一通の少女からの手紙と募金が、かけがえのない遺跡を水没から救うきっかけとなったと聞いた。
手紙を受け取ったユネスコは、世界じゅうの学者、建築家たちに呼びかけ、
水没の運命にある遺跡の移築アイディアを募り、研究を重ねた。
国境を越え人種を越え募金が集まり、奇跡の移築作業は、見事成功を収めた。
こんなエピソードを聞くと、戦争で破壊を繰り返す我々人間にも、建設的な行動がとれるのだと、ほっとする。
世界がひとつになった行動のお陰で、アブシンベル、イシス神殿などの過去からの贈り物は、今も美しい姿を留めている。
(アスワンハイダム記念塔)
水没危機の原因となったアスワンハイダムは、
現代のエジプトにとっては、それでも建設しなければならなかったダムのようだ。
古代エジプト文明と近代化のジレンマ。
複雑な思いに駆られながら、青いナセル湖の水をたたえたアスワンハイダムに別れを告げ、
次に向ったのが「切りかけのオベリスク」のあるアスワン南部。
(後ろに写る人影と比較するとわかる巨大なオベリスク)
オベリスクとは、先端部がピラミッド状になった巨大な石の柱で、モニュメントの一種だと言われている。
約4000年前から、多くのファラオが競うように建立し続けた。
(石切り場はこんな高台にある)
はるか昔にデザインされたとはとても思えない、近代的センスを感じさせる花崗岩の石柱である。
「切りかけのオベリスク」は完成していれば、長さ42m、重さ1170tにも及ぶエジプト最大のものであったらしい。
実は私はこの「切りかけのオベリスク」を見ていない。
ガイドのサウサンと、お茶を飲みに行ってしまったからだ。
娘が一人奮闘して、フォトを撮ってきている。
(切り口はあまりでこぼこがない)
「切りかけのオベリスク」を諦めてまで、お茶をしたのには理由があった。
サウサンにある相談をしていたからだ。
その顚末は 次回に…。