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「授業でいえない世界史」 35話 近代 イギリス、フランス、イタリア(19C後半)

2019-05-05 07:00:00 | 旧世界史11 18C後半~
※この記事の更新は、「カテゴリー(新世界史1~15)」の記事で行っています。


では、19世紀後半のイギリスとフランスです。

【イギリス】
【第二次産業革命】 第一次産業革命は1700年代の後半です。それから100年経って1860年代になると、産業革命が別のバージョンに入っていく。これを第二次産業革命といいます。ここまで言ったと思います。

 これにナンバーワン国家イギリスが手遅れはじめるんです。イギリスは焦るんです。結論いうと、焦って何を狙うか。これが植民地なんです。焦ったぶん、植民地を早く取ろうとなっていく。

※ イギリスは、1880年、工業生産のシェアでアメリカに1位の座を奪われ、20世紀に入るとドイツにも抜かれてきます。(宇山卓栄 経済)

 その第二次産業革命の中身というのは重化学工業です。それまでは綿だった。たかが綿、されど綿です。 もう一つ言うと、お茶、中国茶です。ぼろ茶だったから、それに何を入れようとするか。そこが日本人にない発想です。お茶に砂糖入れて飲もうとする。お茶に砂糖を入れて、これが紅茶になる。その砂糖はアメリカの黒人奴隷に、サトウキビ栽培をさせている。そういうのが第一次産業革命だった。
 それが第二次産業革命になると、武器・弾薬です。まずは鉄です。造船、鉄道、機関車、大砲、そういうものが第二次産業革命です。

  ここで急速に成長していくのがアメリカです。1870年代からはイギリスの植民地であったアメリカが急速に伸びていって、19世紀の終わりにはイギリスを追い越すまでになる。その中心企業がロックフェラーです。世界最大の石油会社になる。石油、ガソリンなど、ロックフェラーは石油です。歴史的にはスタンダード石油というのを作るんですが、あんまり巨大独占企業になったため分割させられて、今はエクソン・モービルというこれも世界最大の石油会社になっている。

※ 1875年、ロスチャイルド財閥は合衆国での最重要戦略パートナーであるクーン・ローブ商会のジェイコブ・シフをクリーブランドに派遣し、ロックフェラーの拡張計画を指導した。当時、ロスチャイルド財閥はモルガン銀行とクーン・ローブ商会を通じて、合衆国鉄道の95%を傘下に収めていたため、シフはサウス・インプルーブメント社というダミー会社を使い、非常に低価格でスタンダードオイル社の輸送を請け負った。・・・ロックフェラーは「石油王」となった。(宋鴻兵)

 その他には、金融業ではモルガン財閥。鉄はカーネギー、これはUSスティールといって今でもアメリカにある製鉄会社です。トランプ大統領はこれが大好きです。トランプが保護しようとしているのは、こういうアメリカの産業です。
 また鉄道事業はハリマン。まだ飛行機は飛んでません。長距離移動で早いのはまず鉄道です。自動車はあと20~30年経たないと出てこない。

 1873年になるとまた、アメリカで世界恐慌が起こる。・・・実はこの間にアメリカで南北戦争が起こってますが・・・この恐慌の原因は物がつくれなくなるというよりも、通貨制度がけっこう影響するんです。
 通貨制度をちょっといじって、このくらいはよかろうと思ったのが失敗すると経済全体がガクッと落ちる。銀貨をやめようということで・・・ここらへんは教科書外ですけど・・・これで恐慌が始まった。

※ 1873年、アメリカは「1873年の悪法」と呼ばれる「貨幣鋳造法」を成立させた。この法案は銀貨を流通市場から排除し、金貨を唯一の流通貨幣にするものであり、すでに陥っていた貨幣の流通不足にさらに追い打ちをかけた。
年々深鉱され増えていく銀鉱に比べ、金鉱はその探査も金の生産量も少なかったため、彼ら国際銀行は金鉱の採掘を完全に支配することができた。
1871年から、ドイツ、イギリス、オランダ、オーストリア、スカンジナビアと相次いで銀貨を廃止させた。各国の貨幣流通量は大幅に減少し、後に20年も続くヨーロッパ大不況(1873年~96年)へとのめり込んでいった。
アメリカでは「通貨緊縮法」(66年)と「貨幣鋳造法」(73年)が経済を衰退させた。(宋鴻兵)

※ 1870年代、世界の通貨が金本位制に変わる。ドイツは1871年、フランスは1878年、イタリアは1881年、ロシアは1897年。各国の通貨を自由に兌換する必要があり、各国に金本位制を採用させる必要があった。ロスチャイルド家が金市場を独占していた。(宋鴻兵)

※ 1873年から1877年にかけて、ロスチャイルド・ロンドン銀行はウォールストリートの銀行家たちとともに、2億6700ドルのアメリカ国債を引き受けていた。(宋鴻兵)


 1873年に2度目の恐慌・・・最大の恐慌は約50年後の1929年の世界恐慌ですが・・こういうふうに恐慌は何回も起こる。20年に一度ぐらい。これは今もそうです。最近起こったのは2008年のリーマン・ショックだった。アメリカ第3位の証券会社が倒産した。倒産したら潰れて終わりかというと、そのぶん借金を全部ヨーロッパに転売していたんです。それでヨーロッパが苦しみ世界全体が不況になった。 


  この時代は工業生産力が伸びた割には、その富を一部の金持ちたちが一人占めしてしまって、貧乏人たちにお金は行き渡らないから、購買力がなくて売れないんです。ものを作ればいいという時代は終わったんです。作ったら売らないといけないけど、しかし売れない。買う人がいないんですよ。
 そのようにして物が余ると、これは今の社会といっしょで、物が余ると、夕方6時過ぎのスーパーの食料品売り場は、300円の弁当を270円で売りますとなる。値段が下がるんです。物価が下落するんです。

※ イギリスは19世紀後半以降、慢性的なデフレ、低金利化、出生率の低下の三重苦に苦しめられます。当時のイギリスにおいて、低金利の貯蓄や国内投資を避け、高金利の新興国・植民地への対外投資へと向かう動きが活発でした。・・・特にイギリスは植民地領で積極的に起債をして、本国の投資マネーを植民地に呼び込みました。カナダ債とインド債が人気でした。・・・イギリスは自国の産業輸出によって稼ぐ国ではなく、対外資本投資で稼ぐ金利生活者の国家となります。(宇山卓栄 経済)

 それでも売れないと、強制的にでも売る市場を求めていく。これが植民地です。植民地獲得は早い者勝ちです。狙われたのは一番弱いアフリカです。ほとんど無法地帯となり、力のみで奪われていく。早い者勝ちです。だから植民地を巡る戦いになっていく。
 こういうことが1890年代から本格化します。これが何につながるか。第一次世界大戦です。そこで何百万人と死ぬ。果てしない殺し合いが始まります。
 こういう時代を帝国主義という。自分の国の外に領地を広げ、他の民族を支配していく。これをやったのがイギリスです。中心はイギリスです。こういうのを帝国という。そんな悪いことしたらダメじゃないかとイギリス国民は思ったか。逆にイギリス人は・・・これで景気が良くなるから・・・喜んだ。イギリス人は、帝国主義、いいんじゃない、という。売れて儲かるならそれがいいわけです。 


  そのイギリスでは、1870年代に二大政党制がほぼ完成する。1つは今でもある保守党です。もう一つは今は弱小政党になっている自由党です。ちなみに今は自由党の代わりに労働党です。これはまた別の政党です。100年前は保守党と自由党です。この中心人物が、保守党ディズレーリです。この人はユダヤ人です。後ろについていてるのはユダヤ人の大金持ち、ロスチャイルド家です。困った時にはここに、お金をちょっと貸してくださいという。教科書にもありますけど、これで買ったったのがエジプトのスエズ運河です。
 これに対して自由党の中心人物はグラッドストーンといいます。このころまでは、軍事面でも経済面でもイギリスが断トツ強いです。だから同盟を組む必要がない。イギリス人はそれを誇らしく思っている。オレは1人でも何でもできるんだ。これを「光栄ある孤立」といっている。
 ただこの先30年のことをいうと、これが保てなくなってイギリスも同盟を組み出す。同盟を組むのはうまい。同盟を組んでドイツを孤立させ戦争する。これが第一次世界大戦です。

※ 1874年、中国清朝政府が初めて海外から融資を受ける。香港上海銀行とジャーディン・マセソン商会を頼る。
極東の利益はイギリスの独占状態にあり、それに対抗していたのがフランスとロシアであった。(宋鴻兵)



【植民地合戦】 ではどのような植民地をつくっていくか。まずインドとエジプトですが、その他にもいっぱい植民地を持っています。まず1882年エジプトを占領する。エジプトという国は、それまで独立国ではなくて、オスマン帝国の領土だった。イギリスは、そのオスマン帝国からエジプトを実質的に奪い、植民地化してきます。

※ イギリスは、18世紀にインドを植民地化し、19世紀にはアフリカと東南アジアをも植民地化し、アヘン戦争により中国を屈服させて半植民地化します。(宇山卓栄 経済)

 6年後、1888年の東南アジアのボルネオ島というのは、今のインドネシアです。そこで何が出たか。石油が出るんです。そこを即取ります。その地点いまは、インドネシアと切り離された小さな国になっている。小さいですががっぽりお金持ちです。ボルネオ島にある今のブルネイです。ここを植民地化する。

 東南アジアの続きで、今のマレーシアです。まず植民地として1895年、英領にする。これはイギリス領ということです。英領マレーになる。

 それから100年後に出てくるけれども、イラクの先端のペルシャ湾のところに、クウェートという小さな国があります。ここにも石油が出た。1899年です。イギリスは即取ります。ここをイラクから切り離して保護国化してクウェートにする。 保護国化というのは外交権を奪って、ほぼ植民地にすることです。植民地のちょっと軽い植民地、こういうのを保護国という。こういうふうに巨大資本と政治が結託しているような状態になる。
 
▼議会を支配する独占資本


【議会を支配する独占資本の図】 ここにあるのが、国会の様子です。うしろの腹のふくれた金持ちたちはオプションです。漫画家が想像して描いている。漫画家というのはいいですね。絵が上手だと。これ分からない人は分からない。分かる人はハハーとわかる。漫画家というのは、有名な政治家の似顔絵書いて、名前はないんです。名前書くと名誉毀損になるから。
 例えばトランプの似顔絵を描いて何か悪いことしてるところを書いても、似顔絵を見ただけでは、トランプだとは書いてないから、言い逃れできる。 ここに名前を書くと裁判になったりするんです。だから似顔絵というのは便利なんです。そういう意味ですよ。なぜこういうのを似顔絵で描くかというのは。名前を書いてしまうと名誉毀損で負ける。これは書いただけですよ、誰ですか、トランプじゃないか、いや似ているだけじゃないの、勘違いじゃないですか、違いますよ。架空の人ですよ、と言えば罪にならない。これは新聞がよくやってる。似顔絵で批評というのは。だからネットでも、実名でやったらダメですよ。実名でやると名誉毀損になる。だからといって似顔絵を描けと勧めてるわけじゃないけど、まあそういう風刺画です。

 実際はこれは国会の様子なんです。国会議員には選挙がある。選挙にお金がかかったらいけないけど、実際問題としてお金がかかるんです。貸してという。後ろは資本家です。大企業家です。お金貸したら、俺の言うことを聞いてくれるか。それで当選する。持ちつ持たれつの関係です。政治家の裏に資本家がいる。こういう構図が早くも成り立っている。
 現在とは違う、ではないですよ。現在も言わないだけです。政治とカネの問題はずっと続いています。 資本主義というのは、貧しい人を豊かにするという発想は残念ながらないです。儲けたい人が儲けなさいという発想なんです。儲けた金で貧しい人を幸せにしなさいという発想はない。だから富が偏在していくんです。
 しかしイスラームにはそれがある。イスラーム教には、貧しい人たちに喜んで寄付をしなさいという喜捨という教えがある。そこらへんがキリスト教と違うところです。もともとはあったんですけど、16世紀の宗教改革期に変わってしまったんです。


【エジプトの植民地化】 ではイギリスの植民地。まずエジプトです。1869年。ここのスエズ運河は、ユーラシア大陸とアフリカ大陸の間です。スエズ運河というのは・・・イギリスが行きたいのはインドなんです・・・アフリカ大陸を回っていくと半年かかるけど、ここを通れば2ヶ月で行ける。掘ろうじゃないか、ここに運河を。これが世界史の1つの的になる。これがスエズ運河です。
 これがイギリスのものになるけれども、掘ったのは実はフランスです。レセップスというフランスの外交官です。フランスがエジプトを手なずけて特許を取り、エジプトと共同で掘ったんです。しかしエジプトは莫大な金をつぎ込んでお金が足りなくなる。
 それで6年後の1875年に、イギリスが、お金が足らなかったらオレがその会社の株を買おう、という。 この時の首相が、さっき言った保守党のディズレーリです。これには莫大なお金がいる。イギリスにはそれを買うお金がなかった。それで、ロスチャイルドに頼む。貸してください、ああいいよ、で即決です。これ以上言ったらいけないけど、「では担保は」とロスチャイルドに聞かれると「イギリス国家です」とディズレーリは答えたという。不気味な話ですね。そういう裏話がある。
 イギリスが欲しかったのは、第一にインドを手中におさめたい。1857年のシパーヒーの反乱以降、イギリスはインドへの本格的な直接統治を始めています。そこに半分の時間で行ける。目指すはインドです。 このスエズ運河の利権を手に入れることによって、イギリスはエジプトへの介入を強めていく。実質的にエジプト政府はイギリスのものになっていく。エジプトにもお金がないからです。
 この背景にはイギリスの軍事力があります。軍事力がないと、日本はいまアメリカにお金を貸しているけど、しかしアメリカのほうが軍事力が断然強い。だから軍事力がないと、貸したお金を返せと言えない。お金よりも、最終的には軍事力ですね。戦争しなさいと言っているんわけじゃないけれども、軍事力というのはやっぱりすごいもんです。軍事力とお金があれば、鬼に金棒です。

 しかし、これでいいのか、というエジプト人もいる。こんなことを白人にされていいのか、それで立ち上がって反乱を起こした。1881年です。アラービー・パシャという人、アラービー・パシャの乱です。エジプト人のエジプトを作ろう、今はイギリス人のエジプトになっている。しかしイギリスは強力な軍隊を持っているから、いとも簡単に鎮圧してしまう。軍事力というのはすごいものです。そして1882年には、軍事支配を受けていく。もうモノが言えない。イギリスはここを押さえると、すぐ目指すインドに行ける。


【インドの植民地化】 エジプトを手に入れて、インド支配が本格化していく。このとき実は、イギリスは工業生産力が低下して焦ってる。だから強制的にでも売れるところを求めています。
 スエズ運河株を買収した2年後の1877年には、イギリスのヴィクトリア女王がインド人の王様を兼ねて、インド帝国を成立させます。スエズ運河で、ここにすぐ行けるようになった。今から思うと船で時間かかるけど、それ以前アフリカの南端を回って行っていたのと比べると半分以下の時間ですぐに行ける。イギリスの王様はヴィクトリア女王です。約70年間、女王の地位にある。この時代をヴィクトリア時代といいます。

 こういう形で支配された後にインド人も、これでいいのか・・・反乱までは起こさなかったけれども・・・イヤだなと思う。インドでのグループで、インド国民会議派というのが1885年にできる。最初は、イギリス人が怖かったからイギリス人に協力しますと言っていたけれども、あんまりイギリス人が無理難題をふっかけてくるから、だんだんと、反英つまりイギリス反対の立場に変化していきます。10年、20年、30年のうちに反英の気分が高まって、これが独立運動に発展していく。しかしあと50年以上、イギリスは独立させない。インドの独立は、日本がアメリカの占領下から独立した時期と変わりません。第二次世界大戦後です。



【フランス】
【フランス第二帝政】 ではイギリスに負けて、ナンバーツーの地位にあったフランスです。結論いうと、まずドイツに抜かれる。フランス革命のあとのフランスはけっこう混乱しています。
 第二帝政時代になる。1852年から。王様になったのは・・・ナポレオン1世の子供は貴族として若くして死亡・・・ナポレオン1世の甥っ子であるルイ・ナポレオンが国民選挙で大統領になる。しかし大統領よりももっと上に登りたい。皇帝になりたい。それで国民投票で皇帝になって、1852年にはナポレオン3世と名乗る。イギリスに負けまいと、戦争好きです。しょっちゅう戦争する。

 まず東南アジアのベトナムです。ベトナムでは地形的に、インドと中国に挟まれている。中国はシナです。そのインドとシナの中間にあるからインドシナという。1858年、そこに出兵する。今のベトナムあたり、ついでカンボジアも支配する。こうやってまず植民地の第一歩をつくる。

 しかし急速に、追い上げてくるドイツ。これとの戦争を1870年に始める。ドイツはプロシアまたはプロイセン、フランスは仏です。これを普仏戦争という。普はプロシアです。まだドイツという国はない。今からできてくる。フランスが負けた。ナポレオン3世は捕らわれる。助けてください。それなら辞めろ、ハイ辞めます。これでフランスの第二帝政は崩壊します。

※ 普墺戦争と普仏戦争はロスチャイルド家によって演出された。(太田)

 このあとフランスは混乱する。市民がなんで負けるか、戦争に負けると不満が爆発する。戦争に負けて泣いた日本人との違いです。1871年、敗戦と連続して起こります。パリで起こった暴動だから、パリ・コミューンといいます。王がいない国、そればかりではなくて市民が国家管理をしていこうという一種の社会主義政権です。でも一瞬だけです。すぐドイツの支援を受けたフランス軍によって潰されますけど。


【フランス第三共和政】 その後は王様のいない政治が続きます。パリ・コミューンの時期を除いて1870年からです。王がいない政治を共和制といいます。これ3回目ですから第三共和政という。フランス革命からまだ100年も経ってないのに、帝政になったり、共和制になったり、帝政になったり、こんなコロコロ変わるということは、フランスは混乱しているということです。

※ フランスの第3共和制を支持した主要勢力は、ロスチャイルド家をはじめとするユダヤ銀行家たちであった。(宋鴻兵)

 しかし、この間もイギリスに負けまいと植民地にフランスも乗り出していく。さっき言ったナポレオン3世時代にはすでにインドシナを保護国化し、半分植民地化している。

 1873年には世界恐慌が起こって、過剰生産になり物が売れないから、力ずくでも売る場所つまり市場を求める。これが植民地なんです。早い者勝ちで植民地合戦をしていく。
 フランスは東南アジアを狙う。ベトナムまで広げる。これが1883年。実はベトナムというのは、親分がいて、中国の子分だった。オレの子分に何をするか、と中国が乗り出していく。この時の中国は清朝です。しかし清はフランスと戦って負ける。ベトナムはフランスのものになる。清は、アヘン戦争ではイギリスに負ける。ベトナムではフランスに負ける。 今度2回目、1884年。今度は勝つぞ、また大規模な戦争を起こす。清仏戦争です。ちなみにこのとき日本は明治維新になって20年ぐらい経っているときです。
 清はフランスに勝てない、ベトナムを手放さざるを得ない。完璧にフランスのものになる。フランス植民地です。フランス資本がかなり入っている。ベトナム、カンボジアはフランスの植民地です。それを仏領インドシナという言い方をする。フランス領インドシナのことです。1887年の成立です。さらにカンボジアの北方まで手を広げる。ここらへんはラオスという国がある。そこまでフランスのものになる。今でいうと、ベトナム、カンボジア、ラオスがフランスのものになる。

 弱いところに進出していくのはイギリスもフランスもおなじです。 ただフランスでは政治が安定してなくて、1つの事件が起こる。この時代、フランス国内でユダヤ人が非常に嫌われだす。その中でもあるエリート軍人として出世していった軍人がフランスにいた。ドレフュスという人です。しかし、おまえユダヤ人だろう、ドイツとフランスは仲が悪くて、おまえ探偵じゃないか、ドイツのスパイじゃないか、とんでもないですよ、証拠不十分のまま降格されていく。実はスパイでも何でもなかった。そういう冤罪事件が起こっていきます。1894年です。


【オランダ】 ちょっと落としがたいのはオランダです。オランダは東南アジアで最大の人口を持つところを征服して植民地にしています。インドネシアです。人口2億、日本の倍です。ここはオランダ領です。このオランダのインドネシア支配には500年の歴史があります。
 このあとイタリアとドイツを見ていきます。



【イタリア】
【イタリア統一】 ではそのイタリアです。イタリアもまだイタリアという国はありません。ローマ帝国以来、ここには中小国家ばかりで、まとまった国がなかった。フランス革命以後、1800年代の初めに国を作ろうとした。これがブラックなんです。秘密結社ができる。炭焼き党という。カルボナリ党という。スパゲッティーの名にカルボナーラというのがある。麺を炭で焼いたという意味です。それがカルボナーラですが、そのカリボナリ党です。

 こういう裏の世界の秘密結社から独立運動を始めた。秘密結社だから詳しくわからない。わからないんだけれども、裏で活動していたものの影響を受けて、1831年に表の政治結社としてできたのが、青年イタリアという団体です。これを結成したのが、またこれもよくわからないマッツィーニという人です。残念ながら、若い時何をしていたかよくわからないです。こういう人が運動の中心になっていく。ずっと何らかの秘密結社と繋がりがあったということです。秘密結社だから、詳しくは教科書に書いてない。

 一旦1849年に、瞬間的にローマ共和国というのを作るんだけれども、こんなの認めない、とフランスが介入する。内政干渉です。ヨーロッパの中でも強い国は弱い国を妨害する。

 しかしやっぱりつくらないといけないと言って、中心になるのは、今度はここです。この島、サルディニアという。これが中心になる。今でもここはイタリアですよ。この島が本土をまとめていく。サルディニア王国による統一です。首相はカブールという。彼は、負ける前のナポレオン3世と手を組んで、本土ロンバルディアという地方、ローマのちょっと北の方を手に入れる。
 だから北の方からサルディニアは統一していくんだけれど、そこにこんどは南側から統一しようという別働隊がいるんです。これがガリバルディという。この人も、秘密結社がらみでよくわからない。若いとき何をしていたのか。ただ真っ赤なシャツを着る。派手好きかというと、真っ白だったら血が目立つというんですね。真っ赤なシャツだったら、いくら血が流れても目立たない。だから赤にした。血みどろで戦うということです。赤シャツで血を隠すということです。そういう赤シャツ隊をつくる。彼は南イタリアを征服する。

 そして北と南で、北からはサルディニア、南からはガリバルディです。それでこの二つが戦争になるかというと、このガリバルディは脅されたか何なのか・・・話ができすぎているけど・・・あなたに差し上げますといって、サルディニア王に征服地を献上する。

※ 1860年にガリバルディがナポリを占拠した際には、イギリスのフリーメイソンの一団が彼を支援した。1861年のイタリア統一というフリーメイソンの蜂起は、イギリス秘密諜報部で計画され、資金提供されたものであり、イギリス外相パーマストンによって指揮されていた。(マリンズ)


 その瞬間にイタリア王国誕生です。これが1861年です。日本の明治維新が1868年だから、イタリアの統一国家はそんなに日本と変わらない。このあと言いますけど、 ドイツの統一はこの9年後、日本より2年あとです。このときの1860年のイタリアの領域はここまでです。1860年にはローマ教皇が反対して入っていないんです。ローマ教皇が入ってないのは痛い。ローマのシンボルだから。この赤の部分が1860年でのイタリア領土です。サルディニアがこれに入る。ここからイタリアが始まった。まだ国ができていないのが、次のドイツです。



【ドイツ】
【ドイツ統一】 ドイツ人は工業生産力はどんどん上げている。国よりも先に経済が発展する。国を作ろうという動きは50年前、1848年の三月革命というのが起こったんだけれども、うまくいかなかった。

 50年前に時間を戻せば、失敗したとはいえ、国家統一の動きは、フランクフルトというソーセージみたいな都市、これは逆ですよ、フランクフルトの名産がソーセージだったから、そのソーセージの名前がフランクフルトソーセージとして世界に知れ渡っています。立派なドイツの都市です。そこにフランクフルト国民議会ができて、統一ドイツを作ろうという運動をし始めるんです。しかし失敗して挫折した。その後、1857年には初の世界恐慌もアメリカからおきて、株が暴落しています。

 だから国を代表する議会ではなくて、それぞれの小さな王国が次の中心になっていく。その中心になる国がオーストリアではなくてプロイセンです。北にある主要な国家で・・・明治維新で言えば、薩摩藩みたいなものです・・・プロイセン、プロシアともいう。その首相がビスマルクです。伊藤博文のお師匠さんで、伊藤博文が理想とした人です。首相はこうあるべきだと。アメも与えるし、同時に軍隊の重要性も知っている。決めるのは最終的には軍事力だ。別に戦争を賛美しているわけではないけれど、実際それで決まっていく。

 まず1866年に同じドイツ人のオーストリアと戦う。これが普墺戦争です。そしてそれに勝つ。これでドイツ統一の主導権をプロシアが握る。負けたオーストリアは排除される。どっちもドイツ語をしゃべるドイツ人です。だから今もオーストリアはドイツから除外されて別の国になっている。でもどっちもドイツ民族です。しかしプロシアはそのオーストリアを除外して、1867年に北ドイツ連邦という小国の仲間をつくる。

 次には、西隣にある仲が悪い国、フランスと戦う。これがさっきやった1870年普仏戦争です。プロシアとフランスの戦いです。負けたのはのはフランスのナポレオン3世です。捕虜になって、おまえ皇帝を辞めろ。フランスの帝政は終わり、第三共和政に入っていきます。

※ 普墺戦争と普仏戦争は、ロスチャイルド家によって演出された。(太田)


 これでオーストリアに勝ち、フランスにも勝って、プロイセン中心にドイツをまとめる。これが1871年・・・明治維新の3年後でドイツが3年遅い・・・ドイツ帝国の成立です。

 ビスマルクが王様になったんではないです。彼はあくまで家来です。皇帝はまた別にいる。王の第一の家来がビスマルクという首相です。皇帝はヴィルヘルム1世という。この人はいい人ですが、孫になるとダメになる。そこまであと40年です。第一次世界大戦まで。
 余計なことをいうと、このドイツ帝国の国家成立の式典をどこでやったかというと、負けたフランスに乗り込んでいって、フランス王の別荘であったベルサイユ宮殿でドイツ帝国成立の式典を盛大にやるんです。フランス人にとっては、このやろーふざけるな、という感じです。ドイツ人なんか大嫌いだ、絶対仲間にならないぞ。これが第一次世界大戦にも結びついていく。
 敵陣のフランスに乗り込んでいって、ドイツ国家ができぞと式典をやる。すごいことです。その式典の場所が、負けたフランスのベルサイユ宮殿です。
 もう一つの負けたオーストリアは、反対の東側に勢力を伸ばします。このオーストリアはかつて神聖ローマ帝国の王家だったですね。

 これで終わります。ではまた。



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