命や誕生にかかわるものは、危険である。
神がものごとの創造にかかわるものとされた時代、生殖行為は神がかりなものとされた。女性の月経は恐れられ、男性の性器も恐ろしいものとして祭られた。今もその名残はいたるところに見受けられる。特に初潮を迎えようとする少女は恐れられた。彼女たちは村の日常に災いをもたらさないように、村はずれの小屋に隔離されたりした。
それと同じように、農業の種まきや収穫は、神に触れる恐ろしい行為であった。
死だけが恐ろしいのではない。命が誕生することも、同じ魔力が潜んでいた。
古代人は人間の命だけではなく、動物の命や植物の命も同じように考えた。
命は、人間の力を超えた恐ろしいものである。
命は尊いとばかり言われるが、尊いものは恐ろしいのである。
聖なるものと不浄なるものは紙一重である。
ヒンドゥー教とは聖なるものとして牛を食べないが、イスラーム教徒は不浄なるものとして豚を食べない。しかしそれは同じことである。
命に触れるほどの恐ろしいものは、聖なるものにも、不浄なるものにもなる。
命にかかわるコロナを生みだした人たちには、この恐れがなかった。
彼らこそ一番恐ろしいものではないか。
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