総大将・天草四郎最後の原城跡は、16才の隠れキリシタンの少年の最後の場として、あまりにも有名。 昔っから、行きたいと思ってました。なんとなく悲劇のロマンチックな場所かと・・・?
1637年、飢饉と重税、そしてキリシタン弾圧に反発した百姓の一揆。
廃城の原城に立てこもり、4か月籠城。幕府の猛追撃で落城、全員玉砕。江戸時代最大の一揆だったので、以降キリシタン排除の鎖国政策が確立したとのこと・・・。(天草四郎は、秀吉の孫説がありますが、出口治明さんどうでしょ?)
雲仙普賢岳の噴火から28年。島原鉄道に乗り、またバスに乗り換えて、平成新山や噴火の爪痕がまだ残っている山を見ながらの、南島原は非常に遠かった!
50年若けりゃね。
長崎・天草 潜伏キリシタン関連遺産の世界文化遺産の原城址は、多分 大昔のまんま・・・平地で残されていました。
天草に向けた祈りの像は、ものすごく小さい。後姿は、悲しみに満ちてました。
本丸跡に、白洲の真砂(浅瀬にある海中で生存の珍奇な植物)、白い粒の塊がありました。これ?かしら・・。
マレーシアの海の砂の上に置いてみました。からゆきさんを思い出したね。
お昼は、原城温泉「真砂」での、美味しい懐石膳でした。
残念ながら、温泉は、入れず 時間切れ。少し覗いてみたら、すばらしい 海の風景込の温泉でした。
次の目的地は、カステラの「和泉屋」。なんと、「カステラランド・和泉屋」として、新しくなってました。
橘湾を望む広々としたレストランを兼ね備えた、試食とお茶で もてなされる売店。
庭園も石原和幸デザインで、海と池が花を引き立てている和みのテラス。 室内のステンドグラスは、ゴージャス。思ってもいなかった美しい癒しの場所に、老夫婦二人だけなのに、おこしやカステラを思わず買ってしまいました。 新しい建物って、WCも新式で ビックリの嬉しさでした。
雨も降りだし、もう帰りたい気分でしたが、最後に訪れたのは、「裏見の滝 しゃくなげ園」でした。
「筑紫しゃくなげ」
よし、今後この滝に来ることはないからと、雨の中、傘と手すりを持ちながら 勇気を出してくねった山の急な階段を長いこと苦労しながら降りてみました。
それなのに、肝心の滝は、水流わずか・・・柵があり近くにも行けず・・・。ガッカリ! 結局下まで降りたのは、ツアー客39人中5人だけ。お粗末様。しゃくなげも終わってたね・・。
アメリカ旅行前からの予約でしたので、まだ少し時差ボケのような眠さが続く中でのバス旅は ボーとしたまま いいね。
バスに乗って、ご馳走食べて、新しい土地で新しい知識を得て、気楽に あら 呑気だーね。 料金も安いよ。
(アメリカ旅の添乗員様が言われてました。日本は、先進国の中で一番物価が安く20年上がらないと・・。米国の半値? デフレって こんな感じ? 平成の日本は、ぬるま湯に浸かって、中国や他国の追撃を眺めてただけだったんでしょうかね)
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