朱の徒然

変形性股関節症の76歳

患者力って生き方だね。 パート2 歯科治療

2016年10月05日 | 日記

 3年ぶりで、歯科に出かけました。

 この町に住んで20年。歯科治療の最初は、近所の歯科医院へ。神経質そうな先生が1回目も2回目も、アシスタントの若い女性を𠮟りつけられるのに、うんざりして 止めました。

 2軒目は、歯科のある総合病院にしました。ここは主治医が決まらず毎回人が変わるのが嫌で止めました。その頃、姑の体の調子が悪く入退院が始まりました。で、都合のよい、交通便利な街の駅ビルの歯科にしました。

 きりきりと疼く歯の痛み。幼いころのあだ名は「歯ひっ欠けばばあ」で、黒い虫歯だらけでしたので、歯の治療には、幼いころから慣れたものでしたが、流石に歯を取ってしまう入れ歯には、ショックでした。 で 怒って 先生に「みっともない!こんな出っ歯にするなんて・・」と、文句をつけたりしました。多分、こんな我がままな言いたい放題の患者に先生もビックリだったでしょうね。  まだ他にもいっぱい嫌なことを言ったような気がします。それなのに、いつでも優しく穏やかに治療して下さって ありがとうございます!

 治療に通っていた10数年は、夫は海外単身赴任などで、たった一人で姑を看る孤独な日々でもありましたので、この歯科での週刊誌を読みふける時間も貴重でもありました。(結局、姑は9回の入退院の10年でしたが・・)

 この大 大好きな先生ですが、実は いつも治療室ではマスク姿なので、実際のお顔は よく知らないんですよ。 多分、街でお会いしても御挨拶できないと思います。 私の勘では、ノーマン・ロックウエルの自画像のようなお顔・・と想像していますが・・。

 

             もしかして、私より若かったりして・・。へへっ。

 今になって、歯の大切さが分かります。どんなに指導されても 歯ぐらいと軽んじていました。糖尿病の気がある➡歯が痛いとは、思いもよりませんでした。 先生が話されても フンふフンでしたものね。ごめんなさい。

 

 股関節の手術前は、歯の治療を優先というのは、鉄則らしい。なにせ、金属を体の中に埋め込むのですものね。(細菌感染)

 最後の歯の治療を受けてから3年。先生が上手に治してくださったお陰で少し歯が残り、それらは ちっとも3年間痛まなかった。そして、ここにきて ちょっと時々沁みるかな・・。で、3年ぶりで先生の元へ。 お懐かしい お元気そうで、大先生!

 やっぱ、この有り難いと思う感情は、大切な患者力ですね! 

 普通の人間関係だって 我慢し続ければ それが恨みつらみに変わる。だから自分の心や体の全てに自分で責任を持つために、自分の意思表示をきっちりとする。   気持ちを言葉にも出せず 嫌なら 自ら 離れる。  医者だって患者に我慢されてまで医療に携わりたくないよね。

 え?おばはんは、言い過ぎ? そりゃあ、この先生は、私の不満を聞き流してくださると、勘で分かったからよ。  ふふっふ、この勘も患者力の大切な ひとつだよ! 

 先生、10数年有難うございます。今後ともよろしく! 新装なった待合室で、女性週刊誌を読みふけるのも、ある種の患者力かしら? だって、待つのが楽しくなるものね。

 

 歯の治療が済んだら、デパートの美術画廊へ。

 「和紙とパステルの融合」 吉永 裕展へ。  美しい抽象画!

 

          68歳の繊細で力強い作品。

 手書きの和紙を折りたたんで、パステルの粒子を擦り込み着色する。線と色だけの深い画面の美しさは、神秘的でした。どうやら、あちらこちらの空港のANAファーストクラスラウンジに飾られているらしいっすよ。

        

                我が家のゴムちゃん。 ちょっと大きくなり過ぎたね。根っこには、ボクたちがいるよ!

 

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映画「ザ・ビートルズ~EIGHT DAYS A WEEK」

2016年10月01日 | 日記
         ビートルズが
デビューしてからの、ツアーやインタビューやスタジオでの若き日のドキュメンタリー映画でした。 
 
 
 
                   
 
                     やっぱ、ビートルズは 素敵でした! まさか今、こんな素敵なビートルズが観れるなんて・・。
 
   心から、ハイ!私はビートルズ世代です。と いいたくなりました。1963年のデビューで、私は、高校生。
 
 50年前は、ケネディー暗殺、ビキニで核実験と暗く混とんとした世界でした。 そして、まだ米国では人種隔離政策があった時代に、ジョンが肌の色で区別するライブ席は設けないと意思表明。それを、他のメンバーも支持する。結束する。4人がいつもどんな時も、家族のようにかばいあう。同室で夢中でジョンとポールがメロディーと歌詞を作り続けていく。それを4人で演奏し続けていく。その楽し気な姿勢の素晴らしさ! 若々しくって、胸キュン!
 
 ジョン・レノン(1940~1980暗殺死。ベトナム反戦運動の旗手でしたね)のビートルズ結成前の伝記映画「ノーウェアボーイ ひとりぼっちのあいつ」を観ていましたが、若かりし頃のジョンは、本物の方が ずーっと ステキでした。すっごく可愛くって魅力的でした。
 
 1966年に(キリストよりもビートルズの方が有名)とジョンが言ってしまったことによる舌禍事件にも、もどかしいけど真摯に答えようとする映像が残されていました。これらの重要な場面場面で出てくる、今生きているメンバーのポールとリンゴが語る 真実を伝えようとする証言の優しさも良かったですね。4人はホントは仲が良かったんだね。
 
「HELP」は、税逃れのタックスヘイブンの島ハバナでの撮影だったそうですが、皆マリファナでラリっていたって・・。助けて!という心の叫び・・の歌詞であり映像だそうですよ。
 
 10歳年上のマネージャーのブライアン(イケメンで睡眠薬中毒死)も含めて、ここまで世界中の若者が熱狂するとは思わなかったんでしょうね。やっぱり時代がビートルズを求めていたんでしょうか? すさまじい歓声と失神する少女たち続出のライブ映像を見ながら、なんだかビートルズが気の毒になりました。こんな観客でビートルズは、幸せだったんだろうか・・。 殆ど、ポールとジョンがメロディーと歌詞を書いていたそうですね。200曲以上・・。音楽が大好きで、お互いを理解して仲良くしてないと書けないね。
 
 ビートルズが10代から大人になるにつれて、思考が身の回りから幅を広げていく必然でのライブの中止。演奏はレコーディングのみ。 サイケな恰好。そして1970年の解散。4人での活動期間て思っていたよりも短かかったのね。

 私は、ベンチャーズのエレキの音色に痺れたほうですが、このビートルズ映画で流れた曲の全てを口づさめました。ビートルズが教えてくれたことの多さよ。どの曲も、みんなみんな知っている曲でした。ビートルズこそが、骨身を削って私たちに音楽を残してくれたんですね。 

     少し時が経ってからの、アップルの屋上でのラスト演奏風景に涙しました。ホント、4人の幸せそうな表情!

 そして、

   最後のスタジアム・コンサート 素晴らしかった! 50年前の映像なのにちっとも古くない。

  ああー、私が英語が理解できていたら、悩ましいジョンをもっと理解できたのに・・。もっと、彼の人生に触れたかった。

   最後のコンサートにも 歌詞字幕流してほしかったわ。

  でもドキュメンタリー映画の一環として、ライブ演奏を30分も聞かせてくれたアップルの矜持に ありがとう!

   勿論、頭 振ってチェアダンスしましたよ! 映画館は、パラダイス!

   

 

 

 雑誌『SPA』で、坪内祐三が、スマップをビートルズに例えて、ポールが中居、ジョンが木村、ジョージが香取と書いてましたが、全然違うと思います。スマップは、日本芸能界のアイドル。ビートルズは、現代の音楽王。かっては、この位置にロック歌手プレスリーがいましたが、ビートルズは、ロックというジャンルを超えた音楽王。誰も もう超えられない!

 リンゴ(76歳)が映像の中で語っています。あまりの人気に「プレスリーは気の毒だった。一人で耐えてきたのだから・・。僕たちは4人だったからね」と・・。 それほど、今もすごいよ。映画館は、ビートルズ世代で いっぱいさ。

    

 

     息子から高級チョコをもらいましたが、映画のお供には袋200円の

                          タカオカよ!どちらも美味しいね。(お嫁様からのポーランド製の、お皿で)

 

         

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