人は情報の檻に囲まれている。
その情報の外側に出ることはできない。
外には、正しい情報が当たり前に流れているが、
情報の檻の中に安住している人間が、その外側の正しい情報に触れることはできない。
青空のもと、牧場で牛や馬が草を食む光景は平和そのものだが、彼らに自由がある訳ではない。
彼らが外の世界を知っている訳ではない。
彼らは、草を食んでいるうちは安全だが、それがいつまでも続く訳ではない。
そしてそのことを知らない。
彼らを生かすも殺すも、情報の柵で囲んでいる牧場主の気分次第だ。
彼らは一頭、また一頭と仲間がいなくなっても気にかけない。
自分とは無関係なことだと思っている。
変だと思っても、すぐに忘れてしまう。
自分にその番が回ってくるとは思ってもいない。
しかし、それは必ず自分に回ってくる。
それを知らないことが彼らにとっての幸せなのか。
今年に入って、情報の柵はどんどん高くなり、外の景色はますます見えにくくなっている。
多くの人がもがき苦しみはじめているが、その声もかき消されている。
そして同じ情報が何回も繰り返される。
このことはすでに50年も前から指摘されていた。
最後の仕上げ、ことは大詰めにさしかかっている。
仲間同士で情報を交換し合うしかない。
正しい情報が道のまん中を流れることはない。