ひょうきちの疑問

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お金はソフト技術だからこそ、簡単に作れるものであってはならない

2017-09-18 19:45:43 | 国際金融

月曜日(祝日)

金貨と紙幣の違いは、それがハードマネーなのかソフトマネーか、の違いである。
しかし金貨だからそれだけでハード貨幣と言えるかといえば、それも人によって見解の違いがある。

①通貨とは金貨に限らずその価値が保証されるのなら、本質的にはその素材は何であってもいいというのが私の考えであるが、(偽造の問題は経済上の問題ではなく倫理上の問題なので、ここではひとまず横に置いておく)

②しかし近代以降はそれに加え、通貨の発行量を自由に増減できるもの、という条件が加わった。
近代以降の資本主義は、生産量を格段に増大させてきたためである。生産量が増大するならば、その増大した生産物の価値を表す通貨の量も増大しなければならないという理由からである。

しかし通貨量の増大が本当に生産量の拡大によって必要とされたものかどうかは疑問である。
古代ローマ帝国は生産量が逆に縮小していくなかで、貨幣を増発して(貨幣改悪を繰り返して)、最後には滅亡していった。それは単に帝国の財政上の問題で、ローマ帝国は財政難のために貨幣を改悪して通貨を増大させたにすぎなかった。

『私に通貨を発行させてくれれば、あとはどんな法律を作ろうと構わない』
金融王ロストチャイルドはそう言った。

最大の問題は、通貨発行には必ず、シニョリッジという通貨発行益が発生することである。
無から価値が創造されるのだ。それは通貨発行権者にだけ与えられる特権である。
日本の通貨発行益は日本銀行という日本の中央銀行がもっている。
アメリカの通貨発行益は連邦準備理事会(FRB)という中央銀行がもっている。
ただ日本銀行とFRBの違いは、日本銀行が単に日本国内でのみ通用する円という通貨の通貨発行益をもっているのに対し、
アメリカのFRBは全世界で通用するドルという世界の基軸通貨の通貨発行益をもっているという点だ。
この違いは絶大である。

2008年のリーマンショック以降、日本銀行もFRBもこの通貨発行益を求めて、紙幣を刷り続けている。
(日本銀行はアベノミクスが始まった2013年からだが)。

このシニョリッジの魔力が貨幣の秘密である。
金(きん)であろうと紙幣であろうと、通貨にはこのシニョリッジという通貨発行益が発生する。
この魅力に目がくらんだ人間は、ロスチャイルドばかりではない。
古今東西、権力や財力を持った人間は必ずこのシニョリッジという通貨発行益の虜となってきた。
なぜならこれはお伽噺に出てくる打ち出の小槌そのものだからだ。
何もないところから、莫大なお金が発生するのだ。

よく誤解されていることだが、そのことは金(きん)であろうと紙幣であろうと、シニョリッジは必ず発生することである。紙幣だけにシニョリッジが発生するのではなく、金(きん)にもシニョリッジは発生する。
例えば、現在1グラム5000円の金(きん)を貨幣に鋳造して、1万円の価値を持たせることは可能である。鉛か錫を混ぜて重さを増やし、そうしてできた金貨の表面に国が1万円と表示すれば良いだけのことである。
そうやって1万円どころか、1グラムの金(きん)で100万円の金貨をつくってきたのが古代ローマ帝国である。もともと5000円の金の価値が、金貨にしただけで100万円の価値に化けたのである。
そうなると紙を印刷して100万円紙幣とするのと変わらない。
だから、紙幣をソフトマネー(表券通貨)、金貨をハードマネー(金属通貨)と区分けしても、その境界は曖昧で、両者をハッキリ分ける基準は存在しない。

権力者は自分が不利な状況に立たされたとき、必ずこのシニョリッジを利用してきた。
このシニョリッジの魅力に勝てる人間は古今東西いなかった。
これは西洋に限られたことではない。日本でもそうであった。江戸時代、5代将軍徳川綱吉の治世下、勘定吟味役の荻原重秀は、財政難のため、貨幣改悪を行い金の含有量を減らした元禄小判を発行した。

為政者がこのシニョリッジの魅力に負けてしまうと国家は滅ぶ。
中国の宋王朝は交子という紙幣の乱発により、元王朝は交鈔という紙幣の乱発により滅んできた。
分かっていながら人間はそれを繰り返してきた。
それほどシニョリッジの魅力は絶大である。人間が勝てる代物ではない。
であればどうすべきか。

シニョリッジが発生しにくい通貨をつくるしかない。
今のところそれは紙幣ではなく、金貨である。
紙を印刷することの簡単さに比べれば、地下資源である金(きん)は、その採掘から加工・精錬を経て金貨に鋳造するまでの工程は、シニョリッジの発生のしにくさという点では、紙幣よりもはるかに優れている。

現在の経済学者は、金本位制を過去の遺物と一笑に付しているが、彼らが通貨膨張による現在の金融危機に対してそれを予見したことも、金融危機が発生したあと有効な対処法を生み出したことも、今まで一度もない。
ただ右往左往するばかりである。
そして金持ちにますますお金が集中することを黙って見ていただけである。

(ビットコインはこれ以上は増えないという発行限度額がプログラム設定されている点で優れているが、サイバー攻撃に対してシステムがダウンしたときにどうなるか、という安全保障上の疑問がある。お金という人間生活に一瞬たりとも欠かせないものを、実生活よりも脆弱性の高いサイバー空間の上にのせることに対する疑問である。人間の娯楽ではなく、実生活の根本である通貨がサイバー空間の上に乗ってしまうことへの不安である。)

通貨のシニョリッジの問題は、偽造の問題がそうであるように、倫理上の問題を含んでいる。その倫理上の問題が解決される必要を私は否定しない。
銀行の成立やその信用創造の機能についても、その端緒において倫理上の問題が発生し、訴訟が起こったことは確かである。その訴訟は100年以上続いたのである。
しかしそれは歴史的な問題であり、それを是認した政治的または法律的問題であって、重要な問題ではあるが、経済上の問題ではない。いずれ別の機会に考えることにする。

ここで問題を経済上の問題に限定すると、近代資本主義以降の通貨は、シニョリッジの魅力に負けて通貨量を増大させ続けてきた歴史であると言える。
その傾向は、金貨から紙幣への移行に伴ってますます増幅された。
そしてそのことによって恒常的に金融危機が発生するようになった。
そのことが金(きん)とリンクしない紙幣の問題点であることは、今や周知のことであるが、その問題は全く手つかずのまま放置されている。

通貨戦争 崩壊への最悪シナリオが動き出した!
ジェームズ・リカーズ
朝日新聞出版

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