最近シリーズいってみます。
■某日
ある番組が終わることになった。
このお仕事でわたしは、今までほとんど縁のなかった関西圏、四国の各地を巡ることが出来た。特に関西は、文化や人柄の違い、そしてその違いからくる面白みに、触れて初めて気付くものが多かった。
原因は視聴率でもなんでもなく、ただ単にスポンサーが「キリがいいので」と。わたしは半年しか関わってないけど、番組自体は1年続いたのだ。
大企業って、ほんとに何考えてんのかわかんね。
一体誰の意思が働いているのか、どういった思惑からこの番組が消えることになったのか。
誰かの明確な意思が絶対に働いてるはずなんだけど、俺風情が耳にする頃には唾液で溶かすことのできない、極めてあっつーいオブラートに包まれた言葉になる。
こういう、次に何も生かせない敗北はやだな。ADが敗北もくそもないけど。
なんぎなんぎ。
■某日
ある企業のドキュメント風インタビューとイメージ映像を撮ることになった。
考えてみれば、どちらも骨子はわたしが開発に携わった商品で、いつのまにやらこんなにずぶずぶとこの「企業系」のお仕事に深入りしている。
良いのか悪いのかも分からない。でも、とりあえず食えている。
最初は楽しかったけど、今現在は自分がどうしたいのか分からない。
ここにいればきっと楽だろう。楽というか、好きなことが出来るのでスキルが伸ばせる。でも自分で選択した「スキル」が、正しいものなのか分からない。
フリーってただでさえ自己責任なのに、やることまで全てが「やれる範囲の自由」であることって、なかなか勇気いる。
自分が果たして、頑張ってるのかどうかさえも分からない。
それに、楽だと言ったが、この立場だっていつ追いやられるか分からない。自分よりデキる人間が来たらおしまいだ。
そうこう考えて、徹夜してオーバーに頑張るフリをする自分。
信用できねー。
■某日
仕事がやっとひと段落。前売りまで買っておいた恐怖のばったり倒れ屋さん『チェブラーシカ』を観に行く。
オレンジの箱の中から現れた正体不明の生物。「ばったり倒れ屋さん」と名づけられたその生き物は、ワニのゲーナと共にひとりぼっちの人たちのためのお家を作ることに。
とかそういった内容です。
チェブ公は自分がなんなのか分からないので常に孤独ですが、その周りにはいつも親友・ワニのゲーナや意地悪ばあさんのシャパクリャクがいるので寂しくないのです。
そしてわたしはこの児童向け人形劇に、かつて共産主義国家が夢見た未来を見たような気がします。
■某日
押井守監督の『スカイ・クロラ』を観に行く。
押井監督、歳とったなー、と。傷だらけで未来を恢弘しようとするかつての監督の影はなし。『イノセンス』で一回死んだ、みたいなこと言ってたから生まれ変わったのかしら。
にしても押井監督がこんなに健全(生産的?)であってはなんか困る。
っていうか、びっくりしたんだが、常に「制約から解き放たれた存在」、例えば『うる星やつら』で言えばラムだっちゃ、『攻殻機動隊』で言えば草薙素子少佐のようないわゆる「空飛ぶスーパーマン」であり、監督言うところの「巫女さん」が今回からは逆に制約され、永遠性を苦しむ存在になっていた。そして空を飛ぶのは主人公の男。
ひっかかるなー。何が言いたかったんだろう。
ただ確実なのは、確かに監督は一回死んでると。じゃなきゃあのラストには辿り着かないよなー・・・
いいけど『エルの乱』はいつ撮るんだ。
以上。
■某日
ある番組が終わることになった。
このお仕事でわたしは、今までほとんど縁のなかった関西圏、四国の各地を巡ることが出来た。特に関西は、文化や人柄の違い、そしてその違いからくる面白みに、触れて初めて気付くものが多かった。
原因は視聴率でもなんでもなく、ただ単にスポンサーが「キリがいいので」と。わたしは半年しか関わってないけど、番組自体は1年続いたのだ。
大企業って、ほんとに何考えてんのかわかんね。
一体誰の意思が働いているのか、どういった思惑からこの番組が消えることになったのか。
誰かの明確な意思が絶対に働いてるはずなんだけど、俺風情が耳にする頃には唾液で溶かすことのできない、極めてあっつーいオブラートに包まれた言葉になる。
こういう、次に何も生かせない敗北はやだな。ADが敗北もくそもないけど。
なんぎなんぎ。
■某日
ある企業のドキュメント風インタビューとイメージ映像を撮ることになった。
考えてみれば、どちらも骨子はわたしが開発に携わった商品で、いつのまにやらこんなにずぶずぶとこの「企業系」のお仕事に深入りしている。
良いのか悪いのかも分からない。でも、とりあえず食えている。
最初は楽しかったけど、今現在は自分がどうしたいのか分からない。
ここにいればきっと楽だろう。楽というか、好きなことが出来るのでスキルが伸ばせる。でも自分で選択した「スキル」が、正しいものなのか分からない。
フリーってただでさえ自己責任なのに、やることまで全てが「やれる範囲の自由」であることって、なかなか勇気いる。
自分が果たして、頑張ってるのかどうかさえも分からない。
それに、楽だと言ったが、この立場だっていつ追いやられるか分からない。自分よりデキる人間が来たらおしまいだ。
そうこう考えて、徹夜してオーバーに頑張るフリをする自分。
信用できねー。
■某日
仕事がやっとひと段落。前売りまで買っておいた恐怖のばったり倒れ屋さん『チェブラーシカ』を観に行く。
オレンジの箱の中から現れた正体不明の生物。「ばったり倒れ屋さん」と名づけられたその生き物は、ワニのゲーナと共にひとりぼっちの人たちのためのお家を作ることに。
とかそういった内容です。
チェブ公は自分がなんなのか分からないので常に孤独ですが、その周りにはいつも親友・ワニのゲーナや意地悪ばあさんのシャパクリャクがいるので寂しくないのです。
そしてわたしはこの児童向け人形劇に、かつて共産主義国家が夢見た未来を見たような気がします。
■某日
押井守監督の『スカイ・クロラ』を観に行く。
押井監督、歳とったなー、と。傷だらけで未来を恢弘しようとするかつての監督の影はなし。『イノセンス』で一回死んだ、みたいなこと言ってたから生まれ変わったのかしら。
にしても押井監督がこんなに健全(生産的?)であってはなんか困る。
っていうか、びっくりしたんだが、常に「制約から解き放たれた存在」、例えば『うる星やつら』で言えばラムだっちゃ、『攻殻機動隊』で言えば草薙素子少佐のようないわゆる「空飛ぶスーパーマン」であり、監督言うところの「巫女さん」が今回からは逆に制約され、永遠性を苦しむ存在になっていた。そして空を飛ぶのは主人公の男。
ひっかかるなー。何が言いたかったんだろう。
ただ確実なのは、確かに監督は一回死んでると。じゃなきゃあのラストには辿り着かないよなー・・・
いいけど『エルの乱』はいつ撮るんだ。
以上。
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