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「授業でいえない世界史」 38話 現代 列強の中国進出

2019-05-03 18:00:00 | 旧世界史11 18C後半~
※この記事の更新は、「カテゴリー(新世界史1~15)」の記事で行っています。


【日本】
 いよいよ日本です。日本は南北戦争の前の1853年ペリーが浦賀にやってきた。さっき言ったように、この人は娘を通じて米民主党党首のオーガスト・ベルモントとつながっています。そしてそのベルモントの後ろにはヨーロッパ最大の資本家ロスチャイルドがいます。
  ペリーが大砲向けてやってくる。日本は大砲向けられても、勝てないことを知っています。海外情報を日本は持っているからです。鎖国の中でも、オランダ風説書という海外情報を手に入れています。中国もアヘン戦争で負けたことを知っている。だから戦わない。次の年の1854年には日米和親条約を結んで開港する。長崎の出島以外の貿易港として、下田・函館を開く。まだ貿易始まりません。4年後の1858年から始まります。これが日米修好通商条約です。ここから幕末の動乱、西郷隆盛とか、今年やってるあの世界に入る。通商というのがポイントですね。貿易です。貿易が始まって、日本の経済が混乱していく。経済が混乱すると庶民が苦しんで反乱が起こる。その最大の貿易港が神奈川なんですけれども、実際はもっと限定される。横浜です。横浜という名前は、横の浜だから、日本全国いっぱいある。もともと小さな寒村です。数百人ぐらいの村です。今や日本最大の貿易港です。

 ただ同時に、アメリカは他の国と同様に不平等条約を押し付けていきます。アメリカ人が日本でリンゴを盗んだらどうなるか。通常、海外旅行で犯罪を犯した場合、リンゴを盗んでも、日本人だから日本の法律で裁かれるかというと、とんでもないです。裁判は現地主義です。シンガポールで日本人がツバはいたら、シンガポールの法律で罰金10万円です。そうしないと日本に来た外国人は無罪になる。しかしこんなことをアメリカに認める。外国人は日本で裁判できない。これが領事裁判権です。日本で裁判できないということです。領事というのは、イギリス人で日本に来ている人です。彼が裁判をする。しかし実際はしない。叩かれる前に早くアメリカに帰れ、と言う。今の日本でも時々ある。沖縄の米軍の兵士が犯罪を犯しても、日本は裁判できないから、すぐアメリカに帰る。3日後に。日米行政協定でそうなっている。ひどい場合には、翌日返したりする。

 それから、貿易には輸入する場合は、国内産業の保護のために、関税を自由にかけるのが普通です。しかしそれがかけられない。つまり関税自主権がない。そういう当たり前の権利が欠如しています。だから不平等条約です。これを撤廃するのに日本は50年の時間を要します。
 約10年間の動乱ののちに、1868年に明治維新となる。幕府が滅んで新しい政権ができた。天皇を中心とする国家です。
 外交問題としては、琉球つまり沖縄がどうなるか。江戸時代、沖縄県だけは別の国だった。ここは王国です。琉球王国です。日本のようでもあり、中国のようでもある。中国にも服属している。どこの国にするかという時に、琉球の漁民の船が、台湾に漂着したんですよ。そこで琉球人が殺された。この時に日本はすかさず台湾に出兵した。そこで中国は、ごめんと言った。これで決定です。中国がもし琉球を、中国だと思っていたら、自分の国の国民が殺されたんだから、日本が文句いう筋合いないでしょう。中国がごめんと言ったということは、琉球は日本領土だと認めたことになる。だから琉球は日本に帰属する。

 戦後、日本の政府と琉球の県知事さんはとても仲が悪い。こういう経緯があるから、米軍基地問題で、普天間基地問題で、ほんとに仲が悪くなると、中国が沖縄に応援して、中国の領有権を主張するんじゃないか、という話は潜在的にある。沖縄の米軍基地が、中国は大嫌いです。あれはどこを向いているか。中国なんです。沖縄に米軍基地があれば、すぐ中国を攻撃できる。その隣にはグァムがある。グァムよりも中国にとっては、沖縄の米軍基地が嫌なんです。

 では次は朝鮮です。江戸時代の鎖国は日本だけじゃない。朝鮮も鎖国です。日本は開国した。それと同じようにイギリスは朝鮮に、開国しろという。しかし開国しないんです。逆に日本が開国したのは、おまえは戦いもしないで、白旗あげて恥ずかしくないのか、という。日本とは外交方針が違う。日本は開国したが、朝鮮は開国しなかった。このままだったら、朝鮮は外国から取られてしまう。植民地になってしまう。日本はこれがイヤだった。

 朝鮮と日本の地理関係は、朝鮮半島というのは、寝転んだ赤ん坊のノド元に短剣が突き刺さるような形になっている。もし朝鮮が敵になったら、そのノド元を刺される。ここが敵に取られることを、つまりロシアに取られることを、日本は非常に軍事的に恐れた。それで、ここはどうしても日本の仲間であってくれないと困る。それで侵略して、朝鮮半島が約50年間、このあと日本の領土になる。そういうことがあって韓国と日本はいまだに仲が悪い。
 この時の、朝鮮の実力者を・・・王様の親父なんですけど・・・大院君といいます。日本は軍隊を朝鮮に派遣し、軍事衝突を起こして・・・これを江華島事件といいますが・・・これを起こして、そのあと半ば強引に条約を結ばせる。この条約を日朝修好条規といいます。条約と同じ意味なんですが、名前としては条規という。こういう形で日本は侵略していって、朝鮮に不平等条約を押しつけた。西洋の逆のパターンです。

 こういう日本と朝鮮の行き違い、対立関係はその後も続いて、日本が朝鮮を植民地化するまでには、1880年代に軍事衝突が起こります。1882年には壬午軍乱です。日本と朝鮮の軍事衝突です。それに中国も絡むですが、ここらへん、詳しくは日本史で習います。
  さらに2年後の1884年には甲申事変が起こる。壬午とか甲申とかは西暦ではなく、中国流の年の数え方です。この事件は、日本に好意的な朝鮮人である金玉均という人物が、日本と仲間になろうとしてクーデタを起こし、失敗した。それで日本との関係がますます悪くなった、という事件です。

 こういう動乱の時代に朝鮮で流行った一つの宗教が東学です。学問みたいな名前ですけど、一種の新興宗教です。崔済愚(さいせいぐ)という人が始めた新しい宗教なんですけど、これが非常に広まって反乱を起こす。この東学グループの反乱が、朝鮮国内で戦争にまで発展していく。これが1894年甲午農民戦争です。
  これに日本が干渉して朝鮮半島に軍隊を派遣する。そうすると・・・朝鮮の親分は中国なんです・・・中国も軍隊を朝鮮に派遣する。それで日本と中国が戦う。これが1894年日清戦争です。これは朝鮮をめぐる戦いです。今も日本は韓国と仲が悪い。中国とも仲が悪い。日本は東アジアで特異な地位を占めています。この戦争の講和条約が下関条約です。

【下関条約】 日清戦争のところまでいきました。日清戦争は1894年です。清という中国は大国です。とてもチョンマゲ国家の日本が勝てるとは誰も思っていなかったけれども、勝ってしまった。
 その講和条約が翌年の1895年・・・首相伊藤博文のお膝元山口県下関で結ばれる・・・これが下関条約です。ここで日本はすぐ朝鮮を植民地にするんではなくて・・・朝鮮の親分が中国だったから・・・まず中国と朝鮮の関係を切るんです。清の宗主権、つまり親分の権利を否定する。ということは朝鮮を1人にさせる。それが言葉を変えれば独立させた、ということになる。その後何年かたって、日本は朝鮮を日本の領土にしていくわけです。このとき日本が中国から得た領土は、一つは遼東半島・・・あとで地図で確認してください・・・朝鮮半島北方にある小さな半島です。それからもう一つが、朝鮮での争いと全然関係ないところを日本は領有する。これが台湾です。ここから台湾は・・・太平洋戦争終了までの約60年間・・・日本の領土になる。そして中国から賠償金2億テールを得る。


 ただこの時、実は朝鮮をもう一つの国が狙っている。それがロシアです。この遼東半島というのは、朝鮮半島の付け根にある小さな半島です。こんなところがなぜ必要か。ここに旅順という最大の軍港があるからです。良い港が。ロシアはこの凍らない港が欲しいんです。それでロシアは日本に言いがかりをつけるんです。


 ロシアが、フランスとドイツを誘って・・・これで三国です・・・日本に内政干渉する。これを三国干渉という。独立国というのは自分のことを自分で決めていいんですね。他の国からとやかくいわれる筋合いはないんだけれども、遼東半島を返せ、中国のものを奪ったらダメじゃないかと言って、遼東半島を中国に返還させる。内政干渉です。そして日本が返したところでどうするか。ロシアが自分のものにする。日本は、このやろうと思う。これが10年後の日露戦争の説明の半分です。

 こうやってロシア・フランス・ドイツで日本に三国干渉を行う。遼東半島を返せということです。そんなこと聞かなかったらいい。しかし聞かなかったらどうなるか。ロシアと戦うことになる。この時にはロシアに勝てない。
 アジア諸国でヨーロッパに勝った国はまだないです。あのチョンマゲ国家が、大国ロシアに勝てるものかとみんな思っている。このあと戦争が始まってもそう思っている。


【中国の変法運動】 戦争に負けた国というのは、この時代は悲惨なものです。日本が戦争で負けたら日本もそうなるはずですが、日本に負けた中国も、弱い国だと狙われたら最後です。次から次に侵略される。
 
 まずイギリスです。イギリスが領有した所は上海です。中国を潰しはしなかったけれども中国は虫食い状態です。中国人口最大の上海、それを中心にその西に支配地を伸ばしていく。これがイギリス領です。
 もう一つは香港です。香港は島です。対岸の半島、これを九龍半島という。香港と一体化してます。ここもイギリス領になります。この時代は国が弱いとこうなる。


 ロシアはここです。ポイントはここに軍港がある。これがさっき言った遼東半島です。軍港が先端の旅順です。ロシアはこの凍らない港が欲しかった。だから日本に返還させたうえで、自分がもらった。


 もう一つ、フランスです。フランスはベトナム中心に中国南部です。ここはフランス領です。ちなみに約50年後の1940年、日本がここに軍事侵攻していくことになる。これが太平洋戦争で、アメリカと戦うきっかけになっていく。
 こういうふうに中国は国があってもなきがごときもので、形だけです。

 日清戦争における日本の勝利は、こうやって西洋列強の東アジア支配を強めることになります。きっかけは朝鮮をめぐる日本と中国の対立でしたが、結果は西洋列強が中国に乗り込んでくることになってしまいます。
 このことは大きく見ると、ヨーロッパ流の「分割して統治せよ」がアジアで実現したことになります。ヨーロッパ、特にイギリスから見ると、アジアは分裂していたほうが進出しやすい。敵は敵同士で戦わせたほうがいい。イギリスが中国と直接戦うよりも、日本を中国と戦わせたほうがいい、ということになります。日本の意図とは別に、日清戦争における日本の勝利によって、ヨーロッパ列強による中国進出が進んでいきます。このパターンはこのあとも現れます。
 日清戦争は1894年8月に始まりますが、その1ヶ月前の1894年7月には、日英通商航海条約が調印され、イギリスは日本での治外法権を撤廃しています。ここにイギリスの意図が隠されています。その50年前の1840年にイギリスはアヘン戦争を起こして、露骨に中国侵略を始めるわけですが、50年後の日清戦争ではいつの間にかその役割を日本が担っています。しかしそれはイギリスが日本を重視したからではありません。イギリスが欲しいのはあくまで中国です。
 これは日本の近代史の問題でもあるのですが、それはイギリスを中心とする世界史上の問題です。日本の近代史ではアメリカのペリーばかりが言われますが、実はイギリスとの結びつきが大きいのです。それは明治維新前の1859年に長崎にやって来たイギリス人、トーマス・グラバーから始まります。しかしこの話をしようとすると、すぐ坂本龍馬の話にばかりなってしまいます。そんな下級武士中心の話ではないのです。

 つまりこの日清戦争は、西洋列強にとっては日本が中国に勝ったことが大事なのではなくて、中国が日本に負けたことが重要なのです。西洋列強は自分たちの手を汚さず、日本を中国というアジアの国同士を戦わせて中国を弱体化した。そして中国が弱体化したあとは、中国を植民地化していく。
 日本をそういうふうに仕向けたのはイギリスです。イギリスは日清戦争の始まる1ヶ月前に、日英通商航海条約を結び、日本に有していた治外法権を撤廃します。日本はイギリスをバックにつけて日清戦争を戦ったといわれますが、世界史的に見ると、イギリスが日本への治外法権を撤廃する見返りとして、日本を中国と戦わせたのです。
 日本が欲しかったのは朝鮮です。欲しかったというよりも、朝鮮がロシアに領有されることを恐れたのです。ところがそのロシアが三国干渉を行って、遼東半島を領有した。これに続いて、フランス、ドイツも中国に進出します。香港中心に中国に進出していたイギリスは焦ります。敵の中心はロシアだ。ロシアの中国進出を食い止めなければ、そういう思いに駆られます。
 この時ロシアはドイツと組んでいます。イギリスにとっては、ロシアもドイツも敵です。イギリスはいつも「敵同士を戦わせる」作戦に出ます。これはいつでもそうです。このあとやはりロシアとドイツが対立し、イギリスがロシア側について、第一次世界大戦が起こります。そこまであと20年間、どういうことが起こるか、表面だけを見ていてもなかなか分かりません。
 結論だけいうと、第一次大戦によって、ロシア帝国もドイツ帝国も崩壊します。

 ところで、これじゃいかんということで、中国も国を変えようと頑張ります。この運動を変法運動といいます。1898年です。日清戦争の4年後に改革を進めていこうとする。その中心人物が康有為です。皇帝を説得し、光緒帝という皇帝を担いで改革を目指すんだけれども、それに反対する人がいる。それが皇帝の第二婦人の西太后です。女傑ですね。自分の敵は情け容赦なく、むごい殺し方をしていく。しかし政治力がある。皇帝であろうと自分の意見と違えば、皇帝を辞めさせたりする。それで康有為を失脚させて、変法運動をやめさせる。そして同じ年に、変法運動はすぐストップさせられる。これを戊戌の政変という。戊戌は年の数え方です。皇帝の光緒帝を幽閉して牢屋に閉じ込め、康有為は命をねらわれて日本に亡命する。国を追われる。中国はなかなか改革ができない状態が続きます。


【列強の中国進出】 その一方でヨーロッパは、さっき地図でも言った通り、中国も狙い目だ。ロシアを中心に日本に三国干渉をして、そんな弱い者いじめをしたらダメじゃないか、中国から奪ったらダメじゃないかと言って、遼東半島を返還させたあと、ロシアがそこをもらう。
 この時にはロシア・フランス・ドイツです。第一次世界大戦に結びつく国際関係がこのあと結ばれていきます。ロシア・フランス・ドイツがこの時には仲間ですけど、このあとはイギリスがそこに割り込んでいきます。
 結論をいうと、第一次世界大戦とはドイツだけが仲間から外されるんです。みんなでドイツを潰す。そういうふうになっていく。そこにまた日本が日露戦争で一枚噛むことになります。
 このドイツが何を恐れているか。ヨーロッパの南東の方、オスマン帝国方面、つまりロシアがバルカン半島に南下することを恐れている。まず南に行くなと言う。そしたら、ロシアは凍らない港を南には捜せなくなって、それで東に行こうとする。それでアジアの東の中国の遼東半島、旅順という軍港を手に入れた。
 次にやることは、そこに物資を運ぶための鉄道をつくること・・・これをシベリア鉄道という・・・この何千キロもの鉄道、世界最長の鉄道を引いていく。そのことにドイツが、東だったらいいから行け行けと支持する。
 しかし、ロシアにそんな危険な軍港を与えたらダメだというのがイギリスです。そして、同じようにロシアに来てもらったら困るというのが東にある日本です。だからこのあと日本とイギリスが結びつく。


 要はフランスがどう転ぶかということ。だからロシアが中国に行くのだからということで、それならオレも中国だという。アメリカを含めて中国進出がどんどん激化していく。
 その結果さっき言った地図のようになる。中国は弱いんだ、簡単に取れるぞ。1898年、日清戦争の4年後には、ドイツは膠州湾を取る。膠州湾は山東半島の南です。それからロシアも朝鮮北方に乗り出す。早いもの勝ちです。1年の間に一気に変わる。彼らの動きはあっという間です。
 この19世紀終わり、日本はよく独立していたものだと思う。日本が取ったのは、旅順、それから大連。遼東半島にある二つの都市を取る。旅順は軍港です。
 それからイギリスもロシアに対抗して素早く取る。面積は大きかったけれども、ポイントは九竜半島です。ここは香港の隣です。そのずっと南はフランスが取った。

※ 1896年、香港上海銀行が中国政府に3200万ポンドの資金を提供する。

※ 1898年、イギリス外務省の支援のもと、中国の中英公司に香港上海銀行、ジャーデン・マセソン商会、ロスチャイルド商会、ベアリング商会が関与する。



 中国はこうやって虫食い状態です。国は看板のみ、形だけしか残っていない。これに出遅れたのがアメリカです。アメリカはペリーが日本に来てから・・・本当は日本なんか目じゃなかった・・・中国に行きたかったんです。日本はそのための足がかりに過ぎなかった。しかしアメリカは南北戦争でここでも出遅れた。
 そしたらアメリカは中国に対して、1899年に門戸開放宣言を出す。つまり、みんなに窓を開きましょうと言う。自分の地域ばかり独占したらダメじゃないかと言う。なぜか。出遅れたからです。自分も欲しいということです。アメリカはその間、南北戦争があって、日本どころじゃなくなって、中国どころではなくなっている。この門戸開放宣言というのは、大統領に次ぐナンバー2のポストの国務長官ジョン=ヘイが発表した。門戸開放を提唱した。本当はアメリカも中国が欲しいんです。
 そして同時にスペインと戦っている。アメリカ大陸のメキシコから南はほぼ全部スペイン領土です。そのメキシコの一部、ニューメキシコ州をアメリカに併合する。そういう戦いをやっている。これが1898年の米西戦争です。西はスペインのことです。米は言うまでもないでしょう。
 
▼列強の中国進出

 日本から見ると、やっと中国から手に入れた遼東半島を、ロシアが返せと言ったから返したのに、ロシアは自分の懐に入れた。これズルいじゃないかと思う。それで日露対立が激化する。深刻化していく。そして10年後には日露戦争になる。これはまたあとでいいます。日本は、このときなぜノーと言えなかったのか。弱いからです。国を強くするためにはまず産業をヨーロッパなみに上げないといけない。だからもっと上げよう、上げようとした。もう少し時間がかかるけど、一方では近代化に成功していく。
 それがうまくいかない国がアジアではほとんどです。中国もうまくいかない。だから中国も焦って、ではどこがうまくいってるかと見てみると、この時点では日本だけです。よく東京あたりに中国人が勉強しに来る。遣唐使の時代から見ると全く逆です。昔は日本人が中国に学びにいっていた。
 この時代から中国人が東京に学びに来る。または東南アジアからの留学生が東京に学びに来る。日本はアジアから注目されていく。あの中国に勝ったぞ。10年後にはあのロシアに勝ったぞ。みんなびっくり仰天なんです。日本を応援していたイギリス自体が驚く。
 イギリスはすごい国で、このあと日英同盟を結んで、日本とロシアを戦わせておいて、その一方で賭けをする。どちらが勝つかと。1対9だったという。日本が1です。勝つと思ってないんです。それをなぜ戦わせるのか。ロシアを消耗させるのが目的です。変な意味ですごい国です。この時代のナンバーワン国家はアメリカではない。このイギリスです。当時は大英帝国です。




【技術の発達】 どんどん技術も発展して、今の電話とか、電信機はモールス。無線電信は、言葉ではないくて、ツートンツートンとやる、そういう電信機も生まれる。それから電話、人の声が有線で伝わる。まだ無線電話はない。なんで電話のベルと言うか。発明した人の名前です。1876年です。電信機は1830年代ぐらいで、音信の、ツートンツートンが早い。私は、無線になると仕組みがよくわからない。無線で通信できるようになる。これがマルコーニです。1895年です。日清戦争頃です。


 あと、いろんな学問で世界観を変えていくのは、人間は万物の霊長で神に近い、とか思われていたけど、猿から進化したという、ダーウィンの進化論。それを書いたのが「種の起源」。人間は猿であった。神じゃない。子供のころは、人間が動物ということは知らないときがありますが、人間は動物です。


 それから音を貯める。この音を貯めるというのが今のレコードとかCDのもとですけど、発明したときには、なぜ音を貯めなければならないのか、そんなもの何の役に立ちのか、バカじゃないかという話があって、利用価値がなかった。しかしなんでも特許をとっておくと、世の中の発展次第でどうなるか分からない。何の役に立つのか、音を貯めて何するのか、手紙で書けばいいじゃないか、でもこれが蓄音機になる。今では欠かせない。


 それから白熱電球です。ローソクじゃなくて、ランプじゃなくて、明るいからすぐ売れたみたいですけど。これはエディソンです。アメリカ人です。小学校しか出てない。このエディソンの企業というのが、アメリカ最大の電機メーカーになる。

 アメリカもこうやって産業革命がどんどん進んでいく。さらに鉄が空を飛ぶ。これも1903年です。ライト兄弟の飛行機です。

 それから自動車。それまで金持ちの道楽だったのが、庶民でも普及し始めるのが1920年代のアメリカです。これをやったのがフォードです。庶民が買える値段で発売する。T型フォードという。Tを逆にして、こういう車になる。金持ちの道楽ではなくなる。


【社会の変化】 それから、こういう無線とか電話とかの通信技術が発達すると、情報産業、マスメディアというものも同時に発達して、これが現代社会の隠れた権力になる。政治経済でもやりましたが、これが社会に与える影響は大きい。テレビ・ラジオ・新聞、今はネットなど。


 1920年代、もうちょっと先になると、自動車が、金持ちの道楽ではなくて、ちょっとした人たちでも持てるようになる。これがT型フォードです。音も飛ぶ、鉄も飛ぶし、音も飛ぶ。ラジオです。なにもないところから、人間がはいってないのに機械から人の声が出る。そしてニュースがとどく。しかも即時で。


 こういう技術の変化と同時に、政治的には植民地合戦が起こります。それを帝国主義といいます。これまたあとで詳しく言いますけど。土地を求めて、植民地を求めて、強い国同士がどんどん競争していく。これが第一次世界大戦の理由の大半です。世界を巻き込む大戦争になっていく。


 こういう戦争の時代と同時に民主主義が発展するんです。民主主義は戦争をしない体制だと思っていませんか。それはウソです。この100年の歴史から見ると、民主主義が発展するに従って戦争が拡大した。一番悲惨な戦争をやったのは、この20世紀です。この時代が一番悲惨な戦争をやって、一番人が死んだ時代です。それは同時に民主主義が拡大していった時代です。その民主主義の母体となっているのが選挙権の拡大です。ここらへんは、まだ詳しく解明されてないけど、ちょっと怖いところです。


 この民主主義にも、当初はなんの政治的知識もない人に選挙権を与えて良いのかという話があって、ちゃんと知識を持った人、力を持った人が、政治を行うべきでないのかというのも、ある一定の支持を集めていた。選挙権は拡大していきます。それと同時に、独裁政権というものも20世紀には誕生していく。代表格としてよく言われるのがドイツのヒトラーです。これは50年ぐらい先です。政党としてはドイツのナチス党です。ファシスト党はイタリアです。
 これで終わります。ではまた。




アメリカの利上げなし

2019-05-03 05:18:07 | 国際金融
FRBは年内の利上げを見送りました。
いつまで金融緩和が続くのでしょう。
景気が減速しています。だから金融緩和をし続ける。株だけ上がり続けている。
この不健全さが、世界に何をもたらすか。誰も見通せないでいる。
「令和」は見通せない時代です。