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2020年のアメリカ大統領選以後はムチャクチャ

「授業でいえない世界史」 37話 近代 南北戦争とイスラムの衰退

2019-05-05 05:00:00 | 旧世界史11 18C後半~
※この記事の更新は、「カテゴリー(新世界史1~15)」の記事で行っています。


【北部と南部】 いま1850年代あたりです。場所はアメリカです。1800年代、ナポレオン戦争が終わった後のヨーロッパを中心に見ています。アメリカの前はロシアにいった。その前はドイツに行った。その前はフランスに行って、イタリアに行った。世界一周しないといけない。なかなか進まない。1800年代は。


 ここではアメリカのことです。今は世界帝国みたいなアメリカですけど、この時にはまだ新興国で、もとイギリスの植民地です。独立したものの北と南で利害の対立がある。向かうところは南北戦争です。これがどういう利害の対立かというところまで言いました。

 この時代に、今の二大政党制つまり共和党と民主党の原型ができます。ちなみに今の大統領はどっちですか。今のトランプ大統領は。政党の主張がわからんと、政治は分かりません。共和党です。では前のオバマ大統領はどっちですか。反対の民主党です。
 政治経済で言ったように、アメリカ人は時々、日本人にできないことをやる。大統領は共和党を選んで、議会では民主党を選ぶ。今もそうです。これが得意技です。わざと停滞させる。進むのを遅らせる。今もうアメリカは中身は二つという話があって、どっちに行くかわからないですね。日本政府も読めなかった。

 トランプが大統領選に勝ちましたが、安倍政権はもともとそう思ってなかった。ヒラリー・クリントンという女性候補が絶対勝つと信じていた。しかしトランプが勝った。安倍さんは真っ青です。それで外務省に、何をしてるんだ、おまえたちの情報なんか2度と信用しないぞ、と言ったという話がある。日本も今のアメリカを読めてないということです。

 この時にも、こういうふうに二つの利害の対立がある。これが北部と南部です。この時に自由貿易を主張しているイギリスは南部びいきです。南部は自由貿易を主張していますから。綿花の取引でイギリスと関係が深いのも南部です。
 向かうところは南北戦争ですけれども、これは何の対立か。表面的には奴隷州と自由州の対立ということになっています。奴隷州とは奴隷を認める南部の州、自由州とは奴隷を認めない北部の州です。これが表面なテーマになるんですが、実は本当のことをいうと、リンカンが奴隷解放宣言を出したのは、ヨーロッパを味方につけたかったからなんです。
 一番のメインは、自由貿易か保護貿易かの対立です。そのことはイギリスに近づくか距離を取るかということです。つまりイギリスとの関係をどうするかというのが一番の対立点です。
 
 ▼南部と北部の地域差

 それと同時にカリフォルニアまで領有して、今のアメリカの領土の形になって、太平洋が開けてくると、ペリーが日本にやってきたのが1853年です。本当に行きたかったのは中国なんです。このことは今も昔も変わりません。アメリカにとってメインは中国です。日本ではありません。
 その4年後の1857年には、初の世界恐慌が起きて、株が大暴落する。この時のアメリカのお札は、アメリカの各銀行が勝手に発行していたものです。今からは想像できないけれど、銀行がアメリカに1万6000銀行ぐらいあって、アメリカのお札つまり今のドル紙幣は一種類じゃない。銀行が勝手に、佐賀銀行券みたいな形で発行するから、7000種類もある。もう訳がわからない。福岡では福岡銀行券、長崎では長崎銀行券、みたいなものです。よくわからない複雑な世界です。経済も混乱している。

※ 1856年、アロー戦争    1857年、インド大反乱

※ 1857年、1870年、1907年と、国際銀行家たちは、アメリカ政府に私有中央銀行を設立させるため、3度にわたる不況を引き起こした。(宋鴻兵)

※ 1858年、イギリスでユダヤ人解放法が成立する。これによりユダヤ人が公職につけるようになる。ディズレーリがライオネル・ロスチャイルドを委員に加えることによって成立した。(コールマン)


【南北戦争】 そういう中で、1861年になると、北部と南部を分断する大戦争、南北戦争が起こる。ペリーが来てからアメリカがしばらく日本史にはでてこないのは、アメリカがこの戦争で分裂しそうになって、日本どころじゃなくなっているからです。イギリスは自由貿易をしたいから南部を支援する。もっと言えばイギリスは、今のような大きなアメリカを作って欲しくなかったという話もある。アメリカは小さな国に分かれていたほうがいい。
 この時ナンバーワン国家はアメリカではありません。イギリスです。アメリカがこれ以上大きくなったら、俺たちは追い越されるとイギリスは心配している。実際その通りになっていきますけど。
 この南部を支援する民主党の党首には、ヨーロッパのロスチャイルド家から派遣されたオーガスト・ベルモント1856年に就任しています。この人は・・・前にも言ったように・・・アメリカ第二銀行が廃止された翌年の1837年、21才の時にフランクフルトのロスチャイルド商会の代理人としてアメリカにやってきた人で、このオーガスト・ベルモントの奥さんであるキャロラインの父親が日本を開国させたペリー提督です。


 この時の大統領が共和党のリンカンです。彼は北部支持です。北部の利益を代表する。そうすると南部が腹を立てて、それなら独立するといって、一時別の国ができた。これをアメリカ連合国と言います。南部11州が連合したもので、南北戦争中の1861年から1865年まで存続します。
 だとするとこれはアメリカの内乱ではなく、正式な国と国との戦争です。この南部のアメリカ連合国を支援したのがイギリスです。金融面では、ヨーロッパの金融資本家であるロスチャイルドがついています。そして南部勢力の中心である民主党の党首が、約15年前の1837年にロスチャイルド商会の代理人としてアメリカにやってきたオーガスト・ベルモントなのです。アメリカが二つの国になり、北と南の別の国どうしが戦うのです。


※ ジョージ ・ピーボディーがアメリカの有価証券を大量に売り、価格を下落させた。その共同経営者の JP モルガンは、金をイギリスに郵送し、アメリカの金を涸渇させようとした。モルガンはアレクサンダー・ハミルトンの直系の子孫である。

※ リンカン大統領がイギリスとフランスによる南部支援への対応に苦慮しているとき、リンカンに援助の手を差し伸べたのはロシアのアレクサンドル2世でした。アレクサンドル2世はイギリスとフランスが南軍を支援するならば、それをロシアに対する宣戦布告とみなして、北軍側について参戦すると警告を発しました。アレクサンドル2世はリンカンと同じく、民間の中央銀行設立には応じず、1860年に国立の中央銀行を設立しました。南北戦争に際し、ロスチャイルド家が敵対していた北軍への支援の姿勢を明らかにしたアレクサンドル2世は、ロスチャイルド家などの国際金融資本家たちから恨まれることになったのです。アレクサンドル2世は1881年暗殺されました。(馬渕睦夫 「支配者の正体」)

 そして南北戦争が始まって2年後の1863年にリンカンが出したのが、奴隷解放宣言です。さっき言ったように、人道的に奴隷はかわいそうだから廃止しようではなく・・・これは言ってないけど・・・イギリスなどのヨーロッパではすでに奴隷制度はやめよう、人権の観点からこれはまずいぞということで、奴隷制度はいち早くヨーロッパが廃止していた。しかしアメリカは奴隷に産業の中心を背負わせているから、やめるわけにはいかなかった。
 その時にリンカーンが北と南で戦うなかで、ヨーロッパを味方につけようとして、ヨーロッパの風潮に合わせて奴隷解放を宣言したわけです。これによってヨーロッパの支持を得ようとした。北部に味方して欲しい。これが本当の狙いです。これが功を奏した。ヨーロッパを味方につけて、お金の力から言えば南部が強かったかも知れないけれど北部が勝った。この時アメリカの北部の工業はまだ弱いけど、北部が勝ったのです。


 もう一つは、戦争にはお金がかかるから、リンカンは銀行が勝手に発行していたお札を政府が発行するようにした。これを、緑のインクで刷っていたからグリーンバックスという。つまり政府紙幣を発行する。これで大砲とか鉄砲とか弾薬とかを買えるようになって北軍が勝った。これによりリンカンは通貨発行権を握ったのです。このころヨーロッパの金融資本家ロスチャイルドは、アメリカに中央銀行の設立を働きかけていましたが、リンカンのグリーンバックス発行はその動きを封じるものでした。

 しかし、戦争に勝ったその年の1865年リンカンは、劇場で劇を見ていたところで、後ろからバーンとやられて暗殺されます。犯人はジョン・ブースという役者で、彼も約10日後、農場の小屋に隠れていたところを殺され、秘密裏に埋葬されています。暗殺理由は分かりません。この政府紙幣の発行が関係している、という話しもある。謎です。


※ ジョン・ブースの持っていた暗号文の解読キーが、ユダ・ベンジャミンというロスチャイルドの親戚で、南部連邦の財務長官を務めたことのあるユダヤ人から発見された。(マリンズ)

※ 1865年、南北戦争に勝利した直後リンカン大統領はピストルで射殺されます。犯人はジョン・ウィルキス・ブースだとされていますが、最近ではブースは南部連合の財務長官であったユダ・ベンジャミンに雇われたことが明らかになっています。このベンジャミンはイギリスのディズレリー首相の側近であり、ロンドンのロスチャイルド家とも親しかったのです。リンカン暗殺の背後にイギリスがいたことは間違いないと思われます。だとすればリンカンが暗殺された理由が明らかになってきます。リンカンはイギリスのロスチャイルドたち銀行家の意向に反することを行ったのです。それは、南北戦争の戦費をまかなうためにロスチャイルドなど銀行家たちからの融資を断り、アメリカ財務省の法定通貨を発行したことが挙げられます。(馬渕睦夫 「国難の正体」)

 このあとも、ポイント、ポイントでアメリカの歴代大統領はよく殺される。戦後は1963年ケネディ暗殺です。犯人とされたオズワルトは2日後、こともあろうにダラス警察署内で、ジャック・ルビーに殺された。本当の真犯人はわからないけれども、なぜかアメリカ政府は2035年には公表しますと言っています。つまりすでにわかっているということです。


 暗殺されたアメリカ大統領は、全部で4人。
  1865年 リンカーン・・・グリーンバックという政府紙幣を発行
  1881年 ガーフィールド・・・民間中央銀行の創設に反対していた
  1901年 マッキンリー・・・傷回復後、急死
  1963年 ケネディ・・・政府紙幣発行
 さらに暗殺未遂事件は二人。
  1835年 ジャクソン・・・中央銀行であるアメリカ第二銀行に反対
  1981年 レーガン・・・当初、中央銀行であるFRBの必要性に疑問
 通貨発行権に関わろうとした多くの大統領が暗殺されています。謎だらけです。

 南北戦争は北部の勝利で1865年に終わりました。南部を応援したイギリスもロスチャイルド家も、すぐに次の手を打ちました。その同じ年の1865年にロスチャイルドは、同じ家に住んでいた18歳のジェイコブ・シフを渡米させ、2年後にはクーン・ローブ商会を設立させます。
 またその1865年にはロスチャイルドは、仲間のトーマス・サザーランドに香港上海銀行を設立させます。この銀行はもともとはイギリスのジャーディン・マセソン商会が中国とのアヘン貿易で稼いだ資金を、イギリス本国に送金するために設立されたものですが、このあと香港ドルの発券銀行の一つになり、やがて香港ドルの通貨発行権を完全に手に入れます。今も香港のお金である香港ドルは、この銀行によって発行されています。漢字の名前だから中国の銀行とよく間違いますが、れっきとしたイギリスの大銀行です。


 1859年に日本にやってきた。イギリス人トーマス・グラバーは1861年にこのアヘン貿易会社ジャーディン・マセソン商会の代理店として、長崎にグラバー商会を設立しています。
 そのトーマス・グラバーと関係の深かった土佐の浪人坂本龍馬が長崎に武器輸入会社として亀山社中を設立したのも、南北戦争終了と同じ1865年です。その亀山社中は海援隊と名前を変えます。この海援隊の隊長である坂本龍馬を仲介人として成立したのが、翌年1866年薩長同盟です。
 これによって幕末日本は倒幕に向けて大きく動いていくことになりますが、なぜ一介の土佐浪人にこれだけの大仕事ができたのか、グラバーの動きをよく見ていなければ分かりません。

 このことをイギリスから見ると、イギリスは南北戦争でアメリカ工作には失敗したが、明治維新という日本工作には成功したといえます。
 ちなみに、のち4度総理大臣になる長州藩の伊藤博文は、グラバーによって1863年イギリスに密航し、イギリスとの緊密なつながりを持っています。


【戦後の発展】 南北戦争で北部が勝って、北部中心にアメリカはまとまりを取り戻していきます。分裂を防ぎます。分裂を防いだあと発展期に入ります。インディアンが住んでいた広大な土地が西部に残っている。そこでインディアンを迫害すると同時に、そこのけ、そこのけで、まず鉄道を通す。1869年大陸横断鉄道といいます。飛行機がなく、クルマもない時代ですから、人間の足は鉄道に勝るものはない。ただこれには莫大な資本がかかります。レールを引くのに。これはイギリス資本です。世界の金持ちはやっぱりイギリスです。産業で負けても、お金は持っている。だからお金を貸すという商売に乗り出す。

※ 1860年代の南北戦争で、北部の産業ブルジョワ層が、南部の農業地主層に勝利し、主導権を握り、工業化と資本の集中化が進められます。鉄鋼業の基盤が形成され、1869年に大陸横断鉄道が完成します。アメリカ議会は保護貿易主義を取り、関税率の引き上げによって産業を育成します。
 こうした政府と産業の一体化の中で、石油産業のスタンダード石油会社(ジョン・ロックフェラー創立)、製鉄業の US スチール(アンドリュー・カーネギー創立)、電気業のジェネラル・エレクトリック(トーマス・エジソン創立)、金融業のモルガン(ジョン・ピュアモント・モルガン創立)、通信料の AT & T( グラハム・ベル創立)などの独占資本会社が形成されます。
 しかし、アメリカはドイツと異なり、自由競争を尊重する立場から、このような独占資本の活動を規制しました。・・・その結果、アメリカでは一定のバランスのとれた市場の発展が可能となり、新規企業の参入も増大しました。(宇山卓栄 経済)

 そういう時に、アメリカでも資本家が成長していく。その代表格がロックフェラーという人です。今アメリカのナンバーワン財閥といえば、ロックフェラーです。彼は何に目をつけたか。石油です。スタンダード石油という石油の独占企業を作りあげます。これあまり巨大企業になりすぎて独占禁止法に引っかかり、今は分割させられて、エクソン・モービル石油になってますが、今も巨大企業であることに変わりはありません。


 アメリカにはお金がまだ何千種類もあるんですね。そんななかで、アメリカは1873年に、「貨幣鋳造法」を制定し、銀貨を排除し、金貨のみを流通貨幣にします。そうなると流通するお金の量が減って、モノが買えなくなります。それで2回目の世界恐慌がおこります。これはヨーロッパにも及びます。もう日本では明治国家ができています。明治維新の直後は世界的には不況の時代です。
 前にも言ったけど、不況になるということは、ものは作る力があるけれど、買う人がいないから不況になるんです。だから過剰生産になってモノが余るんです。物価は物が余ると安くなる。売れ残る。売れ残るから強制的にでも売れる場所を求める。これを市場と言いますが、これをわかりやすくいうと植民地です。この植民地獲得時代に入る。そしてそこに売るんです。そのナンバーワンはイギリスです。

※ 1873年の世界恐慌は、ウィーンでの株価暴落とニューヨークでの銀行の倒産から発生します。この後、1890年代の半ばまで、デフレーション傾向が続きます。この間に、列強は保護貿易へ転換し、帝国主義の時代へと繋がっていきます。特にアメリカでは企業の独占が進展し、議会を支配するようになり、国家政策に影響力を持ちます。ロスチャイルドから派遣されたジェイコブ・シフのクーン・ローブ商会を通じて、アメリカのロックフェラー、 JP モルガン、カーネギー、ハリマンたちが、欧州のロスチャイルドから融資を受けて事業を拡大していきます。


※ ロスチャイルド・ロンドン銀行がアメリカ国債を引き受けています。

 工業面でぐっとイギリスを追い抜いていくのがこのアメリカです。19世紀の終わりにはイギリスを追い抜きます。アメリカが工業生産力で世界一になります。国土も広い。だからアメリカには多くの大金持ち、日本でいう成金が誕生する。アメリカはもともとキリスト教の信仰が非常に強い国で、真面目な人が多かったんだけど、お金を持つとどうも人間変わる。
 非常に軽い人たちがお金持ちになって、この1880年代以降は、俗に金メッキ時代、または金ピカ時代といいます。この時代にはこういうふうに蔑まれるんですよ。神様の教えとかクソくらえ、金さえ儲ければいいんだ、そういう成金です。そういうアメリカ人が多く誕生していく。
 こういう風潮のなかでお金が・・・半分以上は謎なんだけど・・・お金を整理して中央銀行を作ろうというイギリスの意向に対して、それはダメだ、そんなことをすれば貧富の差が激しくなる、と反対したのが時のガーフィールド大統領です。しかし彼はそのあとすぐ1881年暗殺される。謎です。まだ分からない。100年経っても。


 1901年には、マッキンリー大統領暗殺されています。傷は回復しつつあったが、8日後に死亡しています。その次の大統領になったのが、副大統領であったセオドア・ルーズベルトです。アメリカ大統領で暗殺されたのは4人です。あと一人が・・・さっき言った・・・1963年に暗殺されたケネディーです。
 そのあと1981年にはレーガン大統領暗殺未遂事件も起きています。犯人はヒンクリーと言われますが、よく分かりません。


【人種のるつぼ】 アメリカは、どうやって人口が増えるかというと、お母さんがいっぱい子供を産んだからではないですよ。移民の流入です。外国から移民を受け入れる。よそ横から来た人たちの人口で増えていく。
 その一方で、奴隷解放令が出たからといって黒人差別がなくなったかというとそうではない。もともとは南北戦争でヨーロッパの支持を取り付けて戦争に勝つためだったから、奴隷は解放されても、このあとも黒人差別はずっと続く。これは第一次大戦後も続くし、第二次世界大戦後も続く。黒人差別が解消され、黒人が選挙権を持つのは、私が生まれたあとの戦後です。まだつい最近です。


 アメリカの西部には何万年も前から誰が住んでるか。我々と同じモンゴロイドのインディアンが住んでいた。どけ、どけ、と彼らの土地を奪うんです。それで彼らは今は狭い居留地に住んでいる。ここに住めと言われて、閉じ込められている。インディアン迫害です。こういう明と暗が歴史にはあります。ただこういったことはアメリカ人は、言われるの嫌がります。今でも。
これでアメリカは終わります。




【オスマン帝国の衰退】 次はオスマン帝国にいきます。あっちこっち頭を切り替えてください。ここからはオスマン帝国です。
 1600年代以降の約200年間は世界の中心であった国です。今のトルコになっている。小さな国になっているけど昔は大帝国であった。この大帝国がだんだんとヨーロッパ勢に押されて衰退していく。
 1699年には領土だったハンガリーを奪われた。神聖ローマ帝国のオーストリアに。それからポーンと200年ぐらい飛びます。その間のことは一部はすでに言いました。


 オスマン帝国が弱くなると、そこで支配されてる異民族が強くなる。オレたち独立しようと、独立運動が起こる。自立化が進んでいく。これを下の地図からいきます。色がついているところが、もともとのオスマン帝国の領土です。
 しかし1912年のオスマン帝国は、これだけになる。あとは全部独立するんです。いま言ったのは、このハンガリーが独立した。そのあとは東ヨーロッパが全部独立して、ギリシアも独立していく。ギリシアはもともとオスマン帝国の領土だった。
 このギリシアが次に出てきます。その次に独立するのはエジプトです。これもオスマン帝国の領土です。ここも独立する。どんどん独立性されて、オスマン帝国は最終的には小さな国になる。こうやって20世紀の頭までには小さくなっていく。
 それと同時にヨーロッパから侵略されていく。こういうことを今から説明します。


 ナポレオンが負けたあと、1821年からはギリシアが独立するために、オスマン帝国と戦争していく。これがギリシャ独立戦争です。その結果ギリシアは独立する。そしてヨーロッパにはいっていく。
 1831年になると、今度エジプトが独立しようとする。これがエジプト・トルコ戦争です。ヨーロッパはどっちの味方か、トルコなんかつぶせ。エジプトをトルコから切り離したいわけです。だからイギリスはエジプトの味方です。こうやって最終的には、エジプトはイギリスの植民地になる。一方、オスマン・トルコ帝国はどんどん衰退していく。
 
▼オスマン帝国の縮小

 これじゃいかんと思ったトルコも改革しようと1839年から頑張ります。これをタンジマートという。改革という意味です。しかしこれうまくいかない。うまくいかない割には借金ばかり増える。外債です。これは外国からの借金です。お金を貸すのはイギリスです。こういうイギリスのような軍事力を持つ国からお金を借りると、末路は悲惨ですよ。ヤミ金から金を借りるようなものです。それで借金を返せなくなると追い詰められて身ぐるみ剥がされていく。

 ただその頑張りは続いて、ヨーロッパ流も取り入れよう、ヨーロッパは憲法というものがあるんだから、ウチでも作ろうと、大臣で偉い人が、ミドハトという人が憲法を作る。名前を取ってミドハト憲法という。1876年です。日本は1868年に明治維新を達成しています。トルコはアジア人です。これがアジア初の憲法と言われている。日本よりも10年ばかり早い。つくった人はミドハト・パシャという。パシャは大臣という意味です。これがアジア初の憲法です。
 しかし憲法さえつくれば成功すると決まったわけではない。失敗します。成功するのは次に憲法を作った日本です。だからトルコ人は日本人には好意的です。日本の成功を見習おうとした。


 これをつくった次の年にロシアがまたトルコに戦争をふっかける。トルコはそれに負ける。戦争の混乱のなかで、憲法どころじゃなくなる。この戦争が1877年からの露土戦争です。ロシアの露、トルコは土と書く。
 それで憲法を廃止し、昔の政治スタイルに戻す。結局憲法は失敗する。この戦争で、ロシアが奪ったところが、ここです。これは先に言いました。ここも取られた。戦争のたびに領土は小さくなっている。緑で囲んだ部分です。
 このページではここまでですけど、第一次世界大戦では、かすかに残った西アジアのこんなところまでイギリスが取ります。第一次世界大戦でもトルコは敗れます。


【アラブの改革】 次はアラビアに行きます。アラビアというのは、ここです。今のサウジアラビアを中心とした地域です。
 ここでは、イスラーム教がもともとの姿に立ち返ろう、俺たちの誇りを取り戻そう、こういう運動が起こる。これがワッハーブ運動です。ワッハーブというのは人の名前です。でも名前より中身が大事です。イスラームの姿に戻ろうと、正しいイスラムの姿に戻ろうとする。こういう動きは早く、18世紀からすでに起こっています。100年ぐらい前からジワジワ起こっている。それに火がついていくのが砂漠地帯のアラビア半島です。今のサウジアラビアです。ここが一番盛んになった地域です。今でもサウジアラビアはイスラームの厳格な教えを守っている国です。

 この運動の中心になっていくアラビア地方の親分、ちょっと暴力っぽいですけど、この親分をサウード家という。結論を言うと、サウジアラビアとは何か。サウード家のアラビアです。サウードのアラビアです。サウジアラビアです。サウード家が今の王家になります。ワッハーブ運動を経て厳格なイスラーム国家です。
 その始まりは、100年ぐらい前の1744年に、国を一旦つくるんです。ワッハーブ運動だったから、ワッハーブ王国という国を作りますが、これはすぐ滅亡します。滅亡したかと思うと、再建されたり、また潰れたりを繰り返す。
 これはヨーロッパが介入するからです。ヨーロッパは、国家統一の動きを妨害するんです。そこで、なぜ妨害するのか、ヨーロッパは信用ならない、と反ヨーロッパの動きが出てくる。
 これを始めた人がアフガーニーという人です。目標は反帝国主義です。反帝国主義というのは、反ヨーロッパです。ヨーロッパは俺たちを食い物にしようとしている。うまく乗せられたらいけない、口車に乗せられたらいけない、イスラーム主義こそ大事なんだ、という考え方です。この考え方はのちにエジプトの運動にも影響し・・・エジプトはイギリスの植民地にされてますから・・・イギリスから独立しようという動きにも結びついていくんですが、この時にはイギリスが強くて鎮圧します。押さえ込むんです。


【エジプトの改革】 ではそのエジプトです。一旦はオスマン帝国から独立したんです。しかし、これは完全な独立ではなくて・・・正式な国ではなく・・・半分独立した。その中心になったのが、ムハンマド・アリーです。エジプトの総督です。形的にはまだオスマン帝国領です。しかしオスマン帝国もとやかく言わない。だから半独立状態です。

 半独立状態の前から改革運動が起こっています。近代化を進めようとする。やっぱりオスマン帝国から独立したい。そこで戦争が起こる。1831年に・・・さっきやりましたが・・・これがエジプト・トルコ戦争です。順番が逆になったね。さっき言ったように、イギリスはトルコから独立させて、自分だけのものにしたいんです。だからイギリス中心に、列強つまりヨーロッパが干渉します。結果としてエジプトはトルコから自立する。イギリスの狙いは、エジプトを独立させてから、裸にさせてから侵略していこうということです。
 それを早速やるんです。世界地図はこうなってます。イギリスが行きたいところはインドです。しかしここに運河をつくれば、半分で行ける。最初はイギリスじゃない。この運河の名前がスエズ運河です。これを掘ろうともちかける。もちかけた最初はフランスです。半分はエジプトに金を出させる。この金が回収できなくなったんです。エジプトはお金が足らなくなる。そしたら甘いささやき、お金持ってるのはイギリスです。1875年にイギリスがスエズ運河を買収する。狙いはインドです。ここを通ればイギリスはインドまで半分の距離で行ける。

 この時イギリス実は十分なお金はありませんでした。イギリス一の大金持ちに、お金貸してくださいと頼む。これがロスチャイルドです。担保は、と聞かれると、ディズレーリという首相が、「イギリス政府です」と言ったという話がある。ちょっと怖い話です。相手はロスチャイルドです。

 こういうイギリスの侵略に対してエジプト人が腹を立てたのが、1881年アラービー・パシャの乱です。オレたちはエジプト人のエジプトをつくるんだ、今はイギリス人のためのエジプトになっている、おかしいじゃないかと。しかし鎮圧される。軍事力ではイギリスに勝てない。もうイギリスの思う壺です。イギリス軍がエジプトに乗り込んでくる。外国軍の国内への侵入を許せば、もう国として何もできません。戦後の日本と同じです。戦後ずっと国内に米軍がいる。だから頭が上がらない。こういう状態です。


【イランの動向】 次はイランです。昔のペルシャです。ここにはあまり有名ではないけれども、150年ばかり王朝があった。カージャール朝という。イギリスは中国に対して麻薬のアヘンを売りつけた。カージャール朝に対してはタバコを売りつけた。タバコボイコット運動がおこる。ボイコット運動が起これば、軍事力のある国はしめしめです。おまえたちが先に手を出した。イギリスが攻めていく。

 その前に・・・北の方ではロシアと国境を接してますから・・・ロシアも攻めてくる。ロシアとイギリスにねらい撃ちされて、草刈場のようになっていく。このように今のイランは、イギリスとロシアの草刈場になって半植民地化されていく。形だけは独立してるけれども全部干渉される。ああするな、こうするなと言って。イラン人のなかには、こんなことでいいのかと腹を立てる人たち生まれる。彼らが反乱を起こす。バーブ教徒の乱といいます。しかし軍事力が弱い。鎮圧されて逆に押さえ付けられてしまう。ほとんどのアジアはこのパターンです。日本ぐらいのものです、一応独立しているのは。
 これで終わります。ではまた。




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