赤毛のアンちゃん

赤毛の柴犬アンちゃんは2014年11月、14年5カ月の生涯を閉じました。『決してリードは放しま宣言』発信中のブログです♪

もうすぐ一年

2012-11-06 22:25:24 | 祈念日


母の一周忌11月16日を前に
秋の墓参で氷上の地を訪ねました。
早いもので、もうすぐ一年を迎えます。


墓所の景色はすっかり秋模様です。
真っ赤な実をつけた花水木。



氷上町周辺では、ごらんの通り







今年は、追善回向の一年です。
東北の地へも一歩踏み出しましたが
まだはじまったばかりです。



【天描の世界 特別展】
― 母の愛した花や華 ―
◆2012年11月14日(水)~11月18日(日)
10:00~19:00(最終日~18:00)
岸和田市自泉会館
岸和田市岸城町5-10
■南海本線岸和田駅(難波から急行25分)下車徒歩10分
☐主催/画房 母子草


詳しくは
もう一つのサイト天描の世界をごらんください。





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67年目の夏

2012-08-15 13:56:42 | 祈念日


今年もまた8月15日を迎えました。
67回目の終戦記念日です。

それぞれに悲しみを重ねた67回目の夏も
大空に向かい、こう綴ります。
世界中から戦争と核兵器がなくなる日が来ることを
そして日本という国が『平和大国』への道を
ひた走ることを願ってやみません。



67回目の戦没者追悼式 平和への誓い新た
産経新聞 8月15日(水)12時5分配信

67回目の終戦の日を迎えた15日、政府主催の全国戦没者追悼式が
東京都千代田区の日本武道館で開かれた。
昭和38年8月15日の初開催から今回で50回目となる追悼式には、
天皇、皇后両陛下のご臨席のもと、野田佳彦首相や全国各地の遺族らが参列。
戦争の犠牲となった軍人・軍属約230万人および一般市民約80万人、
あわせて約310万人の冥福を祈るとともに、平和への誓いを新たにした。

式典では、両陛下のご入場後、参列者全員で国歌を斉唱した。
野田首相は式辞で「先の大戦では、多くの国々、
とりわけアジア諸国の人々に対し、多大の損害と苦痛を与えた」と
戦争の加害責任に言及。
昨年発生した東日本大震災にも触れ、
「わが国の安定と発展を願い続けた戦没者のためにも、
私たちは震災からの復興を通じた日本再生という使命を
果たしていかなければならない」とした。

その後、正午の時報とともに、1分間の黙祷をささげ、
天皇陛下が「戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し、
世界の平和とわが国の、一層の発展を祈ります」と、お言葉を述べられた。
また、遺族代表で弟が沖縄で戦死した北海道蘭越町(らんこしちょう)の
下條司さん(89)らが追悼の辞を述べた。

厚生労働省によると、
参列予定遺族4821人のうち戦後生まれが514人と
初めて500人を超えた一方、戦没者の父母は2年連続ゼロ。
妻も昨年(43人)から大幅減の24人だった。



2007年8月に綴った追悼の旅の記録です。
ぜひもう一度ごらんください。

特集●62年目の夏
特集●62年目の夏[1]ヒロシマへ
特集●62年目の夏[2] この地に立って その1
特集●62年目の夏[3] この地に立って その2
特集●62年目の夏[4] この地に立って その3
特集●62年目の夏[5] ヒロシマからナガサキへ
特集●62年目の夏[最終回] 平和への礎



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67年目の夏、長崎原爆の日

2012-08-09 23:57:35 | 祈念日


2012年8月9日、長崎
67回目の原爆の日を迎えました。

2011年3月、私たちはまた大きな惨劇を繰り返しました。
ともに人間の愚かさであったことはいうまでもありません。

世界中から戦争と核兵器、そして原発がなくなる日が来ることを
祈念し黙祷を捧げます。

長崎原爆の日:誓いを新たに 平和祈念式典に5900人
毎日新聞 2012年08月09日11時53分配信

長崎は9日、67回目の「原爆の日」を迎えた。
長崎市松山町の平和公園で平和祈念式典が開かれ、被爆者や遺族、
各国政府代表ら約5900人が出席。
原爆が投下された午前11時2分、黙とうをささげて
平和への誓いを新たにした。
田上富久市長は平和宣言で、核兵器の非人道性を強調し、
核兵器廃絶に向け具体的な行動を取るよう国際社会に呼びかけた。
また福島第1原発事故を踏まえ、
「放射能に脅かされることのない社会の再構築」を政府に訴え、
そのための新しいエネルギー政策を示すよう求めた。
 
午前10時35分に始まった式典には、
米国のジョン・ルース駐日大使を含め英、仏の核保有3カ国の大使が初参加、
計42カ国から政府代表らが出席した。
 
田上市長は平和宣言で「無差別に、これほどむごく人の命を奪い、
長年にわたり人を苦しめる核兵器が
なぜいまだに禁止されていないのか」と主張。
核拡散防止条約(NPT)を超える新たな仕組みとして
「核兵器禁止条約」を挙げ、「国際社会は締結に向け
具体的な一歩を踏み出すべきだ」と呼びかけた。

また福島の被災者に対し、「放射能の不安に脅(おび)える日々が
今も続いていることに心を痛めている。
長崎市民は福島に寄り添い、応援し続ける」とメッセージを送った。
原発問題に関しては、高レベル放射性廃棄物の処分についても
「国際社会が解決に協力すべきだ」と指摘したが、
「脱原発」の文言は昨年に続き盛り込まなかった。
 
一方、野田佳彦首相はあいさつで広島の平和記念式典と同様、
「脱原発依存の基本方針の下、中長期的に国民が安心できる
エネルギー構成の確立を目指す」と述べるにとどめた。
 
平和への誓いを読み上げた被爆者代表の中島正徳さん(82)は
「いかなる国の核兵器も廃絶し、戦争のない平和な社会を目指して
命の限り訴え続ける」と主張した。
この1年間に死亡が確認された3305人の名前が書かれた
原爆死没者名簿3冊が奉安され、死没者は15万8754人になった。
【釣田祐喜】

平成24年長崎平和宣言



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67年目の夏、広島原爆の日

2012-08-06 19:23:42 | 祈念日


2012年8月6日
67回目の原爆の日を迎えました。

2011年3月、私たちはまた大きな惨劇を繰り返しました。
ともに人間の愚かさであったことはいうまでもありません。

世界中から戦争と核兵器、そして原発がなくなる日が来ることを
祈念し黙祷を捧げます。

<広島原爆の日>市民守るエネルギー政策を 平和宣言で訴え
毎日新聞 8月6日(月)10時4分配信

広島は6日、米軍による原爆投下から67回目の原爆の日を迎えた。
広島市中区の平和記念公園で平和記念式典が開かれ、
松井一実・広島市長は平和宣言で、東京電力福島第1原発事故を受け、
「市民の暮らしと安全を守るためのエネルギー政策の一刻も早い確立」を
政府に求めた。
原爆投下直後に降った放射性物質を含む「黒い雨」の
援護対象区域の拡大への政治判断も訴えた。

平和記念公園には未明から大勢の人が訪れ、犠牲者を悼んだ。
午前8時からあった式典には、過去2番目に多い71カ国の代表のほか、
被爆者や遺族、市民ら約5万人が参列した。
米英仏はいずれも3年連続で代表が出席。
原発事故の被災地から、福島県浪江町の馬場有(たもつ)町長が
初めて参列した。

松井市長は平和宣言で、
被爆者で原水爆禁止日本国民会議(原水禁)議長などを務めた
故森滝市郎氏の言葉「核と人類は共存できない」を昨年に続いて引用する一方、
「脱原発」の是非には踏み込まなかった。

公募で選んだ3人の被爆体験談を引用し、市民生活が一瞬で失われた様子を紹介、
原爆被害の悲惨さと核兵器廃絶の願いを伝えた。
被災者と広島の人々の姿を重ね、
「必ず訪れる明日への希望を信じてください」と呼びかけた。
更に設立30年を迎えるNGO「平和市長会議」(会長・松井市長)や、
平均年齢78.1歳になる被爆者の体験を継承するための「伝承者養成事業」に触れ、
「被爆の実相を風化させず、
国内外のより多くの人々と核兵器廃絶に向けた思いを共有していく」と誓った。

野田佳彦首相はあいさつで「脱原発依存の基本方針の下、
中長期的に国民が安心できるエネルギー構成の確立を目指す」と述べた。

式典では、松井市長と遺族代表2人が、
この1年で死亡が確認された被爆者ら5729人の名前などを記した
原爆死没者名簿を、原爆慰霊碑の奉安箱に納めた。
名簿は2冊増えて102冊となり、登載者は計28万959人となった。
原爆投下時刻の午前8時15分、参列者が黙とうをささげた。

「こども代表」の小学6年、三保竜己(りゅうき)君(11)と遠藤真優(まゆ)さん(12)が
「平和は私たちでつくるもの。
仲間とともに、行動していく」などとする「平和への誓い」を読み上げた。
【加藤小夜】

平和宣言



2007年8月に綴った追悼の旅の記録です。
ぜひもう一度ごらんください。


(2007年撮影)

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母 逝きて

2011-12-01 18:54:01 | 祈念日
11月16日 母が88年の生涯を閉じました

同19日 地元岸和田での友人葬にて 
地域の方々はじめたくさんの皆さまにお見送りいただきました

理容師として70年間現役で働き続けたその一生は
ただひたすらわが子を育て家族を守ることだけを願ってのものですから
私たちが幸せでなかったはずはありません

いくつもの季節が移ろうなかで
70日の入院闘病中毎日付き添い看病ができたことは
私たち家族にとっては心の財(たから)になりました

もうすぐ私が母の子として生まれて60年のいま
母を亡くして思うことは・・・やっぱり
“さみしい“
こんなあたり前の言葉しか思い浮かびません

近日中に全国の皆さまへ喪中はがきをお送りいたしますが
まずはお知らせまで
最後に時節柄ご自愛ください


長谷川 雅清

66年目の夏

2011-08-15 14:09:15 | 祈念日


今年もまた8月15日を迎えました。
66回目の終戦記念日です。

またひとつ悲しみを重ねた66回目の夏も
大空に向かい、こう綴ります。
世界中から戦争と核兵器がなくなる日が来ることを
そして日本という国が『平和大国』への道を
ひた走ることを願ってやみません。



終戦から66年、戦没者追悼式に6100人
産経新聞 8月15日(月)12時23分配信

66回目の終戦の日を迎えた15日、
政府が主催する全国戦没者追悼式が東京都千代田区の日本武道館で開かれた。
天皇、皇后両陛下のご臨席のもと、
菅直人首相や全国各地の遺族ら約6100人が参列。
戦争の犠牲となった軍人・軍属約230万人および一般市民約80万人、
あわせて計約310万人の冥福を祈るとともに、
平和への誓いを新たにした。

式典は正午前に始まり、両陛下のご入場後、参列者全員で国歌を斉唱。
菅首相は式辞で東日本大震災について触れ、
「我が国は国民一人一人の努力によって戦後の廃墟から立ち上がり、
今日まで幾多の困難を乗り越えてきました」と述べ、
震災から日本を再生させることが
先人の尊い犠牲や労苦に応えることだとした。

その後、正午の時報とともに1分間の黙祷がささげられ、
天皇陛下が「かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、
深い悲しみを新たにいたします」とお言葉を述べられた。

遺族代表で父をフィリピン沖で失った甲府市の河西佐智子さん(67)は
「この悲しい歴史を二度と繰り返さないことをお誓いします」と
追悼の辞を述べた。
参列予定だった西岡武夫参院議長は体調不良で出席を取り止めた。

厚生労働省によると、戦没者遺族の出席者は4817人。
最年長は、夫が中国雲南省で戦死した東京都の馬場宮子さん(97)。
曽祖父が沖縄戦で戦死した沖縄県の宮城海皇ちゃん(5)は、
平成21年に続き2回目の最年少者となった。




2007年8月に綴った追悼の旅の記録です。
ぜひもう一度ごらんください。

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特集●62年目の夏[1]ヒロシマへ
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特集●62年目の夏[最終回] 平和への礎



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原爆と原発を問う―ナガサキの夏

2011-08-09 14:16:48 | 祈念日


1945年8月9日午前11時2分、長崎
あの日から66年目の夏です。

<長崎原爆の日>
「原子力に代わるエネルギーを」平和宣言
毎日新聞 8月9日(火)10時53分配信

長崎は9日、66回目の「原爆の日」を迎えた。
長崎市松山町の平和公園では、長崎原爆犠牲者を慰霊する
平和祈念式典が開かれ、被爆者や遺族、
初出席の米国を含む各国政府代表ら約6000人が、
平和への思いを新たにした。
東日本大震災や福島第1原発事故を受けた今年の平和宣言で、
田上富久長崎市長は被爆国が再び放射線の恐怖に脅かされる現状を指摘し、
今後の社会づくりに向けた深い議論を呼びかけると共に
「原子力に代わる再生可能エネルギーの開発を」と訴えた。
また、長崎が廃虚から復興したことに触れ「希望を失わないで」
「世界が応援している」と被災地にエールを送った。

田上市長は「『ノーモア・ヒバクシャ』を訴えてきた被爆国が
どうして再び、放射線の恐怖におびえることになったのか」と述べ、
「自然への畏れを忘れていなかったか、
人間の制御力を過信していなかったか、
未来への責任から目をそらしていなかったか……」と問い、
「根底からの議論」を呼びかけた。
そのうえで「より安全なエネルギーを基盤とする社会への転換」を訴え、
48年に始まった長崎平和宣言で初めてエネルギー政策転換に言及した。

また、「1カ所の原発事故による放射線が
これほど大きな混乱を引き起こしている今、核攻撃がいかに非人道的か、
はっきりと理解できるはず」と述べ、改めて核兵器廃絶を世界に訴えた。

一方、「核兵器のない世界」を掲げる米国が臨界前核実験などを
継続していることにも触れ、
オバマ大統領に「被爆地や世界の人々を失望させないよう
リーダーシップの発揮を」と求め、
核保有国をはじめ国際社会に核兵器禁止条約の締結を呼びかけた。
さらに日本政府には、非核三原則の法制化と、
「北東アジア非核兵器地帯」の創設を訴えた。

そして、被災地の復興と原発事故の収束、
原爆と東日本大震災の犠牲者の冥福を祈り、
核兵器廃絶に取り組むと結んだ。

平和宣言の起草過程では、被爆者などから「脱原発」のアピールを
求める声が強かったが、市長は「議論することが大切だ」と繰り返し、
文言としては盛り込まれなかった。

一方、菅直人首相もあいさつで原発事故に言及。
「事故原因の徹底的な検証と安全性確保のための抜本対策を
講じるとともに『原発に依存しない社会』を目指す」と述べた。

被爆者代表として「平和への誓い」を読んだ松尾久夫さん(83)は
「原爆を使用し、無残な悲劇が長崎を襲った。
尊い命を無差別に奪い去ることは人道的に許されない。
この悲劇が二度と繰り返されぬよう世界の指導者に訴える」と述べた。

式典には昨年より12カ国多い過去最多の44カ国の代表が参加。
米国からジェームス・ズムワルト臨時代理大使が初めて出席するなど、
初参加国は15カ国。
震災被災地の福島市長や福島県いわき市の中学生も出席した。
式典は、今年初めて世界にインターネット中継された。
この1年間に死亡が確認された原爆死没者3288人の名簿3冊が奉安され、
死没者数は計15万5546人になった。【下原知広】


平成23年長崎平和宣言



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原爆と原発を問う―66年目の夏

2011-08-06 08:24:43 | 祈念日


2011年8月6日
あの日から、66回目の原爆の日を迎えました。

世界中から戦争と核兵器がなくなる日が来ることを
祈念し黙祷を捧げます。

<広島原爆の日>
66回目 平和宣言で「放射線の脅威続く」
毎日新聞 8月6日(土)10時43分配信

広島は6日、米国による原爆投下から66回目の原爆の日を迎えた。
東日本大震災と福島第1原発事故を受け、んばくと
松井一実・広島市長(58)は平和宣言で「今なお続いている放射線の脅威は、
原発に対する国民の信頼を根底から崩した」と指摘、
早急にエネルギー政策を見直し、具体策を講じるよう日本政府に求めた。
菅直人首相は平和記念式典のあいさつで
「原発に依存しない社会を目指す」との考えを改めて示した。
平和記念式典で広島市長と首相が、
核兵器廃絶だけでなく原発に言及するのは異例で、
核と人類のあり方を問う「8・6」となった。

広島市中区の平和記念公園には未明から多くの人が訪れ、祈りをささげた。
午前8時から平和記念式典があり、過去2番目に多い66カ国の代表ら
約5万人が出席した。
昨年初出席した米英仏の代表は2年連続で出席した。

平和宣言では核の軍事・平和利用の両方に反対した
故森滝市郎・広島大名誉教授の言葉「核と人類は共存できない」に触れたが、
「脱原発」を自らの考えとしては述べずに
「主張する人々がいる」との表現にとどめた。

今年4月就任の松井市長は広島市長として初の戦後生まれで、
母親が被爆者。初めての平和宣言に被爆体験談を公募し、
寄せられた73人の文章から2人の体験を引用した。
平穏な日常が一瞬にして奪われた様子や、
助けを求められたのに自らも重傷を負って応えられなかった体験談を
盛り込み、「被爆者から体験や平和への思いを学び、
次世代に、世界に伝えていかねばならない」と誓った。

臨界前核実験を繰り返す米国を名指ししたうえで
「すべての核保有国には、核兵器廃絶に向けた取り組みを
強力に進めてほしい」と訴えた。
15年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議を念頭に
核不拡散をテーマにした国際会議の誘致を目指すとし、
「黒い雨」の援護対象地域の拡大なども政府に求めた。

菅首相はあいさつで東京電力福島第1原発事故に触れ、
「これまでの『安全神話』を深く反省し、
原因の徹底検証と安全性確保の抜本対策を講じ、
原発への依存度を引き下げ、原発に依存しない社会を目指す」と表明。
「今回の事故を人類にとっての新たな教訓と受け止め、
世界や将来の世代に伝えることが責務だ」と強調した。

昨年参列した潘基文(バン・キムン)国連事務総長からは
「核兵器のない世界を追求することを改めて決意する」との
メッセージが寄せられた。

式典では、松井市長と遺族代表2人が、
この1年に亡くなった被爆者ら5785人を登載した原爆死没者名簿を、
原爆慰霊碑下の奉安箱に収めた。
名簿は3冊増えて100冊となり、名簿登載者は計27万5230人になった。
原爆投下時刻の午前8時15分には、参列者は1分間の黙とうをささげた。
「こども代表」として小学6年の福原真拓(まさひろ)君(11)と
藤田菜乃歌(なのか)さん(11)が「夢と希望があふれる未来をつくるために、
行動していく」とする「平和への誓い」を読み上げた。
【樋口岳大】


平和宣言



2007年8月に綴った追悼の旅の記録です。
ぜひもう一度ごらんください。


(2007年撮影)

特集●62年目の夏
特集●62年目の夏[1]ヒロシマへ
特集●62年目の夏[2] この地に立って その1
特集●62年目の夏[3] この地に立って その2
特集●62年目の夏[4] この地に立って その3
特集●62年目の夏[5] ヒロシマからナガサキへ
特集●62年目の夏[最終回] 平和への礎



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いのちを繋ぐ

2011-01-17 12:14:15 | 祈念日


1月17日
阪神淡路大震災から16年
祈りの朝を迎えました。
5時46分―黙祷



阪神大震災から16年、鎮魂の朝に黙とう
読売新聞 1月17日(月)6時17分配信

6434人が命を落とした阪神大震災は17日、まる16年を迎え、
被災地は鎮魂の祈りに包まれた。

地域のつながりが薄れ、孤独死や不明高齢者などを生む
「無縁社会」が問題化する中、兵庫県内の追悼行事では、
復興をめざして生まれた住民らの絆の大切さを伝える誓いが相次いだ。

神戸市中央区の東遊園地では、
午前5時から追悼行事「1・17のつどい」が営まれ、
約5000人が激震のあった同46分、黙とう。
遺族らは、犠牲者の名前が刻まれた「慰霊と復興のモニュメント」や
竹灯籠(とうろう)の前で冥福を祈った。

式典では、震災で弟の渉さん(当時22歳)を亡くした
ゴスペル歌手の森祐理さんが、
復興を願って作られた歌「しあわせ運べるように」を独唱した。



あの時も
山茶花の花は咲いていました。


今年初めて
わが家の素心蝋梅の花が
咲きはじめました。

3年の月日が流れましたが
弱々しかった苗木に花芽がついて
厳しい冬に耐えるように
咲きはじめました。

どうぞごらんください。

たった一人の人生も
家族やたくさんの人の支えがあって完結するものです。
明日へ”いのちを繋ぐ”このあたり前のことを
私たちは今、自らのこととして
もう一度学ぶ必要がありそうです。



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65年目の夏

2010-08-15 17:58:28 | 祈念日


今年もまた8月15日を迎えました。
65回目の終戦記念日です。

ぽつりぽつりと戦争を語り継ぐ声が多く聞かれるようになりました。
思い起したくもない忌まわしい記憶を乗り越えた戦争体験者の
怒りの声のように思えます。
”人が人でなくなるのが戦争”
歴史を正しく伝えることを忘れないように・・・

今年もこう綴ります。

いつの日か
世界中から戦争と核兵器がなくなる日が来ることを
そして日本という国が『平和大国』への道を
ひた走ることを願ってやみません。



戦没者追悼式に6000人、平和の誓い新たに
8月15日12時55分配信 読売新聞

65回目の終戦記念日を迎えた15日、政府主催の「全国戦没者追悼式」が、
天皇、皇后両陛下をお迎えし、
東京・千代田区の日本武道館で正午前から開かれた。

戦没者の遺族のほか、菅首相をはじめ各界代表ら約6000人が参列。
先の大戦で亡くなった約310万人
(軍人・軍属約230万人、一般市民約80万人)の冥福を祈り、
平和への誓いを新たにした。

天皇陛下は、式典で「全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、
心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります」
と述べられた。

また、これに先立ち、菅首相が式辞で
「多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対し、
多大の損害と苦痛を与えました。
深く反省するとともに、犠牲となられた方々とそのご遺族に対し、
謹んで哀悼の意を表します」と述べた。




私が描く天描画のテーマは”こころの舞”です。
時代がどう変わろうと
見失ってはいけないものを忘れないために
描き続けたいと願っています。


『62年目の夏―青桐と折り鶴』
画集天描の世界より

2007年8月に綴った追悼の旅の記録です。
ぜひもう一度ごらんください。

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