金曜
性交が秘め事になるとは、人間の進化にとって最も大事なことが隠れたところで行われるということです。
隠れたところ、人目につかないところで行われるようになります。誰にもわからずに。
それがメスにとっては優秀な子供を産み、子供を育てるための非常に有効な手段だからです。
しかしそれは日常ではお目にかかれない行為になります。つまり非日常になります。
そのことがヒトの知性におよぼす影響はどんなものでしょうか。
ヒトの子供は見たこともない性交というものを想像しなければならなくなります。誰も教えません。
ヒトのメスが性交を隠すようになると、その中心的器官である陰部までが隠すべき器官になります。
こうなるとますます子供のオスにとっては、性交は想像しがたいものになります。
見たこともないものを想像する必要に迫られたとき、多くの場合に見られることは、それに類する何らかの知り得たものに喩(たと)えることです。
喩える能力が必要になるわけです。
これは人間の持つ抽象能力の発芽ではないでしょうか。見たこともないものを想像しなければならないのですから。
見たこともないもの、表現しにくいもの、それを表現する能力、人間にはそういう活動がいっぱいありますが、その一つが宗教であり、芸術と呼ばれる活動でしょう。
しかしそれには同時に恐れが伴っています。
なぜならヒトのオスは、その性行為に対して発情期でもないときに勃起する能力を求められるからです。ヒトの性行動の変化の速さに対して、ヒトの肉体的変化は追いつくことができず、それを補うためにヒトは精神面の変化をつくる必要に迫られます。
人間特有のエロスの発生はこうして誕生したのではないでしょうか。
しかしそれが不十分で、精神というもともと不安定なものの上に立脚しているため、ヒトのオスは性交時に勃起できるかどうかという不安を常に抱くことになります。
その不安が人間の持つエロスのさまざまな趣向性や多様性を生んでいきます。
精神作用によるエロスによって、人の性交は実際以上に美化されます。
性器の非日常状態である勃起状態を作り出さねばならないオスにとっては、その必要度はメス以上のものがあるでしょう。
メスは美化され、メスの体は美化されます。メスの性器はオスにとって崇高なものになります。
心理学者のユングが『アニマ』と呼んだオスによるメスの理想像が作られるようになります。このアニマ像が、オスにとって生まれたときから一番身近なメスである母親に近づくというのは頷けることです。なにせ性交の実態は隠されていて見たこともないのですから、一番身近なものに喩えてそれを作り上げるしかないからです。
ヒトのオスの多くがマザーコンプレックスを抱えているのはこのことが影響しています。
この精神作用は、いろいろなコンプレックス、つまり複合概念を生んでいきます。
見たこともないもの、この世に存在しないものも生んでいきます。
『神』とか『あの世』というものも見たことないものです。しかしそれはお互いに接触のない伝統社会に必ず発生したものです。
ヒトの空想上の産物は限りのないものです。『天国』と『地獄』、『悪魔』『鬼』『幽霊』『美』『善』『悪』『エロス』などなど。
オスの持つエロス作用は、神のなかに女神は発生させても、男神が見当たらないことを見ても明らかでしょう。メスは神にまで美化され、昇華されるのです。
芸術のなかで、恋愛は大きな比重を占めています。
メスのほうも、オスのそういう理想を壊さないほうがいいことを知っているようです。オスがそうしたいのなら、きっとそのほうがいいのだろうという知恵です。でも本音では吹き出しているのかもしれません。
想像は想像を呼びます。
想像には限りがありません。
想像力は、創造力につながっています。
それは芸術を超えたあらゆる分野に及んでいきます。
人は見たこともないものをモデル化して、その謎を解き明かしていきます。
アインシュタインが相対性理論をつくり出していく過程も、セックスという秘め事を想像する精神作用と根は同じではないでしょうか。
見たこともないものを何かに喩え、それをモデル化していく精神作用です。
『大事なものは目に見えない』と星の王子様のサンテグ・ジュペリは言いました。
『秘さざれば、美なるべからず』とは能の世阿弥の言葉です。
同じことを言っているのではないでしょうか。
女性は理想化されてアニマとなり、さらに神格化されて女神となります。
神の発生もこの精神作用の一つでしょう。
神の論理を探し続けていくと、アインシュタインは相対性理論にたどり着きました。
アインシュタインの相対性理論が現実なら、神も現実です。
神がいるのなら見せて見ろ、そういう人がいますが、そんなものではありません。
見えないものを見る力のことを言っているのですから。
ヒトは見えないものを想像し、やがて実際にセックスを行っていくのです。
想像したものが正しかったかどうか、セックスで実証されるわけです。
何を想像してもいいわけではありません。
人間が想像したものは現実の世界で試されるのです。
ヒトはそういうことを繰り返しやってきました。
大事なことは目に見えないのです。
セックスがその最初でした。
ヒトの存続にとって一番大事なセックスが見えない社会にヒトは生きているのです。
ここから生まれる精神作用の広がりは計り知れないほどです。
特にオスはその精神作用によって自らの性的興奮を作り上げなければなりません。
発情期という生物に備わったルールを無視して、性的興奮を作り上げなければならないのです。
非常に個人的な作業が必要になります。しかしこれはたんなる遊びではありません。自分が子孫を残せるかどうか、種の存続をかけた戦いなのです。
この非常に難しい精神作用のなかで、オスは青年期を過ごさねばなりません。
それはさまざまな広がりをもち、セックスに関わりのない精神作用をも誘発します。
芸術とはそうしたところから生まれるのではないでしょうか。
ラスコー洞窟の壁画を描いた芸術家は、間違いなくセックスという秘め事をしていたと私は思うのです。
種の存続をかけて彼は必死でその壁画を描いたのです。
その迫力が我々現代人を驚愕させるのです。
我々から見れば原始的に思える獣を追う生活のなかで、彼はすでに我々と同じ苦しみのなかにいたのです。
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