ちくわブログ

ちくわの夜明け

生殺しスター・ウォーズ

2005-06-25 02:40:45 | 鑑賞
「我々は彼らの未来を知っている」
スター・ウォーズ新三部作の始まりであるエピソード1が公開された頃、ある人がこんなことを自らのコラムに記していました。

この言葉は新三部作、つまりプリークェル(前史の意)の意味するところを端的に表した言葉だと思います。

明日(実際には今日)、ついに待ちに待ったサーガ最終章、スター・ウォーズ エピソード3『シスの復讐』が先々行上映されます。
もう楽しみすぎて身悶える!って感じです。そんなわけで本日はプリークェル復習のため、エピソード1、2のDVDを鑑賞していました。
こうして改めて観ていると、やはりプリークェルというのはファンのための作品だったな、というのが正直な感想です。もちろん監督がおっしゃるとおり、ファンじゃなくても楽しめる映画ではあるのですが、旧三部作からの『繰り返し』によって得られる独特のカタルシスというのはやはりファンにのみ得られる感情だと思います。

しかしこれはしごく当然のことで、我々が彼らの未来を知っているからこそプリークェルという作品は成り立つのではないかと思うのです。
何の予備知識も持たない人が、いきなりエピソード1を観たところでわけがわからなくなるように・・・・。

特に今回楽しみなのは、ファンが心底待ち望んだ『運命の戦い』がついにこの目で観ることができる点でしょう。
『運命の戦い』とは、主人公アナキンとその師匠であるオビ=ワンとの一騎打ちの場面を指します。なぜ待ち望まれていたか。それはこの戦いが旧三部作公開時のかなり早い段階で具体的に公表されていたからです。

手元にあるもっとも古い文献だと、徳間書店から80年に発刊されたムック『TownMook増刊スター・ウォーズ帝国の逆襲』にそのことが書かれてあります。
エピソード3でルークとレイアの子供時代が描かれるだとか、もしかしたらチューバッカが登場するかも、といったかなり鋭く、込み入った内容が書かれています。古本屋で手に入れた94年当時、回りにスター・ウォーズに関する情報が全く無かった時代だったので、食い入る様にこの記事に見入ったものでした。
そこに件の『運命の戦い』に関する記述があったのです。ちなみにここでは「ダース・ヴェイダーがマスクを被るまでの話がある。(中略)ルークのお父さんとの決闘で火山に突き落とされちゃう」なんて書かれてあります。多少の違いはあっても、この時点で全貌は明かされていたわけですね。さらに83年になって『ジェダイの帰還』が公開されればアナキン=ヴェイダーが確定するわけですから、決闘するのはルークの父(つまり本人)ではなくオビ=ワンということが明かされるわけです。

こうして待たされた我々は、ついにその瞬間をこの眼にとどめる事が出来るのです。ファンになって約12年。明日、その時が訪れるのが信じられないくらいです。

このブログを読んで下さってる方々でスター・ウォーズファンはかなり少ないかと思われます。そんなファンでない方々からよく聞かれるのが「なんであんなに騒いでるの?」とか「なにがそんなに面白いわけ?」という質問です。

それに関してはつまるところ、我々は知っていたことを事実として確認し、その詳細を待ち望んでいたから、と答えることができると思います。

ようは我々ファンは、ルーカス卿によって生殺し状態に置かれていた、ということです。

ヒドイ人は約25年も。私なんかは12年だからまだいいほうです。
しかしまぁ。
これでひとつの時代が終焉を迎えるのは確かなこと。もうこのお祭騒ぎは体験できないんだな。そう思うとちょっとおセンチになったりもします。

いつかふり返る日が来たとき、生殺しの日々が実は一番幸せだったのではないかと、ふとそう感じる時が来るのかもしれません。
なんにしてもそうだけど、「終わる」ってのはさみしいもんですね。


ではみなさんお約束。
「フォースと共にあらんことを」
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