわ」と書かれていました。


(ようこそ高島町へ)

「高島巡りマップ」が掲げられていて、6カ所の説明が書かれていました。


(高島巡りマップ)

「マンモグラフィー検診車」と書かれた大きなバスが駐車していました。我々が乗るフェリーで黒島へ行くようです。


(マンモグラフィー検診車)

「高島ちくわ」と書かれた大きな看板がありました。高島の名物で、2軒あるようです。


(高島ちくわ)
(写真撮影:2015.02)

長崎県南部へ島旅 43回目

2015-05-12 04:30:00 | 66九州西部・長崎県・平戸諸島
定期船は、高島港に入港しました。


(高島港)

浮桟橋が工事中で、仮発着所に着きました。


(仮発着所)

フェリーの待合所に大きい荷物は置いて、高島の島内散策を開始しました。

ここで、高島の概要を書きます。
高島(佐世保市)は、佐世保市の相浦港から出港すると眼前に現れるタツノオトシゴ形の島。沖合から見ると、右半分がこんもりとした山林で南端の標高138mの番岳が最高点。北半分が平たく広がるなだらかな姿をしている。ほとんどが漁業に従事し、カマボコ・チクワ製造業が2軒ある。島の北部には民間真珠会社の養殖場がある。中心部の宮ノ本遺跡は縄文から弥生時代にかけてのもので、弥生時代の墓地から石棺やカメ棺に埋葬された人骨約40体が出土している。古くは松浦藩の馬牧で、幕末には異国船見張所が番岳におかれた。一帯は名称九十九島の南部で美しい。


(島内散策)

浮桟橋は、工事をしていました。最終仕上げの段階のようです。


(浮桟橋は、工事)

黒島からのフェリーが入港してきました。


(フェリーが入港)

最近の船は、サイドスラスターが付いているので、狭いところでもうまく回って接岸できますね。


(フェリーの接岸)
(写真撮影:2015.02)