朱の徒然

変形性股関節症の76歳

母の造語 と 平成の造語「令和」

2019年04月01日 | 日記

 

 母は、無学でしたが造語の上手な人でした。

 今でも私の生きる指針になってるのが、「寝たが 勘定」です。

 幼い頃、末っ子のケンカ大将の私は、喧嘩しては負けて、「母さーん」と泣いて訴えてました。すると母は、懐に私を抱くと「おーよしよし、さあさあ寝たが勘定」とよくあやされたものでした。

 どんな意味か考えもせず、母の胸を触りながら寝ては、次の朝には忘れて起きる・・・・の繰り返しだったのでは?

 多分、母は辛い時も苦しい時も「寝たが勘定」と眠りにつき、少しずつ 気持ちを明るくしていったのでは? 今やこの母の「寝たが勘定」は、私の生きる指針になってますね。楽天的に生きる!  寝ることは、幸せ!

 次が、「バカコイ バカコイ」です。これも幼い頃、パーンパーンと、時折朝から元気な弾む音が響いていました。

 外遊び大好きな私は、「母さん、どっかでお祭りが始まるよ。遊びに行こうよ」と誘うと「あー、あれは、バカコイ、バカコイと、バカだけを呼んでるから行かれんのよ」と答え、別の日には「運動会をやってるんじゃない?」というと「馬鹿じゃないと行かれんのよ」と答えてましたね。  大きくなって考えたら、競艇場の開催を報せる遠くから聞こえるピストルの音でした。

 三つ目が「はいはい学校」です。

 子供たちが巣立ち、結婚し、両親だけの気楽な暮らしになった50代?頃、母は父に隠れて買物をするようになりました。

 高額なものは羽毛布団、ソファセット、皮のジャケットですね。もしかしたら、私の知らない物も あるかも?

 母たちの時代に一時期大流行した 催眠商法です。

 母に言わせると「はいはい学校」だそうで、若者が「これ欲しい人?」とあおり聞きし、「はい」と早く答えた人が、最初は、ティッシュ、鍋、お菓子など小物を無料でもらえ、最後は、高価な品に変わるけど、集まってる主婦達は こぞって「はいはい」と手を挙げるんですって・・・。周りに負けられない雰囲気で・・・。それで契約してしまうって・・。時には、若者が家まで迎えに来てくれて・・・と嬉しそうに話してたね。でも、買ったことは父には内緒なので使えず隠して・・。

 こんなに賢く「はいはい学校」とまで名付け俯瞰できる母がどうして・・と考えたとき、田舎生まれの田舎育ちの母にとっての「はいはい学校」は、小さな欲を満たしてくれる楽しみだったんですね。 都会の女性の その頃流行った「大衆演劇」と同じでは?1万円の束のレイを好きな役者にかけ、着物までプレゼントする人たちと同じでは?

 その頃、姑も高価な着物や宝石をローンで買うと、旅行やパーティーへのご招待に はまってでしたね。

 母も姑も賢く、生真面目な大正の女性でしたが、女の50代、60代、 どう生きるかは、難しいね。平成のオレオレ詐欺も 今では騙すだけではなく、強引に命までですものね。

 私達は、自覚しながら能動的に生きる に尽きるのでは?
 私? 日常の一番の友達は、TVです。
 それなのに、
 今日、元号を造語するって、TV局全局が言ってるので、がっかり! 
 他の楽しい番組が見たいのに・・・。やっぱ、テレビ東京は、偉い!いつもの独自番組やったね。   元号って そんなに騒ぐことかえ? 

 造語名人の母が言ってましたわ。「トラブルにならないように、人の前を行かず、人の後ろを歩くんだよ」って・・。  「令和」ね。いいんじゃない?

 

 九州大学の静永健先生が、「令和」のルーツは、漢籍にありと言われていました。張衡(チョウコウ)の詩文『帰田賦』の「仲春令月 時和気清」からヒントを得て、大伴旅人が730年に序文を書き、そして2019年の春、私達の時代に「令和」として造語されたってわけね。
 
 
 
 
 4姉からの「カランコエ」。5人姉妹は、皆花が大好き!母から 受け継いだんでしょうね。
 
          フリージャが咲いたので、リビングへ・・。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
                           
     
 
 
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