2011年8月6日
あの日から、66回目の原爆の日を迎えました。
世界中から戦争と核兵器がなくなる日が来ることを
祈念し黙祷を捧げます。
<広島原爆の日>
66回目 平和宣言で「放射線の脅威続く」
毎日新聞 8月6日(土)10時43分配信
広島は6日、米国による原爆投下から66回目の原爆の日を迎えた。
東日本大震災と福島第1原発事故を受け、んばくと
松井一実・広島市長(58)は平和宣言で「今なお続いている放射線の脅威は、
原発に対する国民の信頼を根底から崩した」と指摘、
早急にエネルギー政策を見直し、具体策を講じるよう日本政府に求めた。
菅直人首相は平和記念式典のあいさつで
「原発に依存しない社会を目指す」との考えを改めて示した。
平和記念式典で広島市長と首相が、
核兵器廃絶だけでなく原発に言及するのは異例で、
核と人類のあり方を問う「8・6」となった。
広島市中区の平和記念公園には未明から多くの人が訪れ、祈りをささげた。
午前8時から平和記念式典があり、過去2番目に多い66カ国の代表ら
約5万人が出席した。
昨年初出席した米英仏の代表は2年連続で出席した。
平和宣言では核の軍事・平和利用の両方に反対した
故森滝市郎・広島大名誉教授の言葉「核と人類は共存できない」に触れたが、
「脱原発」を自らの考えとしては述べずに
「主張する人々がいる」との表現にとどめた。
今年4月就任の松井市長は広島市長として初の戦後生まれで、
母親が被爆者。初めての平和宣言に被爆体験談を公募し、
寄せられた73人の文章から2人の体験を引用した。
平穏な日常が一瞬にして奪われた様子や、
助けを求められたのに自らも重傷を負って応えられなかった体験談を
盛り込み、「被爆者から体験や平和への思いを学び、
次世代に、世界に伝えていかねばならない」と誓った。
臨界前核実験を繰り返す米国を名指ししたうえで
「すべての核保有国には、核兵器廃絶に向けた取り組みを
強力に進めてほしい」と訴えた。
15年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議を念頭に
核不拡散をテーマにした国際会議の誘致を目指すとし、
「黒い雨」の援護対象地域の拡大なども政府に求めた。
菅首相はあいさつで東京電力福島第1原発事故に触れ、
「これまでの『安全神話』を深く反省し、
原因の徹底検証と安全性確保の抜本対策を講じ、
原発への依存度を引き下げ、原発に依存しない社会を目指す」と表明。
「今回の事故を人類にとっての新たな教訓と受け止め、
世界や将来の世代に伝えることが責務だ」と強調した。
昨年参列した潘基文(バン・キムン)国連事務総長からは
「核兵器のない世界を追求することを改めて決意する」との
メッセージが寄せられた。
式典では、松井市長と遺族代表2人が、
この1年に亡くなった被爆者ら5785人を登載した原爆死没者名簿を、
原爆慰霊碑下の奉安箱に収めた。
名簿は3冊増えて100冊となり、名簿登載者は計27万5230人になった。
原爆投下時刻の午前8時15分には、参列者は1分間の黙とうをささげた。
「こども代表」として小学6年の福原真拓(まさひろ)君(11)と
藤田菜乃歌(なのか)さん(11)が「夢と希望があふれる未来をつくるために、
行動していく」とする「平和への誓い」を読み上げた。
【樋口岳大】
平和宣言
2007年8月に綴った追悼の旅の記録です。
ぜひもう一度ごらんください。
(2007年撮影)
特集●62年目の夏
特集●62年目の夏[1]ヒロシマへ
特集●62年目の夏[2] この地に立って その1
特集●62年目の夏[3] この地に立って その2
特集●62年目の夏[4] この地に立って その3
特集●62年目の夏[5] ヒロシマからナガサキへ
特集●62年目の夏[最終回] 平和への礎
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