ひょうきちの疑問

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2020年のアメリカ大統領選以後はムチャクチャ

授業でいえない日本史 39話 現代 金解禁~高橋財政

2020-08-26 04:00:00 | 旧日本史5 20C前半
【浜口雄幸内閣】(1929.7~31.4)
どこからの続きかというと、田中義一が張作霖爆殺事件で失脚したあとからです。
そのあとを受け継いだのが浜口雄幸(はまぐちおさち)です。1929.7月の成立です。田中義一は立憲政友会の総裁として首相に任命されていましたから、今度のその反対政党の立憲民政党の総裁の浜口雄幸が首相になります。まだ政党内閣は続いています。


【金解禁】 第一次世界大戦中にヨーロッパが金本位制を離脱したのに合わせて、日本も1917年に金本位制を離脱しましたが、この時も日本はまだ離脱したままの状態です。キーワードは金本位制です。この説明は、「政治・経済」で済ましたことにします。
これやると時間がかかる。簡単にいうと、本物のお金は金(キン)だ、という制度です。今は違う。今は管理通貨制度といって、今のアベノミクスのように金の保有量に関係なくいくらでもお金を刷れる制度です。キンのことは「金」、オカネは「お金」と区別して書きます。

第一次世界大戦が終わると、ヨーロッパ各国は復興し、金本位制度に戻っています。しかし日本は離脱したままです。なぜなら日本の1920年代というのは不況続きだったから、戻れなかったのです。戦後恐慌、震災恐慌、金融恐慌で、なかなか復帰できない。これはお金がかかるから。しかしアメリカが1919年に、イギリスが1925年に、金本位制に復帰した。

だから日本もヨーロッパと同じように復帰しようとして、よしやるぞといって、1930.1月に強引に復帰したんです。これを金解禁という。これは短縮形です。正式な名称は、金輸出禁止解除のことです。ところどころ字を取って、金解禁です。ここは丸呑みして、金本位制に戻した、と思ってください。これを行った大蔵大臣が、もと日銀総裁の井上準之助です。
ここで金本位制にもどすと、貿易決済は金で行いますから、輸入する場合には金を輸出することになります。今まではその輸出を禁止していたから、それを解禁して輸出オーケーとしたということです。輸出すれば金が日本に入ってくるし、輸入すれば日本の金が海外に流出する。こういう制度です。これが金本位制です。

ただこのとき1930.1月という数字に注目してください。3ヶ月前の1929.10月に、ニューヨークのウェール街で株価の大暴落が起こっているんですよ。これはアメリカだけにはとどまらなかったけれど、この時は今よりも太平洋を渡ってくるのにちょっと時間がかって、日本は自分たちには関係ないと思っていた。だから日本が不況に巻き込まれるとは予測しないまま金解禁をやった。
この目的は為替を安定させて、輸出を拡大しようということだったんだけども、これをやった瞬間に世界大恐慌の波を受けて、全く逆の方向に日本経済は突き進んでいきます。日本はますます不況が深刻化します。
金解禁の狙いは、為替を安定させ緊縮財政を取る。ぶっちゃけて言うと、弱い会社には潰れてもらおうと非情な冷たい仕打ちを政府はした。強いところだけに頑張ってもらえば、日本は立ち直ることができる、と考えたけれども、その3ヶ月前の1929.10月に世界大恐慌の火種が撒かれていた。

そうするとアメリカやイギリスは、外国からの輸入を抑えようとして、輸入品に高関税をかけ出したんです。つまりブロック経済を行ったんです。日本の狙いは輸出を拡大することだったのですが、まったく逆の結果になります。輸出しようとしているのに、輸入先が高関税をかけたら物が売れずに輸出できない。高関税にブロックされる。
だから弱い企業は潰れる。おまけに政府は緊縮財政でお金の量を減らしていく。踏んだり蹴ったりの状態になる。関東大震災といい、金融恐慌といい、何かしらタイミングが悪い。日本は、ヨーロッパのブロック経済という保護貿易主義で、高関税をかけられて輸出が伸びない。

それでこの1930年に、日本は昭和恐慌に突入していく。これが1920年からの恐慌の中でこれが一番ひどい恐慌です。それでなくても1920年代の日本は、不景気の真っ最中です。さっきも言ったように、1920年の戦後恐慌、1923年の震災恐慌、1927年の金融恐慌、これでもか、これでもかと恐慌がくる。金融恐慌で終わりだろうと思っていたら、そのあとに一番デカいのが来た。
日本の恐慌はだんだん尻上がりに大きくなる。はじめチョロチョロで、中パッパですが、最後にドカンときて、どうにもならなくなった。


【昭和恐慌】 昭和になって1927年の金融恐慌、それからこの1930年の昭和恐慌です。昭和恐慌の原因は金解禁の失敗です。ここから日本の政治は本格的におかしくなっていく。
日本は狙いが完全に裏切られて、輸出は増大するどころか激減していく。そしてアメリカに対して日本が一番期待していた稼ぎがしらの生糸の値段が暴落する。生糸はもともと贅沢品です。不景気になれば真っ先に売れなくなるわけです。それで日本の生糸農家が没落していく。農村にも恐慌はおよびます。
産業界も弱いところから潰れていく。中小企業が倒産する。会社が潰れると、お父さんたちの職が失われる。そして都会では食えなくなる。それで田舎に戻ろうといって、田舎に戻ってくると、田舎でも農村恐慌が起こっている。
もう輸出は伸びない。逆に輸入超過になって日本の金が流失する。今までは金は輸出できなかった。しかし金解禁で金を輸出していいことになった。お金と金がリンクしているから、貿易赤字の分はごっそり日本の金が海外に流出することになるんです。


この流出した金はどこに行ったか。じわじわとアメリカに貯まり出すんです。このあと日本が戦争に負けた1945年には、世界の金の半分以上は、なぜかアメリカに集まっています。他の国の金がアメリカに集まりだす。日本の金もだいぶこれに貢献している。先のことですけど、戦後のアメリカのドルを中心とする通貨体制はそこから始まります。
1929年のアメリカの株式の大暴落の原因はよく分かりません。いろいろなことが言われていますが、アメリカははじめから金(キン)が欲しかったのではないかとも言われます。世界規模でみたら原因をつくったのはアメリカです。アメリカの株をつり上げて、それを一気に落とした人たちがいる。

しかし庶民は、そんなことは分からない。政党政治といっても何もいいことないじゃないか、1920年代は恐慌ばかりじゃないか、しかも政治家は財閥と結びついている、肥え太っているのは財閥だけじゃないか、政党政治家なんか信用できない、そんな気分が蔓延していきます。このあたりはドイツの気分とよく似ています。

では政治家の代わりに誰がいるかというと、軍人さんです。軍の将校は、今以上の超エリートです。地域の高校の成績トップは、東大に行くか、陸軍士官学校に行くか、そういう時代です。成績1番の人が陸軍士官学校に行って、2番手や3番手の人が東京大学に行ったりする。そうすると大人になって、同じ高校の出身者が東京の政治の舞台で出会っても、軍人さんの方が東大卒の政治家よりも高校の時は頭がよかったりする。そういうエリートです。そういう軍人さんへの期待が国民の間に盛り上がっていく。


【ロンドン海軍軍縮条約】 しかもイギリスは、不景気だからまた海軍を縮小しましょう、戦争しないようにしましょう、と呼びかける。これが1930年のロンドン海軍軍縮条約です。昭和恐慌とほぼ同時です。この時の外務大臣はまた幣原喜重郎です。どういう人だったか。アメリカ・イギリスが大好きです。協調していきましょう、手を取り合っていきましょう、という協調外交の外務大臣だった。彼がまた復活している。だからイギリスの誘いに乗っていきます。
ここでの取り決めは、補助艦の制限です。10年前にワシントンで結ばれた海軍軍縮条約もあった。あれは主力艦だった。その主力艦の周りを取り囲んで行くのが補助艦です。これが合同して艦隊を組む。


その比率です。アメリカ:イギリス:日本の比率で、10107です。アメリカ10に対して日本7、それぐらいでいいぐらいかなぁ、というと、前回と同じ理屈です。覚えていますか。このときアメリカとイギリスが組むというのは、ほぼ確実なんです。実質はアメリカとイギリスを足して、20対7です。これでは勝てないです。

こういうことを政党政治家がやっていく。しかしこの幣原喜重郎は人気を失っているんですよ。それでもイギリス・アメリカの誘いに乗っていく。
このことに対して軍部は、こんなことしてたら国は守れない、この責任は誰がとるのか、政治家は軍事の知識もないくせに統帥権つまり軍事指揮権を勝手にいじって、これを侵している、と言う。これを統帥権干犯問題という。
軍部は、この内閣に対してそういう批判をしていきます。国民の気持ちも、政党政治家から顔をそむけつつあります。だから次の1931年から、世の中はぶっそうになっていく。


【三月事件】 陸軍の中ではクーデター計画が発覚します。1931.3月の三月事件です。陸軍内部に桜会という一種の秘密結社があって、彼らはすでに陸軍指導部を信頼していない。だから自分たち独自で政権構想を立て、それを実行に移そうとします。しかしこれは計画が漏れて失敗します。
国民の気分も、政党政治家の言うことに従えるか、という感じです。じっさい金解禁で失敗している。そしてますます景気が悪くなる。


【重要産業統制法】 景気が悪いと、ものが行き渡らないから、政府は翌月の1931.4月に重要産業統制法をだす。本来は経済活動は自由なはずですが、政府が経済を統制しはじめます。政府がこういうことをすると、これは大企業保護になるか、社会主義経済になるかのどちらかなんです。日本は社会主義はとりませんから、大企業中心の経済体制をつくっていき、それを政府が統制しようとしていきます。こうなると国家社会主義という考え方にも近づいてきます。これが国家による経済統制の始まりになります。

そういった昭和恐慌の中で、首相の浜口雄幸は1930.11月に東京駅で撃たれます。一命は取りとめますが重体になり、翌年8月にそれがもとで死亡します。原敬も東京駅で暗殺された。この時代はよく人が死にます。
昔、この時代を知っている年配の人から聞いたことがありますが、小学生のときには、政治家というのは死ぬもんだと思っていた、と言われてました。政治家になると死ぬんだ、殺される、と思っていた、と言われてました。実際良く死ぬんです。
政治は、バラエティ番組に政治家が出て笑いを取るとか、そういうことをする政治家がいますが、政治家というのはそういうものじゃないです。どうかすると命を取られる職業です。




【若槻礼次郎内閣②】(1931.4~31.12)
浜口雄幸が撃たれると、1931.4月にまたピンチヒッターとして若槻礼次郎が登場します。2度目の登場です。この時はピンチヒッターだから与党は変わりません。立憲民政党のままです。外務大臣もそのまま幣原喜重郎です。


【満州事変】 だから軍部としては、やっちゃおれん、言われたとおりにしていても、失敗ばかりじゃないか、もうオレたち独自でやろうとなる。
1931.9月満州事変が起こります。失敗続きの経済の打開策として、軍部は一言でいうと、満州が必要だと判断します。材料供給地、それから製品の販売先として。
昭和恐慌の最中で必死に脱出の道を考えていたのは、軍部、とくに満州駐屯の日本の軍隊です。これを関東軍といいます。
独自に作戦計画を立てて、また張作霖爆殺事件と似たような鉄道爆破事件を仕掛けます。その爆破された場所が中国の柳条湖です。べつに湖じゃないです。そういう地名です。そこで鉄道を爆破する。その鉄道が、日本が経営する南満州鉄道つまり満鉄です。満鉄爆破事件です。日本はそれを、中国側のしわざだと公表していく。この作戦参謀は、関東軍一の切れ者といわれた石原完爾という人です。戦後、戦犯で捕らえられても、裁判のとき立て板に水のように、アメリカに対して非の打ち所のない批判をやっていく。この計画の理由を、米英の動きと絡めて理路整然と述べていく。こいつはどうもできない、といって釈放されます。そして世界最終戦争論という戦争論を書く。事件の内容としては、3年前1928年の張作霖爆殺事件と非常に似ていますが、違う事件です。

しかしこれは、もともと内閣が命令したものではなかったから、この総理大臣若槻礼次郎は不拡大方針をだします。これ以上戦争を拡大するな、という。しかし、黙っていろ、オレたちはやるんだ、そういって軍部は独走する。そして満州を占領していきます。翌年1932年には満州国という中国とは別の国を満州につくっていく。こうやって日本は、軍部と内閣が別々の動きをしていくようになります。なかなか国としての統率が取れない。そういう状況の中で、国民はどっちを支持していくか。失敗続きの政党政治家は人気がありません。国民は軍部を支持していく。よく軍部が国民の反対を無視して戦争に突入していった、と勘違いする人がいますが、そうではありません。近代国家で国民の反対を押し切って戦争できる国はありません。


では国民が軍部を支持する流れをつくったのは何か。最初に何が軍部を支持したか。これがマスコミです。テレビはまだ無いから、新聞やラジオです。そこから世論が軍部支持に傾いていく。戦後になって、新聞社によっては、さかんに自分たちが平和の使者みたいなことをいってますけど、そういうマスコミこそ、この時代に一番軍部を支持しています。

ここで事件をまとめると、1928年は張作霖爆殺事件です。鉄道爆破事件です。別名満州某重大事件です。3年後の1931年は柳条湖事件です。これも鉄道爆破事件です。そこから軍事行動が広がっていきます。これが満州事変です。
実質的に、日本の戦争を長く取ると、日本の戦争はここから始まっている。この年から1945年の終戦までを十五年戦争とも言います。日本はアメリカではなく、中国と戦っていきます。


【十月事件】 独走しようとする軍部の動きも強まってきます。柳条湖事件の翌月1931.10月には、またクーデター計画が発覚します。これを十月事件といいます。これも陸軍内部の秘密結社桜会のクーデター計画です。しかしこれも失敗です。合法的にやっていてもラチはあかんから、自分たちの推す首相を立てて国家を改革していこうという計画です。
これで桜会のクーデター計画は2回続けて失敗した。それは計画が大きすぎるから外部に漏れるんだ、という反省が生まれる。もっとオレたちだけで秘密裏にやろう。そういう動きが若い青年将校たちの間に生まれてきます。

彼ら青年将校には地方出身者が多いです。このころの地方経済はメタメタです。とくに東北は貧しくて、貧しい農家の娘さんたちは、女郎屋というのはわかるかな。女郎屋に売り飛ばされるんです。この時代には、合法的な商売があって、女を買って女郎屋に売り飛ばす商売、これを女衒(ぜげん)というんですけど、貧乏な家は足元を見られて、100万円の娘が、50万で買ってやろうか、と買い叩かれる。しかしイヤと言えない。明日の生活にも困っているから。それを見るに見かねて、うちは100万で買います、相談ください、といって、村役場が張り紙を出したりする。役場がですよ。そういう時代です。何も知らずに見たら、日本の役場はなんと非人道的な事をしたか、というかも知れないけど、そうじゃないんです。そのくらいの悲惨さが地方にあるわけです。このような地方の惨状を知っている人が青年将校には多い。


(昭和恐慌時の山形県伊佐沢村の張り紙)


もう一つ、こういうことを知っていた方がいいのは、いま韓国との間で政治問題化している従軍慰安婦問題というのは、この延長線上にある問題です。この話は難しいですね。しかし、軍隊に若い娘さんが慰安に行くというのは、日本女性にだってあるんです。いいとは言わないけど。


軍隊の司令官が、血気盛んな独身男、20歳前後のカッカした若い兵隊たちを統率するときに、一番悩ましいのは・・・・・・これもあんまり言えないけど・・・・・・性処理の問題です。どうやって、カッカきている男たちをおさめるか。明日死ぬかもしれない死の不安と向き合っている若い兵隊は時として自分が抑えられなくなる。人は変なもので、死の不安の中でさえ、逆に欲求は高まるみたいです。極限状態の中ではそういうことが起こる。それをどうやって押さえるか。これを間違うと、兵隊が暴動おこしたりする。だから司令官はこれにものすごく頭を悩まします。これはどこの国の軍隊でもそうです。明日をも知れぬ命のなかで、それをなだめるというのは多くの国の軍隊が行ってきたことです。アメリカのマリリン・モンローだって、あの大女優でさえ、ベトナム戦争の時には歌を唄いに慰問に行ったんです。そしてみんなワーワー、ピーピーいいながら、大喜びで歓声を上げる。それで発散させるわけです。これは本当に悩ましい問題です。

若槻礼次郎内閣は、関東軍の暴走をめぐる閣内不一致で1931.12月に総辞職します。




【犬養毅内閣】(1931.12~32.5)
ここで与党が変わる。今までは民政党だったけれども、政友会に変わります。新しい首相が犬養毅です。1931.12月からです。犬養毅は第二次護憲運動のときは革新倶楽部の党首でしたが、1925年に革新倶楽部は立憲政友会に合流し、立憲政友会の総裁として首相になります。だから彼はもともとは大隈重信の立憲改進党系の人です。政党系図で確認してください。


【金輸出再禁止】 まず前年の金解禁、これは失敗だった。犬養内閣は、早くこれを止めないといけない。内閣が成立するとすぐ1931.12月に金輸出再禁止を行う。再度、金本位制を停止します。
これを行ったのは総理大臣経験者の高橋是清です。この人が大蔵大臣になる。この人の腕の見せどころは総理大臣としてではなく、大蔵大臣としてここで腕を振るいます。
これは、ちょっと理屈がいるから次で説明しますが、一番簡単にいうと、お金を印刷するんです。景気が悪い時には、とにかくお金の量を増やすということです。ここらへんは、今のアベノミクスと似ています。でもこれはアベノミクスに似ているのではなく、アベノミクスがこの時代の経済政策に似ているのです。それは今の日本の経済状況が、長引く不況の中で、この時代と似ているとも考えられるということです。


【第一次上海事変】 満州事変が起きた柳条湖は中国の北方にありますが、その3ヶ月後の1932.1月、そこからずっと南の上海の共同租界周辺で、日本人僧侶の殺害をきっかけに、日中両軍が衝突します。これを第一次上海事変といいます。


【満州国建国】 その2ヶ月後の1932.3月、満州では、この満州を中国と切り離して、満州国を建てます。
その皇帝には、20年前に滅んだ清朝の最後の皇帝をたてます。ラストエンペラーという映画にもなった。当時の宣統帝溥儀は子供だったけれども、20年経って大人になっている。このもと清朝の皇帝を立てる。清朝の故郷はこの満州です。しかし実権は日本にある。日本は満州への支配を強めます。
これは犬養が考えたことではなくて、関東軍の行動です。犬養は、イヤこれは国際関係が悪くなる、と思って渋るんです。しかし国民は、もう政治家の方を向いていない。


【血盟団事件】 民間の血気はやる人たちの中では、暗殺グループが出てくる。これを血盟団という。そして満州国ができたのと同じ月の1932.3月に暗殺事件が起こる。これが血盟団事件です。井上日召という人が中心です。本業はお坊さんです。お坊さんさえ腹を立てた。1人で1人ずつ有力政治家を殺していこうとする。まず経済政策で失敗した井上準之助、この人は金解禁をやったときの大蔵大臣です。そして政党と結びついていた三井財閥の団琢磨を暗殺する。


【五・一五事件】 血盟団事件の2ヶ月後、残るは総理大臣だ、これはオレたちが殺る、と軍部の将校が決起します。海軍のエリート軍人が決起する。昭和7年、1932年の5月15日、これが五・一五事件です。海軍の青年将校による暗殺事件です。将校というのはエリート軍人です。首相の犬養毅を暗殺する。首相官邸に乗り込んで拳銃を向ける。犬養が「話せばわかる」と言うと、「問答無用」と言ってバーンと撃つ。首相犬養毅暗殺です。「話せばわかる、問答無用」というのが流行り言葉みたいになる。
これで犬養毅内閣が終わっただけではなく、政党政治が終わります。政党政治は敗戦まで二度と復活しない。大正期のような政党政治を望む声は出てきません。国民が政党政治に顔を背けていたんです。


(政党系図)




【内閣覚え方】 「カカア ワカッタ ハワイ
カ   加藤高明内閣①
カア  加藤高明内閣②
ワカッ 若槻礼次郎内閣①
タ   田中義一内閣
ハ   浜口雄幸内閣
ワ   若槻礼次郎内閣②
イ   犬養毅内閣






【高橋財政】
【金輸出再禁止】
 犬養毅は殺されても犬養がとった経済政策は続いていく。高橋是清の経済政策です。これを彼の名前をとって高橋財政という。基本は金輸出再禁止です。つまり金本位制の停止です。
通貨制度で失敗すると、戦争で日本人の何百万人が死ぬことにつながっていくんです。日本は通貨制度で失敗したんです。1929年の世界大恐慌の対応に失敗したんですよ。
そこで登場したのが大蔵大臣の高橋是清の政策です。これは犬養内閣からはじまる。犬養は殺された。しかし、高橋是清は、次の斉藤内閣、その次の岡田内閣と約6年間、大蔵大臣を務めて、一貫してこれをやっていく。
ここで高橋は金本位制度を停止しますが、これが今の管理通貨制度です。今の日本もこの制度です。
まず金本位制を停止することによって、円を下げるんです。円を下げて、つまり日本の製品を安くして、ヨーロッパの高関税の障壁を飛び越えて、輸出を増やそうとする。
実は戦後1980年代以降の中国がやったことはこれです。中国の人民元は、10分の1まで安くなる。だから1990年代から日本に百円ショップができて、その製品のほとんどはメイドインチャイナです。

ただこのとき三井財閥は、円が安くなるということは逆にドルが高くなることですから、それを見込んでドルを買っておく。そしてドルが高くなったところで売るわけです。
これは、かなり日本に損害を与える。それで三井は批判されますが、その三井とつるんでいるのが立憲政友会なんです。政党人気はますます落ちる。何かやっていることが、チグハグです。

しかし景気自体はこれで伸びる。低迷していた日本の輸出が、息を吹き返す。特に綿織物の輸出では、イギリスを抜いて世界一位になっていく。
ヨーロッパではイギリスも、他国から輸入したくないんです。高関税政策でブロック経済をとっている。しかしその壁を乗り越えて日本の安い綿織物が入ってくるわけだから、日本はとんでもないことをしている、と批判する。しかしこれはどうでしょうか。金本位制をはずれると為替は変動しますし、為替が低下して自由競争に任せるのは、ある意味で資本主義のルールなんです。


それにもかかわらず、日本に対する批判がおきて、ソーシャルダンピングだ、社会的な安売り、不法な商売だ、と日本を非難しはじめる。イギリスは、日本はとんでもない国だ、と言いはじめる。そこでイギリスは、1932年にカナダでオタワ会議を開いて、ますますブロック経済を強化する。イギリスは植民地をいっぱい持っています。このカナダもイギリスの植民地だったところです。世界最大の植民地帝国がイギリスですから大きなブロック経済圏をつくることができる。しかし日本は、そういう植民地を持っていない。かろうじて満州国を保護国化したばかりです。
だから日本は、このあと満州だけは手放せない。満州は日本の生命線、という言葉で守ろうとしていく。イギリスとやっていることは変わらないんだ、植民地持っているからイギリスは生きていけるんでしょう、だったら日本だって植民地必要なことは分かるよね、という。しかしイギリスは、イヤ分からない、というんです。これどっちが正しいんですかね。とにかくここで、イギリスやアメリカとの関係はますます悪くなる。

ここで1929年の世界大恐慌からの経済の流れをちょっとまとめます。
その直後、1930年に金解禁を行った。これは失敗した。大蔵大臣井上準之助、首相は浜口雄幸です。それで日本は昭和恐慌に陥った。首相の浜口雄幸はバーンと打たれた。暗殺未遂です。しかし次の年に死んだ。

そして首相は、犬養毅に変わった。大蔵大臣は高橋是清になった。この人が急いで金本位制を停止した。これが金輸出再禁止です。これで日本は経済を回復した。

これを政党で見ると、昭和になってからの政党政治の中心は立憲民政党中心だった。協調外交だった。アメリカに、ハイわかりましたという。イギリスにも逆らわない。
これに対して政友会、この犬養内閣は強硬外交をとる。アメリカ、イギリスに対して、良い悪いをはっきり言う。イエスも言うし、ノーとも言う。特に経済面ではそうです。外交面でも結果的に、満州支配を強化していった。

軍部もこれに賛成し、景気を上げるために軍部も協力する。また軍部にも政府は協力する。それで高橋財政の間に、軍事費も増大していった。そのために政府は借金もした。公債を発行した。それを日本銀行に買ってもらって、日本銀行からお金をもらう。しかしこれ、いつまでもやれるわけじゃない。のちのことですが、この政策はここらへんが限界だから、政策を転じようとする。すると軍事予算が少なくなるからこれに軍部は反発するようになる。このあと5年後です。そこでこの高橋是清は暗殺される。これが二・二六事件、1936年です。これは先の流れです。


【重化学工業発達】 ただこの時には景気が回復する。その回復した証拠として恩恵を受けた会社が、日本最大の製鉄会社です。これを日本製鉄会社という。明治時代は八幡製鉄所といっていた。
今はこれは戦後、新日本製鉄になって、それが数年前に住友金属と合併し、今は新日鉄住金となった。今も日本最大の製鉄会社であることに変わりありません。

それから1935年には、日本は工業国になった。しかしまだ軽工業中心であったものが、重工業がその生産高を抜く。
昭和になって、新たに急速に成長したのが日産です。まだ車のメーカーじゃないけど、これが今の日産です。これは国外に進出して急成長していく。満州に進出していく。満州重工業になっていく、とこういうことです。
それからあと、日窒というのもあります。日本窒素肥料という。これも朝鮮で経営を拡大して、戦後は水俣病を発生する。今はサランラップとかをつくっている。旭化成です。


こういう新興財閥は、旧財閥ぎらいの軍部が・・・・・・旧財閥は政党と結びついているから・・・・・・旧財閥に頼らずに、新しい企業家を育てていこうという方針とも一致している。
しかしまだポイントは隠れて見えません。このとき日本の貿易はどこに依存しているか。アメリカに依存してるんです。肝心な石油は、もろにアメリカに依存しているという状況があります。これを、あと8年後の1939年から、一方的にアメリカが売らなくてもいいんだよ、と言いはじめていく。そういう流れをちょっと念頭においてください。
これで終わります。

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